習近平をジレンマに陥らせるプーチンのコソボ発言

グテレス国連事務総長が4月26日、モスクワを訪れてプーチン大統領と会談し、マリウポリの民間人退避に国連と赤十字国際委員会が関与することで原則合意したと報じられた。ロシアとウクライナ双方が、相手方が活用を阻んでいると非難し合う「人道回廊」だが、第三者が絡むなら実効が上がる可能性がある。

モスクワで会談するロシア・プーチン大統領(左)と国連・グテレス事務総長
出典:産経ニュース

会談でプーチンは更に注目すべき発言をした。27日の「TASS」に、プーチンがコソボに関する国連国際司法裁判所(ICJ)の判決に触れ、「自決権を行使する際、国家の領土は国の中央当局に主権を宣言する許可を申請する義務はない」、「私は米国や欧州諸国の法律、行政、政治機関の論評を全て読んだ。誰もがこれを支持している」などとした発言内容が載っている。

プーチンはコソボを例に引き、ドンバスの両共和国にも主権を宣言する権利があるとして、グテレスに対し「先例がある、そうでしょう? 貴方はこれに同意しますか?」と問うた。これにグテレスは「国連はコソボを承認していない」と応じたが、プーチンは「しかし裁判所はそれを認めた」と反論し、こう述べた。

ドンバスの両共和国もこの前例と同じことができる。ロシアは独立国家として承認する権利を得た。コソボに関しても、・・西側の多くの国が独立国家として承認した事実がある。ドンバス両国に私も同じことをした。軍事作戦を展開しているドンバス両国から、軍事支援を行うよう要請された。そして、我々は、国連憲章第7章第51条を完全に遵守して、これを行う権利があった。

プーチンが「コソボ共和国」を承認したに等しいこの発言は極めて深長だ。国連広報センターに拠れば、コソボ共和国は16年7月時点で日米英独仏など113加盟国に独立国として承認されている一方、ロシアを始め、中国、スペイン、インド、セルビアなど80余りの未承認国がある。

コソボを、グテレスが「国連が承認していない」とし、プーチンが「裁判所は認めた」と反論した辺り、前者は、安保理常任理事国の勧告に基づいて総会が決定する国連加盟の手続きに関し、セルビアの合意がないとしてロシアが勧告に賛成しないことを指し、後者は、ICJによる以下の結論を指す。

2010年7月26日 第64回会期 議事日程議題 77

コソボの一方的独立宣言が国際法に適合しているかに関する国際司法裁判所の勧告的意見の要請
コソボに関する一方的独立宣言の国際法適合性に関する国際司法裁判所の勧告的意見

Ⅴ. 全体の結論

122.以上、裁判所は、2008年2月17日の独立宣言の採択は、一般国際法、安全保障理事会決議1244(1999)又は憲法枠組に違反していなかったと結論した。したがって、当該宣言の採択は適用可能ないかなる国際法規にも違反していなかった。
独立宣言の採択は、一般国際法、安全保障理事会決議1244(1999)又は憲法枠組に違反していなかったと結論した。

そのコソボの略史が外務省のサイトにある。以下に要約する。

13~14世紀に中世セルビア王国とセルビア正教会の中心地となるも、1389年の「コソボの戦い」でセルビアがオスマン・トルコに敗退、コソボにイスラム教に改宗したアルバニア人が入植した。

時代は移り、1913年のバルカン戦争でトルコを破ったセルビアに奪回されたコソボは、18年にユーゴスラビア王国の一部となるも、第二次大戦中の41年に独伊及びブルガリアに分割占領される。

45年にセルビア、クロアチア、スロベニア、マケドニア、モンテネグロ、ボスニア-ヘルツェゴビナの6共和国からなる多民族国家ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が建国、セルビアの一部として「コソボ・メトヒヤ自治区」となる。63年「コソボ自治州」と改称され、74年にはユーゴ憲法の改正で共和国に準じた大幅な自治権を得る。

