ウクライナ国防省は先日、これまで2万人のロシア兵が戦いで亡くなったと発表した。ウクライナ側からいえば、大きな戦果かもしれない。ロシア側にとっては大きな損失だ。
先日、ウクライナ戦争で亡くなったロシア兵を埋葬する場面が放映されていた。兵士の家族は涙をみせず、きりっとした姿勢で葬儀をしていた。ロシア軍関係者が埋葬に立ち会っていた。亡くなったのは若いロシア兵士だ。
一方、ロシア軍の攻撃を受けて亡くなったウクライナ人の家族は黒いビニール袋に包まれた遺体に向かって号泣していた。ドイツや英国のニュースではウクライナ人の涙を多く見た。多分、同じぐらいロシア側でも涙が流されたと思う。墓地で埋葬されるといった葬儀は期待できない。時間がないからではない。埋葬する安全な場所もなく、葬儀を担当する聖職者もいないからだ。
戦争では多くの兵士、民間人も亡くなるから「何人が亡くなった」といわれても次第に無感覚になっていくのを感じる。「平時」では1人でも事故で犠牲となった場合、「亡くなった」という事実に心が痛むが、「戦時」の場合、「誰が死んだか」より「何人死んだか」にその関心が移動する。死んだ人間のアイデンティティは限りなく薄まり、数字の中に個性は消えていく。
ハイブリッド戦争という言葉がメディアでは流れているが、正規戦、非正規戦、サイバー戦と共に情報を武器として相手側を混乱させたり、誤導する情報戦はよく知られている。情報の伝達手段が広がることで、情報も多種多様なものとなる。「平時」の情報は生活や仕事に役立つが、「戦時」の場合は戦略として利用されるから、その段階で情報は日常生活での意味を変え、暗号化する。
ロシア移民家庭出身でパリ生まれの哲学者で「プーチン大統領研究」のエキスパート、ミシェル・エルチャニノフ氏は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で、「プーチン大統領は新聞やインターネットで情報を得ることはない。そこには正しい情報がなく、フェイクニュースだけだと信じている」と説明し、プーチン氏自身は自分を歴史学者と考え、過去の歴史的文献を好んで読んでいるという。
プーチン氏の奇妙な歴史観
ちなみに、プーチン氏はフランスのマクロン大統領と何度も電話会談しているが、マクロン大統領は後日、「自分は彼(プーチン氏)から奇妙な歴史の話を何度も聞かされた」と証言している。プーチン氏がマクロン氏との電話会談を断らないのは、「マクロン氏がプーチン氏の歴史を忍耐強く聞いてくれる生徒だからだ」というのだ。
ラブロフ外相の「ヒトラーにユダヤ人の血」発言を聞いて思い出した。ひょっとしたら、プーチン大統領はソ連軍がベルリンで押収したヒトラー関連文献を読んでいるのではないか。ヒトラーは敗戦が濃厚となり、もはやチャンスはないと判断、愛人と共に自害した。
その直後、ヒトラーの潜伏地に入ってきた赤軍(ソ連軍)はヒトラーの死を確認するとともにヒトラーが残したさまざまなメモ帳やナチス軍関連の書類、文献などを押収してモスクワに持ち帰ったといわれている。
すなわち、歴史家プーチン氏がクレムリンでヒトラーが残した書類、文献、個人的メモを熟読しているシーンが浮かび上がってくるのだ。その中にはヒトラーの主治医のメモも含まれていたかもしれない(米国がヒトラーの主治医のメモを入手したといわれる)。
ヒトラーが服用していた内服薬から精神安定剤や痛み止め用の麻薬まで、その種類が判明するはずだ。それだけではない。ヒトラーの悩みも記述されているメモがあったかもしれない。世紀の独裁者ヒトラーが後半、半病人の様な人間であったことはほぼ間違いないはずだ。
ヒトラーが1930年頃から「自分の家系にはユダヤ人の血が流れているのではないか」と悩んでいたといわれる。そのため最側近に調査を依頼した。歴史家の調査によると、「ヒトラーにユダヤ系の血が流れている証拠は見つからなかった」と報告されたが、その真偽は不明だ。
プーチン大統領はヒトラー関連の文献を漁るように読んだろう。プーチン氏にとって信頼できる情報は新聞やテレビの報道からは得られないことを知っているからだ。
ラブロフ外相の発言の真意
ラブロフ外相はイタリアのメディアとの会見で、「私が間違っているかもしれないが、ヒトラーにもユダヤ人の血が流れていた」と主張したが、プーチン氏の忠実な外相、ラブロフ氏が自ら考えた上で語った内容でないことは確かだ。それでは「誰からそのような発言をするように言われたのか」だ。答えはプーチン氏以外にはないのだ。
プーチン氏はどのよう歴史的文献を読んだのか、そこに何が記述されていたのか、「ヒトラーの家系図」を発見したのだろうか、「戦時」の典型的なフェイク情報に過ぎないのか、フェイクニュースとすれば、誰を第1ターゲットにしているのか、等々の疑問が出てくる。
だ、「なぜ、この時にラブロフ外相がそのような発言をする必要があったのか」を考えると少しは理解できる。プーチン氏はウクライナ侵攻の主要目的にウクライナの非ナチ化を挙げていた。これを西側に説明するためにラブロフ外相の発言が必要となったのかもしれない。
この場合、情報の真偽は二の次だ。フェイクニュースは事実かも知れないと思わせるだけでその使命は終わるからだ。ロシアはこれまでこの手のフェイクニュースを世界に流してきたプロ集団だ。
イスラエルのベネット首相は5日、プーチン大統領と電話会談を行った。そこでプーチン氏はラブロフ外相の発言の件で「謝罪」したという。きっとベネット首相は「ラブロフ外相の情報源」についてプーチン氏にそれとはなく尋ねたはずだが、いい返答は得られなかったのではないか。
両首脳の電話会談の中で、プーチン氏は、ゲットー(強制居住区)や死の収容所で拷問され、ナチスによって殺された600万人のユダヤ人のうち、40%はソビエト国民であったことを想起させ、ベネット首相に、「イスラエルに戻った戦争退役軍人に、健康と幸福な余生を願っていると伝えてほしい」と要請している。
歴史家プーチン氏の面目躍如の発言ではないか(「クレムリン英語版公式サイト」から)。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年5月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。