日本の上級国民でなく上流階級を世界との比較で論じる

アゴラ編集部が『NATO東方拡大をめぐる八幡・篠田論争の論点整理』という記事を書いて下さった。やはり論争、とくに立場が違うもの同士だと、モデレーター(仲介者)がいるほうが建設的な議論になると思う。

篠田先生に限らずほかの筆者の方であろうが、一般読者の方とでもFacebookなどの場で、論点が整理された形での議論をおおいにやりたいと思う。

saiko3p/iStock

ところで、Twitterでは、この問題について篠田先生が敬愛されるある先生が「八幡さんは学閥と門閥・閨閥の調べ物をせっせとやって、日本の近代国家のこの疑似部族システムを解明して・・・」とか書いておられた。

ちょうど、今週、『家系図でわかる日本の上流階級この国を動かす「名家」「名門」のすべて』(清談社)という拙著が刊行になるので、宣伝を手伝ってもらえそうで光栄だ。どうも、こちらの分野の仕事は評価していただいているのだろうか(この投稿と関連して場外乱闘になっているのは私と関係ないので論じない)。

ただ、一言言わせていただければ、私がこうした本を書いているのは、日本国内のガラパゴス的関心に向けてとか、日本独自の手法によるものではない。

私がこうした本を書き出したのは、フランス留学したときに、権力や富など社会の構造を、そのリーダーたちの出自、学校とか結婚とかも含めて、どういう力学で動いているかを綿密に調べ議論していることを識り、日本でも同じ手法を持ち込みたいと思ったのが出発点だ。

そのためにヨーロッパの政治家の家族関係も、フランスだけでなくロシアなどの王侯貴族の世界についても、かなり勉強した。その成果が、『フランス式エリート育成法』(中公新書)であり、いまもフランス社会について勉強する人にはよく読んでいただいている。

そして、その手法を日本の過去や現在を分析するのにも使っているし(『江戸300藩の通知表』)、日本の皇室(『令和日本史記』)、二世代議士(『世襲だらけの政治家マップ』)、さらには、海外の王室(『英仏独三国志』、『日中韓三国興亡史』)とかいったフランス以外の歴史を読み解くためにも使っている。

現代日本の問題を理解するためには、海外の類似例や過去の経緯を調べることは、双方向にとても有益なのだ。

官僚やビジネスマンなど『上級国民』をdisるより『上流階級』にもっと関心を

「上級国民」という言葉が流行したのは、池袋の交通事故に関連してであったが、本当の上級国民は官僚や企業のサラリーマン重役ではない。

日本では万世一系といわれる皇室が国民統合の象徴として敬愛されているし、政治の世界でも世界に類例をみないほど世襲が多い。なにしろ、平成になってから23人の首相がいるがそのうち4人を除いて何らかのかたちで世襲政治家なのである。

日本人は世襲が好きである。およそ本人の才能と修練にだけよるはずの芸術の世界なども含めて、老舗を引き継いでいることに、合理性を超えたほどの価値を見出す。

しかし、皇室は皇位継承問題や眞子様騒動で曲がり角にある。政界も高校卒で上京し、苦学と下積み生活からのし上がった菅義偉首相が登場したが、世襲政治家たちに袋叩きにあって一年で退陣し、ともに日本有数の名門政治一家に連なる岸田文雄と河野太郎の争いで後継者が決まった。

そのことの善し悪しについても本書では論じているが、ここでは、それをどう評価するかより、日本の上級国民の世界の全貌についての正しく知るということに重点を置きたいと思う。

このところ、個人情報への過剰な配慮から、閨閥、学歴・職歴などについての情報の入手が困難になっているが、隠したところで、それらがものをいう社会でなくなるわけでない。むしろ、縁故での利得を批判されることなく享受させるのに貢献しているだけのように思う。

フランスで私が感心したのは、出身階層による不公平が極端にならないように、あらゆる分析が行われ、対策が講じられていることだった。それに比べて、日本では、そういう意識がまったく欠けているのは残念だ。

もちろん、門前の小僧として、あるいは早期教育を受けたがゆえの良さはあるわけだし、名門にあっては子弟に伝統を継承させるべきであるが、それを受けた者が排他的なマフィアを形成したりするのはよくないし、世襲でなく優れた才能を見出しての早期教育もされるべきだろう。

また、詳しく論じるが、世襲が優位に立つと、表面的なものまねになりがちだ。政治家が典型だが、それらしく振る舞うことで、済ますことは、基礎からしっかり学び、苦労して経験を積んで来た人の境地に至らないことも多い。その意味で、日本では、しばしば世襲勢力の過度の優遇がさまざまな分野の発展を遅らせていると思う。

たとえば、料理の世界では、老舗が過度に有り難がられてきたが、「料理の鉄人」に始まるテレビのグルメ番組や、ミシュラン・ガイドに代表される忖度なしの格付けのお陰で、この国は急速にグルメの国に生まれ変わった。

とはいっても、この国で、名門に生まれた人たちが、ある種の責任感をもって、伝統を継承しようと努力していることは、それが排他的に作用しない限りは、結構なことである。そういう観点から、名門というものの全体像を知り、また、名門が継続していくためにどんな努力がされているかについて知識をもつことも大事だ。

また、新しい名門が生まれたり、子育てや教育の参考になれば結構なことだ。そこで本書では、伝統的な名門の頂点にたつ皇室。そして、旧華族社会(全華族一覧表あり)、さらに、経済界、家元やなどお稽古事、歌舞伎、宗教界などの名門についても紹介している。