今、そこにある危機:他人事ではない生物・化学兵器の恐ろしさ

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「日比谷線の八丁堀駅。病人2名、気持ち悪くなったものが2名いるそうです。詳細は判然としません」

1995年3月20日午前8時少し過ぎの無線の第一報だ。

日本の国会でウクライナ大統領が演説した。その中で、ロシアが猛毒サリンなどの化学兵器使用を準備していると、その少し前のバイデン大統領の警告を裏付ける発言をした時、「地下鉄サリン事件」が27周年を迎えた。

宗教カルト「オウム真理教」により、それまで考えられなかった「サリン」が、地下鉄車内でばら撒かれた。人類史上非常に珍しい「無差別テロ」だった。死者14人負傷者6000人以上が出て、いまだに心も体も後遺症で苦しんでいる人もいる。

筆者は発生直後から米国を中心に海外でなにが起きたかを取材した。

あまり知られていないが、「事件」を受けて一番真剣に動いて迅速に対策を立てたのは、実は米国だった。

1960年代に国防総省が中心になり、有名な実験が行われた。事前に知らせると真剣な訓練ができないので、市長には内密にして、NY地下鉄に化学兵器がばら撒かれたという想定の訓練だ。米軍が出動して無事に処理を終えた。

その時のことを振り返った「大量殺りく兵器」を専門にする筆者の友人の国防総省高官は「当時はあくまでも想定で動いた。こんな無差別テロが起きるとは思わなかったが、東京の地下鉄サリン事件を知って、悪夢が現実のものになり、本当に驚いた」と語った。

米国全体が一気に動いた。95年当時は、まだ専門家チームができていなかった。普通の消防署や救急隊が中心になって負傷者を手当するくらいだった。

行政では限界がある。日本では想像できないくらい権限と実行力をもつ議会がすぐに動いた。戦後最悪の安全保障上の懸念として、ワシントンで公聴会を3日間開き、専門家チームを立ち上げて、山梨県上九一色村まで、議会調査局の専門家を送り込んだ。

筆者は実際に山梨まで行った責任者のソプコ氏に長時間インタビューをした。信じられない規模とサリンの量などを確認。戦争終結の40年代から、実際に起こり得る可能性を考慮しつつ、水面下で着々と準備をしてきた米国にとって、それまでの対策ではとても足りないことを認識する「想像を遥かに超える恐ろしい事件だった」と語った。

早速海兵隊が中心になり、専門家チーム、シーバーフ(CBIRF)という特殊部隊が創られた。

海兵隊CBIRF司令官と筆者
筆者提供

筆者はその訓練を現場取材した。核は少々違うが、化学・生物兵器が無差別に使われたという想定で、防護服が提供され、緊急医療体制が作られ、短時間で対応できる体制だった。

CBIRFの訓練の様子
筆者提供

そこで学んだことは、異変を感じたらすぐにマスクをして、サリンなどに汚染された場合、とにもかくにもすぐに水などで一刻も早く洗い流すことだ。いまは自衛隊もそうだろうが、米軍は兆候があれば、すぐに兵士が使えるマスクなどが常時用意されている。

 

「オウム」は日本だけでなく、ロシアとオーストラリアに支部があったため、そこにも議会やCIAの専門家が送りこまれた。NYにも支部があったためFBIなども動いた。

筆者が一番拘った取材の1つは、オウムはサリンをどのように入手したのか?ということだった。ロシア国内の取材進めて、オウム信者がなにをやったのか探った。オウムは幹部を送り込み、世界的に有名な突撃マシンガンAK-74や、戦争にも使える中型多目的ヘリコプターなども入手しようとしていた。

深い直接取材をした結果、サリンに関しては、ロシア国内から入手した可能性はなく、日本国内で製造したことはほぼ間違いない。土谷と中川が中心になって製造したとみられ、素人でも製造できる証明につながった。

米国には化学・生物兵器の専門家がたくさんいるが、その1人で、もともと台湾人で、日本語が巧いのが、アンソニー・トゥー氏。コロラド州立大学名誉教授だ。最初は日本語ができるのを知らなくて英語で取材した。重要なことは、7人の命を奪った1994年の松本サリン事件を知り、彼は化学専門誌にサリンのことを書いた。日本にはそのレベルの専門家がおらず、科学警察研がそれを読み、協力を依頼、その結果サリンが使われた物証が発見されて、事件の詳細が判明。それだけでなく、中川と文通や面接した経験がある。

