大人びた6歳の少女について:ステップファミリー奮闘記

出会った時、その少女は6歳だった。

子育てなどしたこともなく、幼児の「年相応」というものがわからない自分だったけれど、「ずいぶんと大人びた子だな」と感じたことはよく覚えている。

幼児特有の天真爛漫さは控えめで、大人同士が喋っている時は、少し空気を読むかのように控えている。

「いろいろなところに連れ回しすぎて。大人たちと囲まれている時間が長かったから、同年代の子たちよりだいぶ落ち着いている気がするの…」

ひとり親として彼女を育てる、シングルマザーの母親は言った。

大人たちに慣れているようで、どこか警戒しているようにも見える少女。

会う回数・遊ぶ時間が増えると打ち解けた気もするけれど、いつその人がいなくなってもいいように、どこかで線引をしているようにも感じられて。

彼女が無邪気に笑って過ごせる、そんな信頼できる存在になれるだろうか。

安心できる居場所をつくれるだろうか。

いまなお、ずっと考えていることの一つ。

次女はもうすぐ6歳になる。

あの頃の少女と比べると、まさに幼児らしく飛び跳ねて、どんな時でもかまって欲しいと可愛らしくせがむ。

まったくタイプは違うのだろうけれど、そんな次女の成長を重ね合わせて今年、一つに何かがつながった気もする。

大人びた少女は今日、14歳になった。今は私の長女だ。

初めて「パパ」と呼んでくれた時のこと。

打ち解けてからは幼児らしい一面を見せて、ひまわり畑で一緒にはしゃぎまわったこと。

ワガママを初めて言ってくれた時が、むしろ嬉しかったこと。

昨日のことのように思い出しながら。

大人びていた彼女は、すっかり我が家で一番のしっかりものに成長しました。

父親としての役割がどこまできちんと果たせているのか自分にはわからないし、今の家庭が彼女にとって居心地が良いのかにも、絶対の自信はないけれど。

ダンスで実績を出して、やりたいことに全力投球。まっすぐに成長していく姿を、6年間足りない分、これからも沢山みせて欲しいと心から願いつつ。

14歳のお誕生日おめでとう、長女よ。

なんだか14歳って特別な気がするのと、次女があなたと出会った時の年齢になる、その節目に心よりの愛をこめて。

娘になってくれて、ありがとう。

幸多き1年になりますように。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2022年5月21日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。