欧州国民の心を掴んだウクライナ人

ロシア軍がウクライナに侵攻して以来、5日の時点で既に120万人以上のウクライナ人が近隣国へ避難した。その数は日に日に増加し、戦争が長期化すれば、人口(2020年時点で約4400万人)の約1割に当たる400万人が逃げてくると予想されている。

隣国に避難するウクライナの人々(2022年3月1日、UNHCR公式サイトから)

ジュネーブに本部を置く国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ロシアの侵攻が始まって以降、3月3日の時点で120万人を超えた。その過半数以上は隣国ポーランドに逃げ、既に65万人以上だ。それに次いでハンガリー14万5000人、スロバキア約9万人、モルドバ10万3000人、ルーマニア5万7000人。ちなみに、国際移住機関は、ウクライナから最大22万5000人がドイツで保護を求めると推定している。

ウクライナから隣国へ避難する国民の数が100万人を超えたと聞いた時、欧州に100万人以上の難民・移民が殺到した2015年のことを思い出した。中東・北アフリカから大量の難民が欧州入りし、欧州連合(EU)の最大経済国ドイツには100万人の難民が殺到した。シリアのアサド政権の弾圧やイスラム過激テロ組織「イスラム国」(IS)から逃げてきた難民、イラク、イラン、アフガニスタンの紛争地からの避難民だ。一部は、職業的人身売買業者に手数料を払って欧州入りした難民・移民も含まれていた。

ドイツのメルケル首相(当時)は2015年8月31日、記者会見で欧州に殺到する難民対策について「Wir schaffen das」(われわれは難民問題を解決できる)と語って以来、その発言はメルケル首相のトレードマークとなったが、難民の数が増える一方、難民の不法な言動が出てくると、ドイツ国内で難民受け入れ反対の声が高まり、外国人排斥の気運が社会全土を覆った。その難民受け入れ反対の時流に乗って、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が国民の支持を得て選挙のたびにその勢力を拡大していった。ドイツだけではない。オーストリアの極右「自由党」も議席を伸ばし、一時期、保守政党「国民党」と連立政権を発足したほど、勢いがあった(「欧州の政界を変えた独首相の『発言』」2020年9月2日参考)。

2015年の難民の欧州殺到から7年後の2022年2月24日、ロシア軍のウクライナ侵攻が始まった。軍事力でウクライナを圧倒するロシア軍の無差別攻撃を恐れ、多くの国民がリュックサック一つで隣国に逃げ出した。2015年の時との違いは、欧州各地で隣国から逃げてきたウクライナ国民を温かく迎え入れ、救援物資を支援し、時には宿泊を提供する人々が出てきた。

欧州最大のウクライナ・コミュニティを有するポーランドでは、ウクライナから逃げてきた人々に手厚い支援をする状況が世界に報道された。ポーランドに住むウクライナ人が国境付近で待ち構えて、逃げてきた親戚を抱擁しながら涙するシーンが見られた。カトリック教会系の慈善団体「カリタス」は大量の支援物資を集め、ウクライナの子供にはぬいぐるみを与え、大人にはミネラルウオーターやパンを与えている。赤ちゃん用の紙おむつまで用意されている。

2015年の難民殺到時、当方はウィーン西駅に到着した難民たちの状況を取材したが、ポーランドに見られるような状況は余り目にしなかった。2015年と2022年の難民殺到に対する欧州国民の迎え方が明らかに違うのだ。

その違いはどこからくるのか。考えられる理由としては、①15年時の難民は主に中東、北アフリカ出身だが、ウクライナ人は同じ欧州の国民、②15年の難民の多くはイスラム教徒だが、ウクライナ人は主に正教徒キリスト教文化に属する、といった点だ。地理的、民族的、宗教的な親密度の違いがあることは事実だ。

欧州のメディアで「ウクライナで働いていたアフリカ人がウクライナ人と共にポーランドに逃げたが、彼らに対する扱いはひどかった」というニュースが流れた。その時、ポーランド側は「それはフェイクニュースだ」と即否定した。ポーランド側はそのニュースが広がることを恐れ、神経質となっていることが分かった。

スロバキアの国境に逃げてきたウクライナ人家族がテレビで映っていた。妻と子供を下ろすと、運転してきた男性は涙を流しながら別れを告げた。男性は、「自分はウクライナを守るために国に戻る」と言っていた。ゼレンスキー大統領は、「18歳から60歳までの男性は残って国を守るために戦ってほしい」と述べていた。男性は妻と子供を安全な地に運んだ後、すぐに国に戻ってロシア軍と戦うというのだ。

多くの男性が国境で妻や子供たちと別れを告げているシーンが至る所で放映されていた。鉄道でポーランド入りした若いウクライナ女性は、「夫はキエフに残っている」と述べ、涙を流した。ルーマニアに逃げたウクライナ人女性は、「父親と母親が、自分たちはここに留まる。お前は子供を連れて逃げろ、と言った」といい、残してきた老いた父母を思いだして涙した。

欧州各地でウクライナ支援キャンペーンが広っている。支援金は短期間で多く集まった。ドイツ人の家庭は逃げてきたウクライナ人を迎え入れるために車を国境まで走らせた。

なぜだろうか。①でも②でもない、もう一つ大きな理由があるのに気が付いた。ウクライナ男性が妻と子供たちと別れる時、「自分は国を守るために戻る」といった言葉だ。それを聞いた多くの欧州の人々が感動したのだ。ポーランドの国境にはデンマークからウクライナ人の支援のために来たという青年がいた。

第2次世界大戦後、欧州の地では大きな戦争はなかった。平和だった。同時に、国を守る、母国を愛する、といった思いは次第に薄れていった。その時、欧州の国ウクライナにロシア軍が侵攻してきた。軍事力で明らかに守勢のウクライナ人が懸命に国を守るために闘っている。欧州人はテレビや新聞で報じられるウクライナ情勢を見て、心が動かされているのだ。

ウィーン大学法学部のマンフレッド・ノバック教授はオーストリア国営放送とのインタビューの中で、「2015年の時、難民の受け入れを拒否してきたハンガリーのオルバン首相がわざわざ国境まで行ってウクライナ人の収容を指示することは、ウクライナ危機前には考えられないことだった」と述べていた。国を愛するウクライナ人は欧州国民の心を掴んだのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。