生きがいと所得の源泉を一致させ得るか

大学生が会社員になることを就職というわけだが、その就職活動中の大学生は、少なくとも身なりにおいては、完全に個性を失い、大学生が本来もっているはずの多様性を全く欠いている。そして、就職後は、単なる身なりの没個性ではなく、人間としての個性を失った会社員になる。

そもそも、会社員になろうとする大学生に限らず、既に会社員になっている人も、家族の一員としての自分、地域社会の一員として活動する自分、学校の同窓会の一員としての自分、馴染みの居酒屋の常連客の一員である自分、趣味を同じくする同好会の一員としての自分、世界市民社会の一員として環境問題を考える自分など、多様な自分をもっている。その多様さが人間の個性だ。

働き方改革において、兼職が広く行われるようになれば、会社員の所得の源泉は多様化する。そのとき、どの源泉をもって、自分の職業というのか。人は、最も、生きがいを感じることをもって、自分の職業というのではないか。

生きがいといってしまえば、もはや、所得の源泉は関係ない。働き方改革においては、所得を得るための時間と、生きがいを感じるための時間は分離していって、働く人の個性が取り戻される。働き方改革が生産性革命になるのは、生きがいを感じるための時間を長くするために、所得を保ちながら、働く時間を短くしようとする努力がなされるからである。

明確な働くことの目的のもとで、最小の時間で最大の成果を実現するような働き方が自然に促されれば、生産性は向上し、自分の個性を磨く消費活動が刺激され、消費活動に充てる時間と金額が大きくなり、経済の好循環が実現するわけである。

従来の価値観において、会社員としての活動よりも、自分の生きがいである登山を重視することは、否定的に評価されてきたが、もはや、価値観は転倒したのである。趣味の登山が、趣味の域を超えれば、もはや会社員というよりも、専門的な登山家である。専門家として、山岳ガイドの域に達すれば、転職、即ち、収入を得るための活動領域を変更して、山岳ガイドになるのが自然な展開である。これが本当の転職である。

大学生が会社員になることは、未だ就職ではない。会社員が勤め先を変えることは、未だ転職ではない。真の就職は、真の転職であって、それは、会社員として働きながら、最終的に、生きがいと所得の源泉を一致させることである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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