時代を駆け抜けた「キツネ目の男」の訃報に接して

宮崎氏の訃報

作家の宮崎学氏が亡くなったという報せが届きました。1つの時代が過ぎていった、そんな思いです。

「キツネ目の男」と疑われた事もある人物で、週刊誌記者を経て1996年に「突破者」で作家デビュー。アウトロー的な立場から、反権力・暴力団・部落差別などの視点で様々なメッセージを発信され続けたのでファンが多い事で知られています。

作家の宮崎学さん死去 76歳 暴力団など裏社会の実態描く(NHK WEB)

エラー|NHK NEWS WEB

ネット選挙の走り?

私が「このおっさん、相当気合い入ってるな」と思ったのが2001年夏でした。

当時、宮崎氏は「電脳突破党」というインターネット政党の走りのような政治団体を率いており、参院選の比例区で出馬をしていました。自民党で言うと1位舛添要一氏、2位高祖憲治氏という結果になった選挙で私が本格的に選挙運動に初めて携わった参院選です。その後、高祖氏が議員辞職するという色々とあった事も含めて、多くを吸収した夏でした。

さて、この時に宮崎氏は、警視庁前で第一声を行い、今でこそ当たり前となったインターネット選挙も、当時、法解釈の中で「文書図画」が公選法の対象になる事から、音声のみをウェブ上にアップするなどの運動を展開していたように記憶しています。また、売れている作家の出馬だけに応援弁士も多士済々でした。この「警察への挑戦」とも言うべき、ギリギリの線を攻めた選挙運動は、当時の私には刺激的で、研究対象であったのでした。

とは言え、純粋な一学生の私にとってアウトローのイメージがついている宮崎氏との距離感はあるものの「突破者」「不逞者」はじめ氏の著作を面白く読んだのを思い出します。

たまたまですが、今日4月4日月曜出しで構えていたブログがあるのですが、その中に「不逞者」に関連する記述もあり、このタイミングでの訃報に驚くばかりでした。大学卒業後、テレ朝時代には勉強会などでお会いする機会がかなりありましたが、振り返れば、政治の世界へ入ってからは接点そのもののが無くなっていまし。

情報リテラシーを学んだ

今、マスコミ情報が正しいのか?ネットの情報が正しいのか?

こんなテーマでSNS上やYouTube上では大きく議論されています。その2000年頃に既に「情報のあり方」を世に問い、ネットを駆使する事の必要性を訴えていたのが宮崎氏であり、私も先の参院選以来、ネット活用・ネット選挙を研究してきた者として時代が早過ぎた「突破者」のフロンティア精神に脱帽です。あの頃からメディアリテラシーは左右の言論層関係なく言われいたのに、改善されないどころか悪化している現況を早く食い止めなければと思う者です。

自身が博徒の親を持ち、被差別部落を背景に幼少期を過ごしてきたからか、反権力的な視点は常に持ち続けた信念もあったかと思います。

「近代の奈落」という全国の部落を訪ねて考察を重ねる著書もありましたが、私が宮崎氏から感じていた空気は「差別や貧困」を社会課題に掲げて為政者へのメッセージを発信していたのだと考えています。ちょうど2003年2004年頃は、そういう著作の影響を受けて、近畿地方を回って色々とレポートをまとめていた私です。

社会変化を肌で感じ

いずれにしましても、どう考えても「物の考え方」や「反権力思考」は学生時代から含めて、私とは全く異なる立居位置で現在に至っていますが、テレビ朝日で報道に携わる中で、ジャーナリストのあり方のようなものを学んだ側面はあると思います。

あの戦後最大の事件である「グリコ・森永」で重要参考人になった宮崎氏は事件の動機が「貧困・差別」から「見栄・欲望」に変化していると指摘され続けた。昭和・平成・令和との時代が流れる中で、正に宮崎氏の言う通りになっていると思いませんか。「生活が苦しくて」という犯行動機よりも「遊ぶ金が欲しくて」というニュースを毎日のように聞きます。

という事は、政治を含めた社会システムも、大きく変化しなければいけないのに政治家も役人も変化しきれていない。それが、コロナ禍の「政治と国民の乖離」を生んでいるのではないだろうか。私は、出来るだけ人に会って街場の声を聞いています。フィールドワークでしか、見えてこない真実があると無意識のまま学んでいたのかもしれません。私には私にしか出来ない政治活動、政策提言があると思い、今年度も突っ走っていきます。