81年に共和国昇格を求めるアルバニア系住民(ア系住民)の暴動が発生、89年にセルビアはコソボの自治権を大幅に縮小するが、90年にア系住民は「コソボ共和国」樹立を宣言する。これにセルビアはコソボ議会と政府の機能を停止して直接統治を開始、ア系住民は武装組織「コソボ解放軍」(KLA)を組織し、武力闘争化する。

人道状況が悪化した98年、OSCEがコソボ検証団を派遣し、99年2月に和平交渉開始も、セルビアはNATO軍の展開を受け入れず決裂。NATOは3月末、コソボを含むセルビア全域の軍事目標と経済インフラへの空爆を開始、セルビアもKLA掃討作戦を強化し、数十万のア系住民がコソボから流出し難民化する(コソボ紛争)。

99年6月、セルビア軍のコソボ撤収によりNATOは空爆終了。安保理決議1244号の採択でUNMIKによる暫定行政が始まり、またNATO主体の国際安全保障部隊が展開。ア系難民が帰還する一方、約26万人の非ア系住民がコソボからセルビアに避難。

02年4月にUNMIKの「地位の前に水準」政策開始。07年3月、アハティサーリ国連特使が国際社会監督下でのコソボ独立案を国連に勧告するも、安保理決議案は採択されず。米露とEUの仲介によるコソボとセルビア間の地位交渉再開も不調に終わる(8~12月)。

08年2月17日、コソボ議会が「コソボ共和国」の独立を宣言。

こうした経緯のあるコソボによる「一方的な独立宣言」を、ICJが「いかなる国際法規にも違反していなかった」と判決した訳だが、プーチンがそれを、ドンバス両共和国を承認した2月21日の演説とその後の軍事行動を正当化するための方便に使ったことの影響は決して小さくない。

セルビアの激しい非難に遭った駐セルビア露大使が、「モスクワのコソボ政策に変更はない。一貫してロシアは、コソボを認めず、国連決議1244の実施を求めている」、「なぜロシアがコソボやセルビアに対する態度を変えたかのような解釈があるのか理解できない」と述べたことを29日の「Balkan Insight」が伝えている。

この露大使をプーチンが無事に済ますとは思われないが、それにも増して、大陸との統一を拒否する民進党政権下の台湾を併合するためなら武力行使も辞さない、と公言している習近平が、このプーチン発言から受けた衝撃もさぞ大きかろう。

筆者は「プーチンのいう『NATO東方不拡大』の『密約』を考える(後編)」と題した拙稿に次のように書いた。

ドンバス「両国」が14年に住民投票し、ロシア側に付くことを選んだのならその「民族自決権」も尊重されるべきではないか、との見方が成り立ち得まいか。賢いプーチンはその辺り抜け目なく、ドンバス「両国」の「併合」でなく「国家承認」とした。・・台湾に目を転ずれば、仮に台湾人が独立を望み、西側諸国の「台湾共和国」承認に関わらず北京が侵攻したらどうなのだろうか、との問題に行き当たる。チベットや内モンゴルや新疆ウイグルや香港の様になってしまえば「民族自決」など及びもつかない。が、台湾は間に合うのだ。

つまり、プーチンのウクライナ侵攻が真にドンバス両国の民族自決と国家承認を目指したものである場合、台湾を統一したい習近平はプーチンの行動を支持する訳にいかないジレンマに陥るということ。中国やインドがコソボを国家承認しない理由も、ロシアへの付き合いに加え、国内に少数民族の独立問題を抱えているからに相違なかろう。

プーチン発言が本心であれ失言であれ、苦肉でありプーチンらしくない。トランプの言うように彼は「変わってしまった」。グテレスはそこに付け入り、理由が何であれ「力による現状変更」は許されない、親ロシア派以外のウクライナ国民の自決権は無視するのか、と反撃すべきだった。