露とウクライナの「和解」は時期尚早?

ロシア軍がウクライナに侵攻して以来、隣国の主権を蹂躙したロシアは侵略者であり、ロシア軍の激しい砲撃を受けるウクライナ側は犠牲者である点で国際社会にはほぼコンセンサスが出来ている。だから、欧米諸国は軍事大国ロシア軍の攻撃を受けるウクライナに経済支援、そして武器の供給を実施する一方、侵略者ロシアに対して過去にないほどの厳しい制裁を科してきた。

ロシアとウクライナ両国の和解を呼びかけるポスター(ウィーン市と「ウィーン経済会議所」の共同作成)

停戦交渉の動き

ウクライナ戦争は勃発後、24日で90日を経過し、状況は長期化の傾向が見られ出した。ロシア側は軍体制の整備、強化、軍需品の補給に乗り出す一方、ウクライナ側は欧米諸国に重火器の供給を強く要請、クレバ外相はスイスのダボスで開催中の「世界経済フォーラム」(WEF)に出席し、欧米側に多連装ロケット砲システム(MLRS)の供給を要請するなど、重火器の入手に努力している。

同時に、様々なルートを通じて停戦交渉の動きが見られる。ロシアもウクライナ側も永遠に戦争できないからだ。戦況が激しくなり、兵士や民間人に更に多くの犠牲が出てきた場合、「停戦に応じるべきだ」という動きや要求が国内外から出てきても不思議ではない。

両国民の和解を呼びかけたポスターが広げた波紋

ところで、オーストリアの首都ウィーン市で市とウィーン経済会議所(WKO)が共同でポスターを出した。ロシア出身の商工会議所関係者(男性)とウクライナ出身の看護師(女性)が手にそれぞれロシアとウクライナの国旗を形どったカードを持ち、両国民の和解を呼びかけている。両者は夫婦だ。ポスターには「Gemeinsam、Dasistunser Wien」(一緒に、これが私たちのウィーンです)と書かれている。

平時の時(戦時ではない場合)には全く問題にならないポスターだ。両国同士の連帯を呼びかけることに文句を言う人は少ないだろう。しかし、時はウクライナ戦争中だ。ウィーン在住のウクライナ人たちが、「ロシアの戦争の罪科を相対化する試みだ」と激しい抵抗の声を挙げたのだ。

そのため、WKOは急遽、そのポスターを商工会議所のWebサイトから削除した。その理由は「両国民間のいがみ合いに油を注がないために」という(ウィーン市はそのポスターを来週まで使用する予定)。

オーストリア在住ウクライナ人は、「残忍で不当なロシアのウクライナ侵攻が3カ月続いた後、ここオーストリアでは、ウクライナ人の意見を聞くことなく、ロシアの罪悪を相対化する試みが行われていることに憤りを感じる。ポスターは、ロシアとウクライナ両国は戦争当事者であり、連帯が犠牲者と侵略者の間で平等に共有されている、というメッセージを伝えている。ウィーンのような国際都市では、政治的議題に和解を置くことは高貴な考えかもしれないが、和解は現在、間違ったメカニズムだ」と説明している。

「いつ」になったら両者に和解、連帯を呼びかければいいのか

ロシア人とウクライナ人のカップルは多い。モスクワ居住のウクライナ女性は、「夫はロシア人だ。夫と共にウクライナ戦争が早期に終わることを祈っている」と言っていた。「私の妻はロシア人だ。多くのウクライナ国民を殺害するロシア人には怒りを感じる」といって、ロシア出身の妻と離婚した、といった話は聞かない。

両国民は一緒に共存することを願っているが、戦争の被害者側にあるウクライナ人には、「この時にロシア人と和解を呼びかける言動はロシア人の戦争責任を曖昧にするだけだ」という思いがどうしても強くなるのだろう。

同じことが今年4月15日の復活祭の聖金曜日の行事の中で起きている。ローマのコロッセオで2000年前のイエスの十字架の受難を再現した式典「十字架の道行き」が行われた。そこでローマに住むウクライナ人とロシア人の2人の女性が十字架をもって共に行進しながら、ウクライナ戦争の終結をアピールしたが、ウクライナ側から、「ロシア軍が戦争犯罪行為を繰り返している時、ロシアとの和解、連帯を演出することは良くない」といった声が出てきた。

バチカン側は対立する両民族の和解を演出することで、イエスの教えをアピールできると考えたのだろう。しかし、実際はウクライナ側から批判や非難の声が出てきたのだ。平時ではなく、戦時だからだ。平時の論理は戦時では通用しないばかりか、相手側に怒りを与えることにもなるのだ。

それでは、「いつ」になったら両者に和解、連帯を呼びかければいいのか。「いつ」だったら、ウィーンのポスターは問題なく、復活祭の式典「十字架の道行」で物議を醸さなくなるのだろうか。侵略者の罪科を相対化させないために、戦場から砲弾の音が消えて停戦が実現してからだろうか。

「和解」や「連帯」という言葉は高貴な内容なので、政治や外交の世界では好んで使用されるが、ウクライナ戦争の場合、残念ながら、それらの言葉を使うには時期尚早なのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年5月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。