バイデン大統領のワルシャワ演説、後世に残る傑作か否か

冷戦という長いトンネルの先に薄明かりが見え始めた1987年6月12日、レーガン大統領は東西ベルリンの境界にそびえるブランデンブルク門を背景に「ゴルバチョフ氏よ、壁を取り壊せ(tear down the wall)!」と訴え、後世に残るスピーチとなりました。

あれから35年、ポーランドのワルシャワでバイデン大統領が3月26日に行った演説は、「壁を取り壊せ」演説を凌ぐ傑作との評価が聞こえてきています。

冒頭から、ポーランド人として初めて教皇に選出されたヨハネ・パウロ2世の言葉「恐れるな(be not afraid)」を引用したほか、信仰の力を始め回復の力、人々の力について説いた教皇のメッセージがソビエト連邦の崩壊を導いたと称賛。さらに、女性初の国務長官を務めたチェコスロバキア出身のマデリーン・オルブライト氏を民主主義の熱心な支援者と讃えつつ、リンカーン大統領による「正しいことが力を生むという信念を持つ」との言葉を送り、民主主義国家間での団結の必要性を訴えました。

ロシアが2月24日に侵攻して始まったウクライナ戦争については「数日や数ヵ月で勝利できるものでもないだろう」と語り、米軍はロシアと衝突するためではなく、NATOの同盟国を守るべく欧州に駐留するとあらためて立場を明確化しつつ、支援を惜しまない姿勢を打ち出すことも忘れません。バイデン氏は、さらにウクライナとNATOに対する米国のコミットメントを強調し「NATOの領土の隅々まで、我々の総力を挙げて」防衛すると確約しました。ただし、引き続きウクライナへの米軍派遣の意思は表明していません。

何より、原稿になかった「この男が権力の座にとどまり続けてはいけない」とのフレーズを演説の最後で飛び出し、大いに話題となりました。一般教書演説での「行け、彼を捕らえよ!」に匹敵するこの締めの言葉が、レーガン氏の「壁を取り壊せ!」演説、そして1968年のケネディ氏の「私は一人のベルリン市民である(東ドイツ内の飛び地の西ベルリンで自由世界を堅持する市民という意味)」最高傑作に並ぶスピーチたらしめるとし、一部の専門家やジャーナリストが絶賛したものです。

画像:欧州安全保障協力会議(CSCE)のシニア政策アドバイザーのポール・マサロ氏、ワシントン・ポスト紙のジェニファー・ルービン論説委員がツイッターで称賛

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(出所:Paul Massaro/Twitter、Jennifer ‘I stand with Ukraine’ Rubin/Twitter)

ただし、米国を始め当局者の反応は非常に冷静です。

〇ブリンケン国務長官、スミスNATO大使
翌27日、バイデン氏の発言について「極めて単純に、プーチン大統領はウクライナや戦争や侵略を遂行する権限を与えられていないと指摘したのみ」であり、「ロシアの体制転換の戦略を有していない」と説明。また、政権交代については「ロシア国民次第」と付け加えています。北大西洋条約機構(NATO)ジュリアン・スミス大使も、CNNに出演し同様の見解を表明しました。

〇共和党のジム・リッシュ上院議員(アイダホ州)
翌27日、CNNに出演し「良い演説だったが、最後にとんでもない失言があった。バイデン氏には、台本通りに演説してほしかった」と苦言を呈す。

〇マクロン仏大統領、ショルツ独首相
翌27日、仏TVに対し「プーチン大統領と協議を続けているだけに、こうした表現は私なら使用しない」と発言、和平交渉の継続とウクライナ市民のマウリポリからの脱出などで支援する方向性について言及した。ショルツ独首相も同日、ロシアの体制転換を求めていない発言

〇ペスコフ露大統領報道官
翌27日、バイデン氏の発言に対し「ロシア国民が大統領を選出するのであって、米大統領が決定するものではない」と一蹴した。

バイデン大統領と言えば、自身で「言い間違いマシーンだ(I’m a gaffe machine)」とジョークにするほどご愛敬が多いことで知られます。最近では、一般教書演説でウクライナ人をイラン人と言い淀んだほか、FOXニュース記者を罵倒して話題になりました。過去の例はともかく、今回のケースでいえば一般教書演説での「行け、彼を捕らえよ!」とセットと考えれば、バイデン氏のホンネが漏れたと言えそうです。足元、バイデン氏の支持率は再びロイター/イプソス(40%)やNBC(40%)で過去最低を更新しているだけに、外交で大逆転を狙っていたとしてもおかしくありません。

政治ニュース大手ポリティコは、バイデン氏の傾向につき一文ですっきりまとめてくれています―「ペンシルベニア州スクラントン出身のバイデン氏、情熱的と感情に任せ言い過ぎてしまうところは自身を助けてきた一方で、スタッフの頭を悩ませてきた」。今回の「 この男が権力の座にとどまり続けてはいけない」も、まさに高ぶった気持ちのままに放たれ一部で喝采を受けると同時に、スタッフや当局者の頭を抱え込ませたことでしょう。何より、体制転換などロシアのような核保有国に使用すべき言葉ではなく、戦況悪化や和平交渉の障害となるリスクをもたらしかねません。


編集部より:この記事は安田佐和子氏のブログ「MY BIG APPLE – NEW YORK –」2022年3月29日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はMY BIG APPLE – NEW YORK –をご覧ください。