景品表示法を改めて考える

官製談合や入札制度に関する論考がしばらく続いたが、今回は2年ほどご無沙汰になった景品表示法関係の話題を扱いたいと思う。直近の話題として、大幸薬品に対する消費者庁による措置命令とそれへの同社の対応は、多くの読者がメディア報道に接したことだろう。

消費者庁は先月、「「空間に浮遊するウイルス・菌を除去」などとうたった商品には効果を裏付ける根拠がなく、景品表示法違反(優良誤認)にあたるとして、「大幸薬品」(大阪府吹田市)に対し、表示をやめることなどを求める措置命令を出した。」(朝日新聞デジタル2022年4月15日記事)。

大幸薬品のクレベリン 大幸薬品株式会社HPより

消費者庁によれば、限られた条件でのみ成り立つ効果がその他の条件でも期待できるかのような表示であったことが問題だったとのことである(消費者庁HP参照)。同社と消費者庁との攻防は複数の関連商品について展開されてきた。「置き型」以外の商品については、同社の東京地裁への仮差止の申し立てが認められなかったので、1月に既に排除措置命令を受けている。

「置き型」については地裁では仮差止の申し立てが認められたが4月に高裁で覆されたので今回の排除措置命令となった。これに対して同社がどう対応するかが注目されたが、つい先日、同社は違反の事実を認め、問題となる表示を改めたという(各社報道参照)。

広告は人々の消費行動に一定の影響を与える、言い換えれば広告される製品やサービスの購買意欲を高めるために用いられる(他社の製品やサービスに対するネガティブ効果を期待するものもあるかもしれない)。

正確な情報を消費者に伝えるという趣旨も広告にはあるが、短い時間、小さい紙面で効果的に影響を与えるためには、細かい情報を丁寧に説明する訳にもいかない。短い言葉で端的に、そして購買意欲につながるような印象を相手に与える、そういう思惑で作られる広告は多かろう。

知名度の高い芸能人やスポーツ選手、CMでの展開される面白いシナリオ、コピーや映像等々、関係者は知恵を絞るが、そうそうヒット作品は出てこない。そもそも広告の対象になる製品やサービスをヒットさせること自体が大変だ。

大変だからこそ、実際のものよりも優良、有利であるかのような表示を伴う広告に手を出してしまう誘惑に駆られる。意図的に虚偽の表示をするつもりがなくても、「このくらいなら大丈夫」という弱さ(甘え)がそこに出てしまう。テレビ宣伝などでは製品やサービスとは関連のはっきりしないコピーや映像も多く駆使されているではないか。宣伝される製品やサービスとは直接何の関わりのないタレントが起用されているではないか。

そういった「印象」勝負のやり方ばかりに接していれば、どこまでが許される広告なのか、担当者のコンプライアンス意識は麻痺してしまうだろう。しかし、事実に基づかないままなされる製品やサービスの優良さ、有利さを示す表示は、一線を超えている。起用されたタレントや面白いコピーに接しても、消費者はそれらだけで「ある事実の存在」を「ミスリード」される訳ではない。

景品表示法における表示規制は、ここに規範の線引きをするのである。もちろん、どのような事実があればどのような表示が許されるのか、詳細は個別のケースにおいて詰めて考えるしかない。最後は司法の手に委ねられる問題である。

冒頭のケースがどのような事情があったのかは、筆者には分からない。どうしてそのような表示をするに至ったのか、内部でどのような議論があったのか。裁判に出るくらいであるから、リーガル部門のチェックや弁護士事務所との意見のやり取りはあったはずである。同社としては「景品表示法上、問題なし」と判断したからこその対応だったはずだ。とするならば、結果とのギャップはなぜ生じたのか。

「商業は相手へのリスペクトから始まる。」これは私が学部時代にゼミの教授から学んだビジネス論の第一歩である。その基本さえ踏まえていれば、事実に基づかない表示などほとんどのケースで避けられるだろう。しかし、争いは少なからず起こる。そういったケースの積み重ねは、ビジネスに係るコンプライアンスの重要な材料となる。