つい最近知ったトゥー氏の驚くべきこと。筆者はいまでも世界を苦しめている新型コロナウイルスがどこから来たのか、世界が大騒ぎする前2000年1月に元CIAの友人から聞いて取材を始めた。

武漢の海鮮市場周辺で最初のクラスター。筆者は世界中の専門家の論文を読み、彼(女)らからいろいろな情報を得た。もともとは山西省と雲南省辺りの洞窟に潜むコウモリを捕獲、武漢の研究所で兵器化も含む研究をしていた可能性が判明した。これはトゥー氏も指摘している。

筆者は2年以上前に「機能獲得」を論じていた。米国のファウチ博士のグループは武漢研究所と協力関係にあり、その責任者でWHOの米国代表といえるピーター・ダザック博士も独占スクープ・インタビューをした。

別の専門家の話も総合すると、コウモリ由来の感染症の予防、対策は、兵器化との一線が明確ではない。米中協力体制の中、財政支援をしていた米が、中国の兵器化努力を知って手を引いた可能性もある。

トゥー氏は武漢研究所で、実験に使う小動物が焼却されず、販売目的で外部に出て、海鮮市場で売られた可能性を指摘した。小動物もあるが、それ以外に、筆者は汚染された医療用廃棄物が、外部に出て拡散したことも指摘、基本的な部分は非常に似ている。

世界には化学・生物兵器につながる研究は、各所で行われており、事故でも故意でも、人類に大被害を与える可能性は常にある。

筆者は核兵器に使われるプルトニウムの発明・発見者シーボーグ博士の独占インタビューもした。彼は「一回発見・発明したものはもう元に戻せない」と明言、「核拡散は自分の責任ではない」という内容も述べていた。

重要なことは、核は一応自然界のものが出発点だが、比較的製造・改良が難しい。一方の化学・生物兵器は基本的に自然のものを利用、改良すれば、「比較的簡単」に製造、使用することができる点だ。コレラは炭そ菌などが代表だが「貧者の核兵器」ともいわれる生物(化学)兵器は、比較的簡単に製造できて、すぐに使える。

もちろん、化学兵器も生物兵器は、戦争だろうが、平和時だろうが、大量の無差別殺人を可能にする。

ロシアが2018年シリアにおけるアサド政権による化学兵器使用に関与したのはほぼ間違いない。

国連安保理は22日、「ウクライナで化学物質を使った挑発行為があった」と主張するロシアの要請で非公開会合を開いた。米国などは、こうしたロシアの主張こそが、ウクライナでのロシアによる化学兵器使用の口実として利用される恐れがあると警戒を呼び掛けた。

ロシアの国連代表は、ウクライナ北東部で21日、ロシア軍による攻撃を受けた化学工場からアンモニアが流出、「ウクライナの極右組織などによる計画された挑発行為が実行された。地域住民を虐殺するためだ」と述べた。

これに対し、英国国連代表は「化学兵器攻撃の前触れだろうと結論付けざるを得ない」と強調。米国国連大使も、ロシアの説明を「とんでもない」と一蹴しながらも、「化学兵器使用計画の前兆ではないかと深刻に懸念している」とした。

戦況が思ったように好転しないため、苛立ったプーチンが一線を越える可能性はかなりある。ロシア軍化学兵器部隊が積極的に動き始めたという情報もある。いまこの瞬間、ウクライナに対するサリンなどが使用される攻撃が起きてもおかしくない状況だ。

日本ではウクライナで起きているような戦争状態にはなっていない。だが、地下鉄サリン事件のような、無差別テロ行為が起きる可能性はいまでもある。2017年マレーシアの空港で、金正恩の異母兄金正男がVXガスで殺された事件も記憶に新しい。

日本では戦争と平和と明確な一線があると思う人が多い。だが米国は戦争時でも対応できる対策を、平和時にも利用できる考えを国民が共有している。

化学・生物兵器はひとごとではない。繰り返す。戦場でもなかなか起き得ないことが以前実際に東京で起きたのだ。いまは戦争とは直接関係ない日本でも、第2第3の地下鉄サリン事件が起きてもおかしくない。

米国がやったような専門対策チームが、しっかり動ける態勢になっているのだろうか。実際に事件が起きた時では遅いのだ。