職業を専門性からとらえる限り、会社員という職業はないというほかなく、経理、営業、研究開発などの会社員としての職務の分担が職業だということになる。実際、働き方改革の一つの重要な側面は、会社員という抽象的な立場を消滅させて、個別具体的な専門性のある職務の担い手に転換させることである。しかし、他方で、哲学者という職業はあり得なくて、哲学を教える大学教授という職業があるだけである。
さて、職業を社会との関係性、社会への寄与、社会から期待される役割等と考えれば、哲学者や会社員という職業もあり得るであろう。誰でもが社会のなかで何らかの位置を得て、何らかの関係をもち、何らかの役割を担っているから、その位置、関係、役割を職業というのなら、哲学者としての社会的地位は職業である。
そして、哲学者は、家族、大学、学会、日本国、世界市民社会などの様々な社会関係に重層的に属し、多数の役割を兼務しているが、一般的には、所得の源泉としての大学教授の地位や、高度な専門性を象徴する学会の会員としての地位が職業といわれるのである。
同様に、趣味の登山について高度な技術をもつ会社員は、家族、勤務先の会社、会社のなかの所属部門、所属部門のなかのチーム、登山の同好会、日本国、世界市民社会などの様々な重層的な社会関係のなかにあって、ある職務の専門家であり、高度な技量をもつ会員で構成する山岳会などに属していれば半ば職業的な登山家だが、一般的には、所得の源泉である会社員としての地位をもって職業とするのである。
自分の何であるかを問われたときには、その問いが発せられた状況に応じて、人は様々に異なる答え方をできるはずだが、実際には、この問いが発せられる状況というのは、所得の源泉や専門的知見が問題になっている場合が多い。要は、人は実利的で実用的な関係性のなかで生きている度合いが強いわけである。
しかし、家族の一員としての自分、地域社会の一員として活動する自分、学校の同窓会の一員としての自分、馴染みの居酒屋の常連客の一員である自分、趣味を同じくする同好会の一員としての自分、世界市民社会の一員として環境問題を考える自分などは、自分にとっては大切な自分なのであって、人から自分の何であるかを問われたとき、所得の源泉や専門的知見を差し置いて、敢えて名乗るとしたら、どの自分なのか、そこに真の自分が表明されるのではないか。
森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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