ロシア軍のウクライナ侵攻を批判し、欧米諸国と共に対ロシア制裁に参加した日本に対し、ロシアは3月7日、日本を「非友好国」に指定し、4月27日にはモスクワ駐在の8人の日本外交官の強制退去を通告、そして5月4日、63人の日本人にロシア入国禁止措置の制裁を科した。
リスト入りしなかった記者の複雑な思い
興味深い現象といったら怒られるかもしれないが、日本では誰が63人のリストに入ったかで注目を集めているのだ。岸田文雄首相や林芳正外相など政府関係者から与党政治家、実業界、大学教授、メディア関係者までリストアップされている。朝日新聞や読売新聞はリストに載った日本人の学者やメディア関係者の名前まで実名で報じていた。
朝日新聞論説委員(ロシア・国際関係)の駒木明義氏は4日、「私が入っていなかったので少し複雑な思いです」というコメントを朝日新聞のウェブサイトに発表していた。ロシアの63人の制裁リストに掲載されなかったことを素直には喜べず、「少し複雑な思い」に陥っているという正直な告白だ。ロシアの独裁者プーチン氏から、「お前はよくやっているから制裁リストには載せないよ」と言われても自慢はできない。リスト入りしてこそ本当の記者だ、といった思いが湧いてきて「少し複雑な思い」になるのだろう。
個人を対象とした制裁で注目されたモスクワ総主教キリル1世
欧州連合(EU)の欧州委員会ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は4日、対ロシア制裁の第6弾目の内容を表明したが、その中で個人を対象とした制裁では2人の名前が注目された。
1人はロシアのプーチン大統領を精神的に支えるロシア正教のモスクワ総主教キリル1世だ。同1世の名前を聞いた時、「宗教関係者の最高指導者まで制裁リスト入りか」と唖然とする一方で、「キリル1世の場合、制裁は時間の問題だろう」と思わざるを得なかった。
制裁にはハードとソフトの両面があり、その内容は入国禁止から資産凍結まで様々だが、宗教指導者を個人制裁リストに載せることは非常にまれだ。過激なイスラム教指導者が制裁リストにアップされたことはあるが、キリスト教会の正教会最高指導者が制裁されるのは今回が初めてだ。EU加盟国27カ国の承認を受け、制裁は発効する予定だ。
キリル1世はプーチン大統領のウクライナ戦争を「形而上学的な闘争」と位置づけ、ロシア側を善として退廃文化の欧米側を悪とし、善の悪への戦いと解説する指導者だ。
東方正教会のコンスタンディヌーポリ総主教、バルソロメオス1世は、「モスクワ総主教キリル1世の態度に非常に悲しんでいる」と述べ、ジュネーブに本部を置く世界教会協議会(WCC)では、「ロシア正教会をWCCメンバーから追放すべきだ」という声が高まってきた。世界の正教会でもキリル1世の戦争支持に強い反発が出てきている。
欧米メディアによれば、キリル1世は他のロシアのオリガルヒ(新興財閥)と同様、海外に資産を保有しているというから、やはり驚かされる。キリル総主教は2009年にモスクワ総主教に就任して以来、一貫してプーチン氏を支持してきた。プーチン氏への信頼は揺るぎない。総主教は欧米社会の同性婚を非難し、同性愛は罪だと宣言。同時に、少数派宗教グループに対する取り締まり強化を歓迎している指導者だ。
もう一人はプーチン氏の愛人、アリーナ・カバエワ氏
2人目はプーチン氏の愛人、アリーナ・カバエワ氏だ。彼女の名前も制裁リストに掲載されている。新体操の元五輪金メダリストのカバエワ氏についてはこのコラム欄でも「プーチン氏の愛人はスイスにいない?」(2022年3月31日参考)で紹介した。
カバエワ氏は2015年、スイス南部のティチーノ州ルガーノ市で女児を出産した時、女児の父親はプーチン氏だという噂が流れた。ロシア大統領府報道官はそれを否定したが、EU委員会が今回、カバエワ氏を制裁リストに入れたことで、プーチン大統領と彼女の関係が対外的に公認されたことになる。
彼女の名前は欧州での資産凍結、欧州内の旅行禁止リストに掲載されているという。カバエワ氏はクレムリンのプロパガンダ機関でもある「ロシア・メディア会社」(NMG)の最高経営責任者(CEO)で、ウクライナ戦争を擁護してきた。プーチン氏との関係は長いという。
プーチン氏は、「私の家族関係者に対して欧米側が制裁した場合、それ相当の報復を覚悟すべきだ」と警告したことがあるだけに、カバエワ氏の制裁リスト入りはプーチン氏の怒りを買う危険性が出てくる。
ウクライナ戦争が長期化すれば、欧米側の対ロシア制裁リストは更に長くなるだろう。ロシア側の制裁も同じように拡大、強化されてくることが予想される。ひょっとしたら、先の朝日新聞論説委員の名前がロシア側の対日制裁リストに載る日が到来するかもしれない。その時、同論説委員がどのようなコメントを発信するか、楽しみだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年5月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。