日本は海外事業運営でリーダーシップを取れるか?

外国人役員や管理職が社内で知らぬ間に増えていた、という方もいらっしゃるのではないでしょうか?大手企業は海外進出どころか、海外での収益が本体の屋台骨を支えるような時代です。自動車、機械、電機各社は国内販売の低迷や人口減のデメリットを補うために海外に打って出ています。ユニクロの柳井社長の長年の目標の一つに海外戦略があり当初苦戦しましたが、今は伸びています。小売業もアジアを中心に世界進出が加速します。その一方で欧米では日本人の現地事業経営者が育っていないとされます。なぜでしょうか?そしてそれを習得し、リーダーシップを発揮する時代は来るのでしょうか?

SARINYAPINNGAM/iStock

バンクーバーは永野万蔵氏が1877年に初の日本人として移民した後、日本人移住先のメッカの一つとして深くその歴史が刻まれています。当然、輩出した日系人も相当増えているはずですが、日系人がカナダの政財界で活躍したという話はあまり多くありません。もちろん歴史的に日系人にとってネガティブな時代が存在したことは事実ですが、それから77年経っているのでそれが主因だとも思えません。

私の知る限り、日系人は優秀なマネージャーを経験した人が多いという印象です。つまり実務を熟知し、現場に入り込み、仕事をきっちりこなすタイプです。しかし、そこから上に上がれないのです。まさかこの時代に人種差別はないと思いますが、白人社会で上に立つのが難しいのは歴然たる事実です。つい最近も私の知る40代の日系二世の方が白人系の会社を退職し、独立しました。理由は「会社で昇格候補に入ったものの仕事ができない白人が選ばれた。その理由が『管理職の(人種の)バランス』だと知らされた」と。

なぜ、白人主導型の企業で日本人が上になれないか、いくつも理由はあると思います。少なくとも日系人は英語が主たる言語故に英語が理由ではないことは確実です。私が思う可能性は日本人/日系人があまりにも実務に特化しすぎて夢やビジョンという大車輪を動かすのは得手ではないから、という気がするのです。もちろん現場に精通することは重要です。ですが、アメリカでは企業経営の渡り鳥のようなプロ経営者が沢山います。彼らは現場にはなかなか降りてきません。ずっと経営という視線、トップ同士の人脈、戦略などに専念します。現場を動かすのはそのマネージャー、シニアマネージャーの責任であり、経営者はそれができる人たちの能力を買っているわけです。ある意味、きっちりした分業です。

ところが日本企業の場合は何かあると「社長!大変です」になります。そして不祥事があれば必ず社長なり経営トップが頭を下げます。これは完全なる日本文化で欧米では理解しにくいものです。もちろん、私は欧米スタイル万歳などというつもりは毛頭ありません。が、社長が全部できるわけでもないのだから各部門、組織に自律機能を持たせるのが経営者の仕事だと思うのです。

また社長が一般社員と車座になって話をしたりランチ/酒を飲むことも美談の一つとしてしばしば耳にします。これぞフラット社会の代名詞です。しかし社長がそこまで下りて行かねばならないということは中間管理職が忖度して本当のことを言わないわけでこれでは「プーチン化している」と言われかねません。

新入社員と社長の共通点は何でしょうか?それは働く時間がほぼ同じ長さということです。では日本で偉くなりたがらない人が増えた理由は何でしょうか?責任と報酬見合いが悪いのです。そして企業は報酬をケチるから社員が育たないのです。課長になったら給与を5割増し、部長になったら課長の2倍、役員になったら部長の3倍にしたら皆必死になるでしょう。そういうメカニズムがないのです。

それはムラ社会思想が強すぎて組織論先行になることもあるでしょう。強い平等主義です。2:4:2の法則に乗っ取るなら2割の優秀な人が2割の成果が上がらない人に足を引っ張られます。しかし日本は組織経営を大事にします。役員会でも誰が権限持っているのかよくわからないフラット会議を良しとする傾向もあります。もちろん国内事業だけならそれでもよいでしょう。しかし、海外に進出するならば企業文化もアプローチの仕方も使い分けが必要です。

ではマネージメントはどうやったら経験を積めるのでしょうか?私の場合は「放り出されたこと」「孤独だったこと」「退路がなかったこと」が全てでした。バンクーバー赴任に際し、1000億円事業だと言われながら本社からA4数枚の概要書をくれただけで「お前に任せる、だが、事業の金の工面も保証もできない」と放り出されたのです。私は必死で金の工面をします。本社には事業進捗の報告はしますが、本社から役に立つインプットはゼロというよりうざい、邪魔をする、足を引っ張る分、マイナスの存在でした。事業の推進準備も自分でしました。それでもできたのです。開発と工事と販売を10年強、ほぼ3人でやってきたのです。

私が会社買収をし開発事業を完成させた後は違う事業を推し進める必要がありました。甘えは許されず、自分は屏風なのだという気構えがあったと思います。屏風は金色ですが、買収直後は風が吹けば倒れるような軟弱なもの。それをいつかは金色にしてみせる、とずっと思っていたのです。そうするには「任せる」という思想がありました。

コーヒーショップを8年間経営していた際、スタッフから「社長、忙しいからコーヒー作ってください」と何度となく言われました。さすがラテアートは描けませんがエスプレッソマシンは使えます。が、私は客向けには一度も作ったことがありません。それは当時の私の右腕の言葉があったからです。「社長がコーヒーを作ったらスタッフになってしまいます」と。

そうです、完全分業です。そして社長である私はリーダーシップと開拓者としての道案内をする、そのあとを優秀なスタッフが着実で堅固なものにしていくのが理想です。もちろん、しばしばいうように私はプレーイングマネージャーでもあります。但し、私が担当する実務業務は他の人と被らない業務ばかりです。

私は人とは群れず、自分で歩き、新しい人と会い、違う世界を覗き、インスパイアされるように努めています。この心地よい刺激こそが創造力への活力となるし、人を引っ張る力になると思っています。腰の据わった信念こそ、海外でのリーダーシップの源であると思っています。そうすれば欧米の人でも必ずついてくることでしょう。

これが5月16日付ブログの「(海外の)前線に立ち、運営ができるようになるか」という私の経験であり、答えです。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年5月20日の記事より転載させていただきました。