『致知』2014年3月号の特集「自分の城は自分で守る」に、作家・北康利さんと私との対談記事があります。次の一節は、その時私が発した言葉です――いまの世の中はどこか自立心に欠ける人が増えている。自分を頼って生きていく、そういう人間に我われ一人ひとりがなっていかないといけない。
福沢諭吉の『学問のすゝめ』に、「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るるものは必ず人に諛(へつら)ふものなり」、とあります。「独立」というのは、独りで立つと書きます。それは自分の二本の足で確りと地に足をつけて立つ、自立するということです。又それは経済的のみならず、精神的にもです。付和雷同するようでは全く駄目で、主体性を確立して行かなければなりません。
此の独立の「独」ということの東洋における意味は、一言で言えば相対に対する絶対ということです。独の人は、何ら他に期待することなく徹底して自分自身に対して生きています。宮本武蔵の如き「一剣を持して起つ」境涯に至って、初めて人間は真に卓立し、絶対の主体が確立するのです。
上記に関し私は嘗て、次のようにツイートしたことがあります――これは国の場合でも勿論同じで、一国の安全や防衛を他国に依存しているが故に、阿(おもね)ったり、諂(へつら)ったり、媚びたりするのです。そのような甘え心やもたれ心を人においても、国においても一切無くす事が非常に大事であると思います。いずれ憲法改正も必要になってくるでしょう。
之は11年半以上も前のツイートですが、漸く我国でも本年2月ロシアによるウクライナ侵略を契機に、「米国に何でも彼んでも尻尾を振り付いて行っては大変なことになるかもしれないぞ!」「今後も現行憲法を金科玉条の如く後生大事に守り続けて行って本当に大丈夫か?」、といった議論が現実味を帯びてきました。
あの日本共産党ですら、「急迫不正の主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めてあらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守りぬく」(志位和夫委員長)と、宗旨変えするような有様です。あれだけ自衛隊をけちょんけちょんに言ってきた、にも拘わらずです。之こそ正に、党としての自立が全く出来ず、何時までもフラフラしている集団の典型と言えましょう。
日本を取り巻く環境は激変しています。独立国を維持することは、「ありがたい…有ることが非常に難しい」ことなのです。独立には主体性に基づく責任というものが伴わなければなりません。それは国家であれば世界秩序安定に向けた責任、個人であれば世のため人のため生きる責任です。
日本及び日本人の主体性喪失を招いてきた「マッカーサー押し付け憲法」は、今月施行から75年を迎えました。我国の将来を考えるに、「独立自尊」ということが益々必要な時代になっているように思います。此の独立自尊こそが個々人の主体性確立には必須であり、その結果として品格の向上にも繋げて行くのです。
共産主義国としての東欧諸国が崩壊に至るまで大体70年掛かったように、物事の移り変わりというものは大体60年から70年を一つの区切りとしています。そしてその変わり方は何れのケースでも、主体性を取り戻すということなのです。我々は、独立自尊の思想が皆無の現行憲法の異常性につき、これから如何に処すべきかが問われます。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年5月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。