日本人が他人叩きをやめられない理由

日本人は他罰的で、物事の良い面より悪い面に目を向ける傾向があると考える人は少なくない。最近では「日本は不寛容社会だ」と評されたり、メーカーがYouTubeのプロモーションする場合において、日本人向けの動画はコメント欄をオフにする一方、英語圏はオンにするなどの措置を取っていたりする。

「お前は日本批判をしたいのか?」と言われそうだが、そうではない。筆者は海外向けYouTubeで日本の良いところを多面的に発信するスタンスを取っているし、海外ビジネスや投資で得た収益を日本に還元すべく、できるだけ日本製品サービスを買うように意識している。そういう意味ではかなり日本びいきと自負している。

だが、ニュートラルに文化レベルを俯瞰するに、日本人の他人叩きの傾向は認めざるをえないし、これは改善するべき点とも考える。本稿を通じて、「我が国がさらに住みやすい国家になれば」という気持ちを込め、微力ながら啓蒙活動の一環としたい。

erhui1979/iStock

他人叩きの正体は承認欲求

先日、次のツイートが話題になっていた。深く感嘆とさせられる本質を付く投稿に感じる。

x.com

我が国においては、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がある通り、成功者ほど謙虚であるスタンスが好まれ、過度に自分の優位性を誇る姿は下品と見る人は少なくない。それでもめげずに自分のPRがすぎると、「特定班」と呼ばれる一派に恥ずべき過去を掘られ、一気に称賛から批判へと流れが逆転するという光景はこれまでに何度も見てきた。

そうした文化的事情も手伝い、本心での自分の優位性を誇りたい気持ちを抑え、他者を叩くという形で歪んで出てしまうと考える。つまり、他人を叩く理由は承認欲求もかなりの程度あると思うのだ。

批判の皮をかぶった自慢

筆者は英語を教えている立場なのだが、応援や感謝の声に混じって批判を受け取ることもある。批判自体は問題ないし、建設的な意見についてはできるだけ真摯に対応するように努めている。だが、批判ではなく承認欲求を満たす目的としか思えない「批判の皮をかぶった自慢」もそこそこ届くのである。

先日受け取ったものは、「自分は英語の専門家なのだが」というものから始まり、「自分は過去にこれだけ英語の高い教育を受け、現在はこんな仕事をしていて…」と自分の権威を非常に長く取り上げ、「そんな権威性のある自分から見て、あなたの意見はおかしい」という結論で結ばれていた。

筆者の意見がおかしいと感じたのであれば、どの部分について、具体的に、どうおかしいのか?を論理的かつ言語化して示さなければ議論になり得ない。「あなたは間違っている」と一言しか書いていなければ、その妥当性を判断するのは難しい。また、非常に長い長文の9割が投稿主の英語歴の権威の話だったが、そのほとんどが記述する必然性を感じないものだった。批判と自慢、この投稿のアンバランスさを理解した瞬間、「ああ、この人がしたいのは本当は批判ではなく、自分の実績を誰かに聞いて褒めてほしかったのだな」と理解した。褒めてほしいなら、素直にそう言えば良いのにと思う。

こういう人は世の中に少なくない。それにしても不思議なのは、この手の批判風自慢のコメントは中高年の男性からしか受け取った経験がないのはなぜだろうか。彼らのくすぶっている承認欲求が、説教や批判という歪んだ形で出てしまうのだろうか。そう考えると気の毒に感じなくもない。

承認欲求は自己表現で解消せよ

冷静に考えれば批判は百害あって一利なしだ。もしもあなたが誰かから「他人を批判しなさい。ただし、メリットは一切なく、時間も労力も失うタダ働きだ。下手をすると相手から名誉毀損の訴訟リスクがあるがどうか?」と聞かれたらそんなバカげたことはしたいと思わないだろう。ではどうやってこのムダな行動を止めるべきか?

その答えは「発信者になる」である。発信媒体は記事でも動画でもなんでもいい。自分の特技を活かして作曲、芸術などでもいいだろう。視聴者側ではなく発信者側に立てば、この手の批判風自慢という呪いに、時間とエネルギーを奪われずに済む。以下にその根拠を述べる。

発信者に立つと、視聴者の時にはまったく分からなかった風景が見えるようになる。慣れないうちは、カメラの前で5分話すだけでも大変な苦労だ。思い切って録画した動画を見返すと、台本のセリフを棒読み状態で自己嫌悪に陥るのは最初は誰もが通る道だ。また、記事を書こうと思えば1文字も出てこずに苦労するだろうし、書いている内に色々と書きたいことが浮かんでしまい、支離滅裂な文章が出来上がるだろう。

また、苦労するのは創作過程だけではない。いざ勇気を出して発信すると、市場からは忌憚のない厳しい意見が飛んでくる。温かいコメントをくれる人もいるが、現実のシビアさはPV数や視聴維持率で嘘偽りない結果が突きつけられる。9割はその苦しさにたちまち発信を止めてしまうだろう。

だが、これを経験しておけば、他者の努力に寛容になれる。筆者は昔からゲーム好きなのだが、「自分ならもっと面白い話にするのにな」と思うことがあったが、今は物書きをする立場なので「よくこんな壮大な物語を作ったものだ」「このセリフの言い回しはすごいセンスだな」と感心するばかりになる。悪いところが目につく代わりに、センスや才能が光る良い部分ばかり気づくようになるのだ。

他人の批判ばかりしている人は、ぜひ創作活動に打ち込むことをおすすめする。批判コメントを書く時間を、自分の記事を書いたり動画を撮ったりすることに充てるのである。視聴者から感謝や称賛の声が届けば、承認欲求は自然に満たされ、心穏やかな毎日がやってくるはずだ。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。