イタリア・ドラギ首相がアルジェリアを訪問:アルジェリアの思惑とは?

アルジェリアがサンチェス首相への報復に出た

スペインのサンチェス首相が4月8日モロッコを訪問した3日後の11日、イタリアのドラギ首相がサンチェス首相に裏切られたアルジェリアを訪問。最高の儀礼でもって迎えられた。アルジェリアがドラギ首相の訪問を要請して即座に実現したものだ。

スペインは1975年までスペイン領土だった西サハラを独立国家とするか、モロッコに帰属するか、現地が住民が投票で決めるということにこの半世紀余り同意して来た。それがまた国連の決議案となっていた。一方のモロッコは西サハラはモロッコの領土だとしながらも、これまでの歴史的経緯からそこで自治制を導入することを主張して来た。

モロッコとはライバル関係にあるアルジェリアはこれまで西サハラの住民を支援し住民投票の実施を支持して来た。それはこれまでのスペインの外交姿勢と共通のものであった。

サンチェス首相の独断でスペイン外交は方向転換

ところが、モロッコとの外交問題で拗れていたスペインのサンチェス首相は突然変異したかのようにモロッコが主張する西サハラに自治制を導入することに支持することを表明したのである。その表明の仕方も極秘めいてモロッコのムハンマド6世に送った書簡の中でそれを示したのである。それを受け取ったムハンマド6世はサンチェス首相の極秘で両国の関係改善を図りたいという意向に反してその書簡の内容を一般に公開したのである。

ということで、それをアルジェリアが知ることとなり、同国はサンチェス首相に裏切られたという気持ちから、これまでスペインとイタリアに供給して来た天然ガスについてその比重をイタリアに大きく移して行くことを決定。そしてドラギ首相の早急なる訪問を要請したということなのである。しかも、アルジェリアはスペイン向けの天然ガスの価格の見直しをすることを明らかにした。

スペイン国内でもサンチェス首相のこの急転換に外交専門家やメディアは理解できないことした。①なぜこれまでのスペイン外交を変える必要があるのか?②その見返りとして価値あるものがモロッコから得られるのか? ③唯一、得られるのはスペインの北アフリカ先端の自治都市セウタとメリーリャへの不法移民の流入を防止することにモロッコが協力する程度のものではないのか?④アルジェリアはスペインが消費する天然ガスの45%を供給している国だ。この比重を無視してまでスペイン外交をモロッコ寄りに変えるだけの価値があるのか? というのも、これまでスペインは半世紀ほど国連の議決案に沿ってこの外交姿勢を維持しながらもモロッコとは二国間のあるべき外交を維持して来た。

今回の外交転換でスペイン政府はアルジェリアとは冷めた外交を維持せねばならなくなる。しかも2020年にはサンチェス首相はアルジェリアを訪問して両国の戦略的重要な関係を確認したにもかかわらずだ。この訪問が裏目に出てアルジェリアはサンチェス首相を裏切り者として評価し、彼が同国を訪問することは二度と実現できないことになった。

サンチェス首相の失態で棚から牡丹餅式に恩恵が転がり込んだイタリア

一方のドラギ首相にとってサンチェス首相のへまな外交で棚から牡丹餅式にロシアの天然ガスの依存から抜け出せる手段が転がり込んだ感じだ。イタリアはこれまで天然ガスの国内消費分の40%をロシアから輸入している。そしてアルジェリアからは国内消費分の30%を輸入。今回のアルジェリア訪問でこの輸入量をイタリアの石油・ガス会社エニ(ENI)とアルジェリアの炭化水素公社ソナトラック(Sonatrach)が合意の基に来年から40%まで輸入を増やす意向だ。(4月11日付「リブレメルカド」から引用)。

しかもアルジェリアがイタリアに重点を移すことができるのもイタリアは西サハラの住民による投票を支持して来た国で、アルジェリアと同じ姿勢だ。但し、問題として残るのはアルジェリアのソナトラックとロシアのガスプロムが協力してアルジェリアのバーカイン盆地の24か所で採掘調査を実施することになっている。この共同開発がロシアの天然ガスからの依存から脱皮しようとしているイタリアを含めEU諸国にどのように影響するか不明だ。

アルジェリアはロシアと中国、モロッコは米国

アルジェリアはロシアから武器の輸入では3番目に重要な国となっている。しかも、中国がアルジェリアでの多方面での開発に力を入れている。

一方のモロッコはイスラエルとの関係を深めているのも米国が背後から協力しているからで、モロッコは米国からの影響を強く受けている。

スペインへのガスのパイプラインはアルジェリアからとモロッコ経由の2つがあったが、アルジェリアはモロッコ経由を中断させている。米国のブリンケン国務長官がアルジェリアを訪問した際にモロッコ経由のパイプラインの再開を要望したが却下されるという経緯もあった。