欧州の代表的な中立国といえば4カ国だ。そのうち、スウェーデンとフィンランドの北欧2カ国が15日、北大西洋条約機構(NATO)に加盟することを決定した、直接の契機は今年2月24日から始まったロシア軍のウクライナ侵攻だ。ウクライナがNATO加盟国だったならば、ロシアはウクライナに侵攻できなかっただろう。NATO加盟国30カ国を相手にすることになるからだ。
NATO憲章第5条には、加盟国一国への他国からの武力行使は全加盟国への攻撃とみなし、自衛権を行使することが記述されている。ウクライナはNATO加盟国ではないため、NATOから直接の軍事行動としての援助を受けることは出来ない。NATOはキーウが要求してきたウクライナ上空飛行禁止圏設置をロシアとの直接交戦の危険が出てくるという理由で受け入れることができなかった。
北欧の中立国2カ国の中立国というステイタスの放棄
「他山の石」ではないが、北欧の中立国2カ国はロシアの軍事侵攻の危険性が排除できないとして、これまで馴染んできた中立国というステイタスを放棄し、軍事同盟のNATOに加盟することを決意したわけだ。フィンランドのサウリ・ニーニスト大統領とサンナ・マリン首相は「歴史的な出来事だ」と強調していた。ロシアと1300キロに渡る直接の国境を構えるフィンランドにとって、ウクライナ戦争で文字通り赤ランプが灯されたのだ。
それでは他の欧州2国の中立国、スイスとオーストリアはどうか。両国の大きな相違はスイスはNATOばかりか欧州連合(EU)にも加盟していないが、オーストリアは1995年1月以来、EU加盟国という点だ。
スイスの中立主義は1815年、関係国間の議定書によって成立し、締約国はスイスの中立を保障する一方、他国によってその中立が侵害される場合、スイスを援助する保障義務が明記されている、一方、オーストリアの場合、10年間の4カ国(米英仏ソ)の占領統治期間後、1955年に憲法で中立主義を宣言した。スイスのような締約国の保障義務は明記されていない。前者を絶対的永世中立、後者を相対的永世中立と呼んでいる。
アルプスの中立国スイスはロシアがウクライナに侵攻した直後、EUの制裁に消極的だったが、2月28日、欧米の対ロシア制裁に参加を表明、3月4日にはロシアからの輸入を禁止し、ロシアの銀行を国際銀行間通信協会(SWIFT)から排除するなど、金融活動に幅広い制限を科した。そして同月16日には、ロシアの個人や企業・団体に対する制裁対象を拡大し、ロシアとベラルーシのオリガルヒ(新興財閥)や著名な実業家を含む個人197人と9つの企業・団体がリストに追加された。
ウクライナのゼレンスキー大統領はスイスに対してはロシアのオリガルヒの資産と口座を凍結するように要求している。スイスのニュースサイト「スイス・インフォ」によれば、スイス国内の銀行が保有するロシア人顧客の資産は総額2000億フラン(約25兆円)に上るという。
ただ、スイス政府も国民も中立主義の放棄は考えていない。スイスは今年、国連に加盟して20年目を迎えた。同国は2002年、国民投票によって国連加盟を実現した(国連の190番目の加盟国)。そして今、安全保障理事会の非常任理事国に立候補している。同立候補は政府の決定に基づくもので、国民投票ではない。
すなわち、スイスは国連機関を通じて世界の平和実現に貢献する“国連外交”に重点を置いているわけだ。スイスのジュネーブは1920年に設立された国際連盟の本部だった(現在は国際連合欧州本部)。だから、スウェーデンやフィンランドの北欧中立国とは地理的、政治環境からみて異なっている。「スイス・インフォ」によれば、スイスでもウクライナ戦争を契機に中立主義の見直しを求める声も聞かれるが、その数は少数派だ。
オーストリア国内で中立主義の見直し、NATO加盟問題といったテーマは消滅
一方、オーストリアだ。オーストリアの首都ウィーンはウクライナから距離的にもあまり離れていない。ウィーンにはロシア人、ウクライナ人が多数住んでいる。欧州最古の総合大学の一つ、ウィーン大学にはウクライナ語科があって、ウクライナ人の教授がウクライナ語を教えている。ウクライナ戦争の現状については、現地から逐次情報が報じられている。
ウィーン入りしたウクライナ避難民への救援活動も活発だ。ただ、オーストリアはフィンランドやスウェーデンのようにウクライナ戦争を契機に中立主義を見直す声は驚くほど小さいのだ。ひょっとしたらスイス人よりもその声は小さいのではないか。
ロシア軍のウクライナ侵攻後、オーストリアはEU加盟国として対ロシア制裁を実施してきた。その点、スイスと変わらない。ただ、オーストリアはロシアとは繋がりが深い。ロシアの前身国家、ソ連はナチス・ドイツ政権に併合されていたオーストリアを解放した国であり、終戦後、米英仏と共に10年間(1945~55年)、オーストリアを分割統治した占領国の1国だ。
首都ウィーンはソ連軍が統治したエリアで、市内のインぺリア・ホテルはソ連軍の占領本部だった。シュヴァルツェンベルク広場にはソ連軍戦勝記念碑が建立されている。政治家や政党の中には親ロシア派(特に、社会民主党、極右「自由党」)が少なくない。
ウクライナ戦争が勃発した直後、ロシア大使館前の鉄の門に赤いペンキが投げ込まれて汚れるという出来事が生じた。ロシア大使館前に集まったデモ隊は、ロシア軍のウクライナ侵攻に声高く抗議した。それに対し、ロシア外務省が3月5日、「オーストリアは中立主義を守れ」と異例の抗議声明を出したほどだ。
興味深い現象は、ロシア軍のウクライナ侵攻直後、オーストリア国民の中にも中立主義の見直しが話題となったが、ウクライナ戦争の長期化がみられ出すと、オーストリア国内で中立主義の見直し、NATO加盟問題といったテーマは消滅していったことだ。
ロシアに対して軍事的脅威といった感情は、オーストリア国民はあまり持ち合わせていない。ウクライナ戦争勃発から80日を超えた今日、ウクライナ戦争がもたらした危機感が薄れていく一方、国民は現実的になってきた。エネルギー供給でロシア依存が明確になってきた(オーストリアは天然ガスの90%をロシア産に依存している)。
国民は厳冬、暖房の無い部屋で過ごしたいと思わない。Gemutlichkeit(心地よさ)を大切にする国民性も手伝って、北欧の中立国とは異なり、中立主義こそ自国の安全を守る最良の手段だ、という確信が一層固まってきたのだ。口の悪い人は「オーストリア国民の中立主義信仰」と呼んでいる。
オーストリアで今、NATO加盟を叫ぶ政治家はほとんどいない。国営放送の政治コメンターが、「NATO加盟を求めて国民投票の実施を叫べば、恥をかくだけだ。国民は加盟を願っていないからだ」という。
ロシアとウクライナ間の停戦交渉のテーブルには「ウクライナの中立国化」が挙がっているという。NATOには加盟しない一方、EUには早期加盟するという案(ウクライナのオーストリア化)だ。交渉は妥協の産物だ。
北欧の中立国が放棄した中立主義が停戦交渉で再び生き返るかもしれない。そうなれば、戦争中も中立主義を死守したオーストリアの頑迷さが再評価されることになるかもしれない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年5月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。