あなたは、日ごろ、誰と親しくしていますか?

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前回、私は今、学生時代・テレ朝時代・議員時代と20年余にわたって、積み重ねてきた取材ノート、自習メモ、人脈等を再点検にしながら、混迷の時代を生き抜く政治家像をあらためて考えています。

この作業は年明けから行っていたものの、ご承知の通り2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻を始めて以来、プーチン・ゼレンスキー両氏の発信、判断を目の当たりにして、なお一層「現代に必要な政治家像」を求め始め、自己鍛錬の日々です。

温故知新の精神で

そんな中で前回のブログでは千利休から学ぶ要素を『利休七則』から振り返ってみました。
今日は李克から理想のリーダー像を考えます。

この李克は紀元前の魏の政治家です。中国戦国時代の政治家であり、魏を戦国時代最初の覇国に道びた文候のアドバイザーとして知られています。

 

私が李克の人物鑑定法を知ったキッカケは『為政三部書』です。

こちらは、李克が活躍してから1500年以上後の行政官である張養浩が政治と行政のあり方を論じたもので、この張養浩が人物を見分ける三ヶ条を後世に残します。そして、この三ヶ条の元になった考えが李克出会ったと為政三部書の解説本で発見しました。

ちなみに、張養浩の三ヶ条はコチラです。

  1. 人々の意見を聞く
  2. 本人の行動を観察する
  3. どんな人物を推薦したかを調べる。

これ自体も、戒めになります。

当人の心構え・身の振り方でいくらでも可能性が大きくなる。例えば、自身がマウント取る事ばかりで相手に接していれば、誰も相手はしなくなりますよね。

さて、そんな三ヶ条の元になった人物鑑定法が今日のテーマです。

一、不遇なとき、誰と親しくしていたか
一、富裕なとき、誰に与えたか
一、高位についたとき、誰を登用したか
一、窮地に陥ったとき、不正を行わなかったか
一、貧乏したとき、貪り取らなかったか


こちらの5つになります。

今、この言葉を噛み締めているところ

人間力を磨くとは

この5つをフィルターにして、身の回りにいる上司を見てみると如何でしょうか。

一、不遇なとき、誰と親しくしていたか
こちらは、元は「居ればその親しむ所を視」。これは、誰にも仕えず(登用されず)にいた場合に、誰と付き合うかを見てみなさいということです。

私のような政治家であれば、選挙で落選したとき、あるいは政治浪人したときに誰と親交を深めるかということです。会社のポストから外れたときに、ヤサグれて誰でも彼でも付き合わない「心の持ち方」が問われます。困った時は、色々と助けを求めるものです。私も政治浪人した時に、今誰と付き合うかで将来が決まるぞと指導された事を思い出しました。

逆も然りで「肩書き」があるから近づいてくる人も沢山いますが、「肩書き」がないと付き合いをやめてしまう現金な人もいます。これは古今東西ドコの世界も同じですよね。

ある意味において、不遇な時は人間力が問われるものなのかなと思います。私自身は、こういう表面的な人間関係が好きではないないので、まず、人として接して下さる方々は歓迎ですが、「現職議員」だからというので近づいてくる人は距離を置くようにしています。

この基本姿勢は千利休の項でも紹介した石田三成のモットーが参考になります。

「景気の良いときは謙虚に、落ぶれた時は傲慢に」

周りの人は見ていないようで、見ていますよということです。

どんなにかっこいい言葉を吐いても、人間性が良くなければ味方はサポートしてくれません。かと言って、張養浩も『完璧な人物はいないんだから、多くの人に助けて貰わなければ質の高い政治はやっていけない』という趣旨の事を後世に残しています。

今の時代は、ワンフレーズでは解決できない問題が散らばっています。私も出来るだけ、オールマイティーに政策研究をしていますが「餅は餅屋」です。自分では辿り着くことが難しい専門分野の金言なくして総合的な判断のマネジメントはできません。

でも、意見をアドバイスして貰う側が「俺様キャラ」で感じが悪ければ、相手も心からサポートはしてくれません。

あらためて、李克が現代を生きているとして「川松なら大丈夫だ」と言ってもらえるような人間にならなければいけないと、過去のノートを見て身を奮い立たせた 3月の朝です。