ロシアのウクライナ侵攻により、これまで軍事的中立を保ってきたフィンランドやスウェーデンがNATO加盟を目指している。その動きに思わぬ壁が立ちはだかっている。NATO加盟国のトルコだ。トルコは両国が「テロリストを匿っている」として、加盟に反対する意向を示しているのである。NATOへの加盟は全加盟国の賛同を要する。トルコは制度の“バグ”を突いた格好だ。
トルコの主張の整理
まずトルコの主張を検討しよう。トルコが主張するところの「テロリスト」とはトルコ領内・イラクでトルコ軍のクルド人攻撃に抵抗するクルディスタン労働者党(PKK)、シリアにおけるイスラム国との戦闘に主要な役割を果たした人民防衛隊(YPG)などのクルド系勢力、また、エルドアンの政敵となったギュレン派のことだ。
「匿っている」との主張だが、両国ともこれら組織に関与する多くの亡命者を受け入れているものの、積極的に反トルコ活動へ支援を行っているわけではない。寧ろ、同盟国アメリカのほうが、公然とYPGにせっせと武器を送っている。
トルコが「テロリスト」と見做す勢力は、当然、反政府的ではあろうが、トルコが支援していたとの疑惑もあるイスラム国と異なり、大量殺人、組織的な住民の迫害など人道にもとる行為に手を染めていたわけではない。
一方、スウェーデン・フィンランド両国は、自由と民主主義、人権を重んじる先進国として当然の行いとして、トルコ国内で政治的弾圧に晒される人々を「匿っている」のである。トルコの御用ジャーナリストはトルコ国営通信のウェブメディアにNATOに関する論考を発表し、その中で「トルコの要求は明確で、テロリズムに関する共通の認識を持つこと」としたが、シリアのアルカイダ系イスラム過激派への武器支援、イスラム国の拡大を放置、実質利用していた祖国の過去の行状をどう見るのか気になるところだ。
つまるところ、トルコの主張とは単なる言いがかりである。
腑に落ちないトルコが反対する理由
トルコがスウェーデン・フィンランドに言いがかりをつける理由について、一般的には両国のNATO加盟への反対撤回を餌に様々な譲歩を勝ち取ろうとしている、また、ロシアに恩を売ろうとしていると解説される。
前者については、防衛産業大国スウェーデンがトルコへの武器禁輸措置を継続していることが挙げられる。トルコの恫喝に屈し、トルコ政府が求める人々を引き渡すようなことをすれば、「亡命者らを政治取引の材料にする国」として人権大国の名は地に落ち、国家の根幹を揺るがす事態になるだろう。
トルコは、少数民族を弾圧し、政権に異を唱える者を容赦なく拘束するロシアと同レベルの国だ。そのような国の言いなりになるということは、ロシアに屈するのと変わらない。そのため、武器取引であれば、両国も妥協可能ではないかという分析だ。
一方で、トルコは両国の武器をそこまで切実に求めているのかは疑問である。NATOの盟主アメリカが仲裁に乗り出さざるを得ない事態を招来し、ロシア製地対空ミサイルを購入するなどアメリカへの敵対行為によって排除された「F-35計画」への復帰を目論んでいるかもしれない。
スウェーデン・フィンランド共に早期の加盟を目指しているとするが、近い将来にロシアの侵攻が予想される状況ではなく緊急性があるわけではない。スウェーデン議会では、野党が「トルコの脅しなど無視せよ」と要求している。フィンランドでは、ある議員が「トルコのケバブを禁止にしクルドのケバブだけ許可せよ」との声まで上げている。両国内にも安易な妥協を許さない空気が醸成されており、トルコがすんなりと要求するところのものを勝ち取れるかは怪しい。
また、後者の「トルコ派両国のNATO加盟を阻止しロシアへの恩を売る腹積もりだ」という観点については、決定的な要素とは言えない。
トルコは、戦争開始以前からウクライナに接近し、売却した国産ドローンが新ロシア派攻撃に使われるなど、プーチンの神経を逆なでしてきた。しかし、戦争が始まるとロシアとウクライナ代表をトルコに招き会談を主催したように、どっちつかずの行動を続けてきた。
また、プーチンは、ロシアが主導する軍事同盟CSTOの会合で「フィンランドとスウェーデンのNATO加盟それ自体は脅威ではない」と発言していた。虚勢であることを差し引いても、ロシアにとって差し迫った対応を要する事態ではないということだ。現在の戦況と制裁による経済悪化を直接的に好転させる行動でもない限り、プーチンに対する“恩”にはならないだろう。
プーチンは、エルドアンにNATOを攪乱させる駒としての価値を見出すに違いない。トルコは目的を達するどころか、ウクライナ侵攻で相対的に上がった株を自ら落とし、NATOの問題児として孤立を深めるだけに終わりそうだ。
トルコ・エルドアン政権の一番の目的とは?
日本のメディアは勿論のこと、海外メディアもこの一件について論じる際、一つ重要な観点が抜けているのではないだろうか。既に論じたように、トルコの主張には正当性がなく、また、要求を通すために真剣な外交交渉をしようという態度が見られない。エルドアン政権の一番の目的は、「クルド問題について欧米に妥協せず物申す」との国内向けのアピールではないかとみられるのだ。
トルコは、インフレになす術がなく国民生活は悪化し、エルドアンによる事実上の独裁体制には不満がたまりつつある。最近、最大野党・共和人民党(CHP)の有名議員が「大統領と政府を侮辱した」として「懲役5年」の判決が下され、多くの支持者が通りに繰り出し抗議デモを実施した。クルド系政党への弾圧はもはや問題にもならないが、建国の父アタテュルクが結成した“由緒正しい”CHP議員への露骨な弾圧は、国内に深刻な政治対立が生じていることを示す。
こうした中で、来年には総選挙を迎えることになる。エルドアン政権はかつて、成長率が鈍化する中で強権体制への高まる批判に直面したことがあった。当時、今回問題となっているクルド勢力のPKKと和平交渉を続けていたが、権力維持を図るため、交渉を打ち切り、民族主義者が求めるクルド人弾圧再開に踏み切った。
スウェーデン・フィンランドは、亡命クルド人を受け入れてきたことで、民族主義者たちの怨嗟の的となってきた。クルド問題について両国に物申す絶好の機会が、NATO加盟申請によって生まれたのだ。
エルドアン政権がクルド問題解決への取り組みを放棄してから、トルコはクーデター未遂、シリア侵攻、リビア介入など問題行動を続けている。今のトルコは、国益追求といった合理的な行動原理ではなく、クルド問題への感情に支配されていると言える。
一方で東地中海のガス田問題などでトルコと対立するギリシャは北欧2国の加盟のため動くとしていて、NATO加盟国同士の争いが生じる気配がある。ロシアのウクライナ侵攻はNATOの存在意義を再確認させたが、同時に、欧米と価値観を同じくしない加盟国を抱える深刻な問題に直面することとなった。