ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって13日で18日目を迎えた。ロシア軍の攻勢が激しくなってきた。首都キエフでは同国西部リヴィウ市や隣国ポーランドなどに避難した市民もいるが、空爆を避けるため、地下100mと深いところを走る地下鉄の構内に避難した市民もいる。ドイツ民間放送では避難民で溢れる地下鉄構内の様子が映っていた。ゆっくりと休む空間はなく、体を横にするだけだ。地上から空爆の砲声が響いてくる。彼らはそこで何を考えているのだろか。
1人の若い女性が、「ロシア軍がわが国に侵攻するなど考えてもいなかった」と、ショックを隠せない表情で語っていた。多くのキエフ市民も多分、そうだろう。先月24日を期して、キエフ市民の日常生活は激変した。同国南部や東部では電気、水道、ガスなどのインフラが壊され、食糧もなくなってきた。1人の老人が路上を歩きながらガソリンを探していた。「自分の家は寒くて耐えられない」という。ポーランド国境に近いリヴィウ市にも13日未明、ロシア軍のミサイルが撃ち込まれた。同市も安全ではなくなってきた。
東欧圏に近い位置にあるウィーンの駅には連日、ポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニア経由で多数のウクライナ人が避難してきている。オーストリア連邦鉄道会社は列車をウクライナに送り、避難民を安全な西側に輸送している。
ポーランドには既に160万人のウクライナ人が避難してきた。ポーランド入りしたウクライナ人の多くは疲れ切っているが、やはりホットしている。「夫はまだキエフにいる」という若い女性は泣き出した。ニュース番組を見ていると、若いウクライナの母親は、「ロシア軍の空爆で2人の子供を失った」と語ると泣き崩れた。「なぜロシア軍はわれわれを攻撃し、殺害するのか」、多くのウクライナ人は理解できないのだ。
たまたま、キリスト系オンライン「クリスチャン・トゥデイ」のサイトを開けると、「詩篇31篇を祈るウクライナのクリスチャンたち」という見出しの記事が目に入った。ウクライナの家族が自宅の地下室で詩篇31篇を読んでいる写真が載っていた。
「クリスチャン・トゥデイ」によると、ウクライナの主席ラビが、「この困難な時期に、クリスチャンとすべてのウクライナ人に詩編31篇を読むように」と呼び掛けたという。
詩篇は旧約聖書に記述されている。ダビデの作品といわれているが確かではない。ダビデ王はサウルに次ぐ第2王だ。その後、ソロモン王が出てくる。サウル、ダビデ、ソロモンはユダヤ統一王国時代に当たる。イスラエル民族が最も愛する人物はダビデだ。
その詩篇31篇には、「主よ、私はあなたに寄り頼みます。…あなたの義をもってわたしをお助け下さい」という詩が記されている。サウル王に追われるダビデが神に救いを求める姿と現在のウクライナ人が重なってくる。ラビのイニシャチブの背景には、巨漢ゴリアテ(ロシア)と戦う少年ダビデ(ウクライナ)といった意味合いがあるのかもしれない。
ちなみに、「クリスチャン・トゥデイ」は2018年12月10日、「無料聖書アプリ『ユーバージョン』によると、2018年に最も読まれた聖書の聖句は旧約聖書の『イザヤ書』第41章10節だった」と報じたことがある。そこには、「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたを支える」と記されている。預言者イザヤを通して神が困窮下のイスラエルの民を鼓舞している箇所だ(「今年最も読まれた聖書の聖句は何?」2018年12月13日」参考)。
ウクライナ人にとって今最も必要としているものは多分、食糧、水、電気、薬など医療品だろう。しかし、それだけではない。寒く薄暗い構内や地下で空腹に耐えながら夜を過ごしているウクライナ人の中には、詩篇を読み、自身を慰め、勇気を奮い立たせている人々がいるのだ。
新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章には、「初めに言があった。言は神と共にあった。すべてのものは、これによってできた」という有名な聖句がある。人が神のロゴスによって創造されたとすれば、神に救いを求め、詩篇やイザヤ書の聖句から生きる力を得ようとするのは自然の姿かもしれない。
巷には無数の言葉が飛び交っている。その中にはフェイクと呼ばれる偽りの言葉もある。ひょっとしたら、ウクライナ危機は神のロゴスと偽りの言葉との戦いかもしれない。後者は、人間がもつ不安と恐れを利用する。プーチン大統領はロシア軍にウクライナ国内の原子力発電所を攻撃させ、「北大西洋条約機構(NATO)軍のウクライナ介入は世界3次大戦を意味する」と威嚇し、欧米諸国を恐れさせている。それに対して、ユダヤ系のゼレンスキー大統領は、「私はここにいる。恐れることはない。正義はウクライナにある」と国民に向かって呼び掛けている。
ウクライナの1人の婦人は、「プーチン氏はアンチキリストだ」と呼んでいた。「聖書の世界」からみると、ウクライナ危機は神と悪魔の戦いのようにさえ見えてくるのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。