ハラリ氏、ウクライナ危機を語る

世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者で、“現代の知の巨人”と呼ばれるイスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏(Yuval Noah Harari=46)はロシア軍のウクライナ侵攻について、「プーチン大統領はウクライナの存在を認めていない。ウクライナはロシアの一部だから、母国ロシアに再び吸収されなければならない。唯一の障害はナチ政権のギャンググループ(現ゼレンスキー政権)だ、というファンタジーに取り憑かれている。ウクライナは1000年以上の歴史をもつ。キエフが欧州文化の中心であった時、モスクワは小さな村に過ぎなかった。ウクライナがロシアの一部だった期間は短い。プーチン氏の世界は古典的な帝国主義的システムだ。ロシアではほんの一部のトップが統治している。ロシアは地下資源に恵まれた国だが、その恵みは特定の人間だけが享受し、大多数の国民は貧しい。ロシア国民がウクライナ戦争に関心を有し、ウクライナを占領したいと考えているとは思わない」と説明している。米ニューヨーク市に本部を置く世界的講演会=カンファレンス「TED」とのインタビューの中で答えた。

イスラエルの歴史学者ユバル・ノア・ハラリ氏(同氏の公式サイトから)

ハラリ氏は、「人類の進化は続いている。科学技術の発展によって、人類は神のような存在に進化していく」という「ホモデウス説」を主張している学者だ。同氏はエルサレムのヘブライ大学で教鞭をとっている歴史学者である(「人類は“ホモデウス”に進化できるか」2017年3月26日参考)。

ハラリ氏の「ファンタジー」という言葉を聞いて、ドイツの「旧ドイツ帝国公民」運動(Reichsburgerbewegung)を思いだした。「旧ドイツ帝国公民」は、ドイツ連邦共和国や現行の「基本法」(「憲法」に相当)を認めない。ドイツ日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングのコラムニストは「旧ドイツ帝国公民」運動を「ファンタジー帝国」と呼んでいる。彼らにとってドイツは過去にしか存在しないのだ(「『ファンタジー帝国』に住む人々」2018年1月31日参考)。同じように、プーチン氏の世界には、ウクライナは主権国家としては存在していないのだ。

ハラリ氏は、「プーチン氏はロシア軍がウクライナ政府軍より強いこと、北大西洋条約機構(NATO)がウクライナには関与しないことを知っていたし、欧州諸国が結束していないことを理解していたが、ウクライナ人がどのような反応するかを知らなかった」と述べ、プーチン氏の誤算を指摘した。

「ロシアはウクライナを占領するだろうが、ウクライナ人の心までは支配できない。プーチン氏はウクライナ戦争で憎悪を植え付けている。ロシア軍はシリア北部アレッポや西部ホムスで民間人を無差別殺害し、ビルや住居を空爆で破壊したように、ウクライナのキエフでも同じやり方を繰り返している。早く休戦しなければ大変だ。戦争前はロシア人もウクライナ人も同胞だったが、今は敵同士となってしまった。戦争は憎悪を植え付けている。そして後の世代がその収穫を刈り取ることになる。この戦争が長期化すれば、その影響は欧州だけではない。その衝撃波は世界の安定を脅かしている」と強調している。

同氏はまた、「欧州は戦後、平和の時を享受してきた。欧州連合(EU)の軍事費は国家予算の平均3%、世界では平均6%だ。歴史的にみてそれは奇跡だ。昔の帝国では50%、80%を軍事費に投入してきた。ロシア軍のウクライナ侵攻を受け、ドイツが軍事費のGDP比を3%以上に引き上げることを決定したが、非常に理性的な判断だ。ドイツは欧州の核としてその役割を堂々と果たすべきだ。ドイツ国民はナチス・ドイツ政権の過去もあって軍事的な言動には過度に神経質だが、過去から決別して、未来に向かって歩みだすべきだ」と述べ、「現在のドイツはユダヤ人にとって世界でナチス政権が復活する恐れが最も少ない国だ」と評した。

同時に、「軍事費が急増すれば、社会福祉、教育費、環境保護対策費などにいくべき予算が縮小する。すなわち、ウクライナ紛争が世界的なレベルでさまざまな分野で影響を及ぼすのだ。社会福祉に行くべき金が戦車やミサイルの購入に当たられるからだ。その意味で、ウクライナ戦争が長期化し、各国の軍事費が急増すれば、その衝撃波は全世界に及ぶわけだ」と説明した。

ハラリ氏は、「プーチン氏は欧州を分断し、NATOを分断しようとしたが、結果は逆になっている。欧州は驚くほど迅速に反応し、結束を強めている。西側社会ではこれまで右翼と左翼、保守派とリベラル派といった文化戦争を展開させてきたが、(ロシアのウクライナ侵攻に対し)ウクライナでは民族主義者もリベラリストも国を守るために団結し、両者が本来敵対関係ではないことを示している。その両者を結びつけているのが平和と自由を願う心だ。FOXニュースとCNNはその同じリアリティを見、同じ土台に立って報じ出してきたのだ。今回のロシア軍のウクライナ侵攻が契機となって、欧米社会の文化戦争が終焉し、結束することが出来れば、ロシアやその仲間たちを恐れることはもはやないのだ」と主張している。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。