核戦力を巡る野党の倒錯した認識

沖野 大輔

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ウクライナ侵略を巡ってプーチン大統領が2月27日に出した「特別態勢」命令は、核戦力に関する立憲民主党や日本共産党を混乱させるとともに、その倒錯した認識を明らかにしている。

朝日新聞によれば、プーチンは核という言葉は使わずに、核戦力などの意味も含む「抑止力」について特別態勢を取るよう命じたという。これはウクライナによる自衛戦争とそれを支援する欧米各国に対する、明白な核恫喝である。

これに対して、泉健太・立憲民主党代表は3月8日の街頭演説で次のように述べた。

核兵器を持っていたからといって、通常兵力で攻めてきたときに、核で報復攻撃をできるのか。そんなことはできない。持っていても使えない兵器が核兵器だ。抑止力にならない。

プーチンは2月24日の演説で 「ロシア、そして国民を守るにはほかに方法がなかった」とし、ウクライナ東部で、ロシア系の住民をウクライナ軍の攻撃から守り、ロシアに対する欧米の脅威に対抗するという「正当防衛」を主張した。この段階では通常戦力同士の戦闘が想定されるが、ウクライナの頑強な抵抗に遭ったことで核恫喝を行なうに至ったのである。

泉氏の認識では「通常戦力に対して核攻撃はできない」ので、プーチンの核恫喝の前に躊躇している自由主義国家群はありもしない脅威におびえていることになる。もし泉氏が「核兵器は持っていても使えない」と本気で信じているのであれば、今すぐアメリカに行って「ロシアは核兵器を持っていても使えない。地上軍を投入してウクライナを救おう」と説得してはどうか。

日本共産党も、4月15日付毎日新聞政治プレミアに田村智子・政策委員長が寄稿し、その倒錯した認識を明らかにした。

田村氏は「ロシアのプーチン大統領は、核兵器を使う準備があると発言し、核戦争を自ら示唆した。国際法を無視し自国民の犠牲もいとわない国が核兵器を持つと、人類全体を脅威に陥れることが明白になった」と指摘し、「今回のことで、核抑止の考え方がいかに危険かが示された。核兵器の脅威を取り除くには核兵器廃絶しかない。日本政府は核抑止力は必要だと主張するが、いまやその破綻ははっきりした」と語った。

「危険な国が核兵器を持つと人類全体に対する脅威になる」のは当然で、だからこそ危険な強権国家である北朝鮮の核開発には多くの国々が反対しているのである。では、ロシアや中国のような危険な国家がすでに核兵器を保有し、核恫喝を行なった場合の対処はどうなるのか。日本共産党の処方箋は「核兵器廃絶」だという。核恫喝を行なっている国が進んで核を廃絶するわけがないのだから、この処方箋には何の意味もない。「核兵器もミサイルも鉄砲も廃絶すれば戦争はなくなる」という児戯に類する発言である。

泉氏の議論に戻るなら北朝鮮が核を保有しても「持っていても使えないから安心」なのか。それは北朝鮮擁護の詭弁ではないのか。さらには核兵器が世界中に拡散しても「使えないから安心」ということにならないか。いままで立憲民主党をはじめとする左翼がさんざん利用してきた「反核運動」も、何の意味もなかったということになろう。「危険な国が持ったら危ない」と認める分だけ、共産党のほうがましである。

ちなみに核保有国であるイギリスは、核ミサイルを搭載したヴァンガード級原子力潜水艦を常時遊弋させつつ「自衛のための極限の状況においてのみ使用を考慮する」という方針を表明している。この「自衛のための極限の状況」は意図的に曖昧にされており、敵が核を撃たなければ自分も撃たないなどという制限はしていない。つまり、通常兵器による攻撃であってもその規模や内容によっては核で反撃する可能性を否定していないのである。

通常兵器しか持っていない国家がイギリスに大規模な攻撃を仕掛けることは到底考えられず、ロシアのような核大国であっても、イギリスを核攻撃する代わりにモスクワなど複数の大都市が壊滅するという賭けには出るのは難しい。普通の感覚ではこれを「抑止力」というのだが、日本共産党や立憲民主党は我々とは違う世界に暮らしているらしい。

このような意見に対して、我が国の野党や左翼団体は「そんなに戦争したいのか」「そんなに核を持ちたいのか」と逆上する。反対に「いくら軍備を増強しても核を撃たれたら終わり(よって自衛隊はいらない)」と言われることもあるが、この意見は相手が開戦当初から核(しかも戦略核)使用に踏み切ることを前提にしている。

いったい、核兵器は使えるのか、使えないのか。核が「最強の抑止力」であることは、すでにロシアが証明しているではないか。独自の核武装が現実的だとは考えないが、核大国が国際秩序を崩壊させようとしているいまこそ、核兵器を「持つべきか否か」「持てるか否か」「持てない場合にどうするか」をタブーなく議論する必要がある。

沖野 大輔
会社員、博士(政治学)。1965年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。一般企業勤務の傍ら50代で大学院に進学し、放送大学大学院で修士(学術)、国士舘大学大学院で博士(政治学)。政治と宗教との関係に関心を持つ。