ウクライナ侵攻が起きて以来、欧州各地でプーチン大統領批判、ロシア批判の声が高まってきた。同時に、ロシア軍がキエフなどウクライナの都市を無差別攻撃し、多数の民間人が犠牲となっていることがメディアで伝えられると、欧州に長く住むロシア人への批判やバッシングが報じられてきた。
ロシア出身という理由だけで差別され、ロシア関連の店舗のガラスが壊されたり、ロシア人家庭の子供が学校でいじめを受け、ロシアのナンバープレートが付いたトラックが攻撃されるといった出来事が頻繁に起きている。
ドイツのフェイザー内相は在欧のロシア人への理由なき批判やバッシングに対して、「ウクライナでの紛争はプーチンの戦争であって、ロシアとウクライナ両国間の戦争でもない」と説明し、在独ロシア人への批判や攻撃は許されないと述べている。
ドイツ国民を含む欧州国民がロシア軍のウクライナ侵攻、無差別攻撃に怒りを覚えることは当然だが、戦争を主導するプーチン氏とロシア国民は全く別だという事実を忘れてはならない。ロシアには多数のウクライナ人が住んでいるし、ウクライナでも多くのロシア系住民がいる。一つの家庭で夫がウクライナ人、妻がロシア人といったカップルは無数だ。彼らがプーチン氏のウクライナ侵攻を支持しているとは思えない。
イスラエルの著名な歴史学者ユバル・ノア・ハラリ氏は、「プーチン氏はロシアとウクライナ両民族に憎悪という種を植えている」と指摘、ブルガリアの政治学者イバン・クラステフ氏は、「ウクライナ侵攻は“ロシアの戦争”ではなく、“プーチンの戦争”だ」とはっきりと述べている。
このコラム欄で「習近平氏が恐れる『党と人民は別』論」(2020年9月8日参考)を書いたが、ウクライナ戦争は明らかにプーチン氏自身のファンタジーに基づいた戦争であって、ロシア国民とは全く関係がない。両国が戦わなければならない正当な理由は見当たらない。独裁者のファンタジーがウクライナ国民だけではなく、ロシア国民をも苦しめているのだ。
プーチン氏は独自の歴史観を掲げ、「ウクライナはロシアに属すべきだ」と考え、そのために若いロシア兵士たちを動員している。ロシア兵の中には何のために戦うのか分からない兵士が多いという。だから、戦争が長期化すれば、ロシア兵の中に戦争への士気を失っていく者が出てくることが予想される。
ロシアには民主化を願う多数の国民がいる。その一人、ロシアの著名な反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏は、「ロシア全土でプーチン大統領のウクライナ侵攻に抗議するデモをすべきだ」とSNSを通じて国民に呼びかけている。
ナワリヌイ氏はプーチン大統領らロシア政府幹部たちの腐敗を激しく追及してきた。同氏は毒で暗殺されるところだったが、ドイツで治療を受け回復し、モスクワに帰国。その後も政権批判をしたために逮捕され、現在、刑務所に拘留されている。
(ナワリヌイ氏は2020年8月、シベリア西部のトムスクを訪問し、そこで支持者たちにモスクワの政情や地方選挙の戦い方などについて会談。そして同月20日、モスクワに帰る途上、機内で突然気分が悪化し意識不明となった。飛行機はオムスクに緊急着陸後、同氏は地元の病院に運ばれた。症状からは毒を盛られた疑いがあったため、交渉の末、ベルリンのシャリティ大学病院に運ばれ、そこで治療を受けた。シャリティ病院はナワリヌイ氏の体内からロシアが開発した神経剤の一種ノビチョクを検出し、何者かが同氏を毒殺しようとしたことを裏付けた)
モスクワやプーチン氏の出身地サンクトペテルブルクなど多数の都市でプーチン氏のウクライナ侵攻に抗議するデモが行われている。その度にデモ参加者は警察隊に拘留され、その数は約7000人に上る。警察隊はデモが大規模に膨れ上がる前に参加者を次々と拘束して鎮圧している。プーチン氏は同時に、刑法を改正し、厳格な情報統制に乗り出した。モスクワ当局が公表した情報を否定したり、批判的な論評を報じたメディアやジャーナリストは最大15年の禁錮を科せられる。
独裁者は国民のもつ恐れ、不安を巧みに利用して彼らを統治する。プーチン氏はデモ参加者を逮捕させ、拷問することで国民に恐れを与えている。それだけではない。プーチン氏はロシア軍にウクライナの原子力発電所を攻撃させ、北大西洋条約機構(NATO)に対しては、「ウクライナに軍事介入したら大変な事態になる」と警告を発している。
繰り返すが、プーチン氏を批判するのは理解できるが、ロシア国民をバッシングすることは慎むべきだ。むしろ、ロシア国民を鼓舞し、彼らがロシアの民主化のために立ち上がれるように支援すべきだ。ロシアの詩人フョードル・チュッチェフ(1803~73年)はその愛国的な詩の中で「ロシアは頭ではわからぬ」と書いているが、プーチン氏の世界はロシア国民のそれとは相いれなくなってきていのだ。
独週刊誌シュピーゲル(3月5日号)で1人の聖職者が、「現在のロシアはフョードル・ドストエフスキー(1821~81年)の国ではなく、強権と粛清が席巻した雷帝イヴァン4世(1530~84年)が統治していたロシアとなってしまった」と嘆いている。ちなみに、ドストエフスキーは手紙の中で、「ロシア人は2つの祖国を持っている。欧州とロシアだ」と書いている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。