『家系図でわかる 日本の上流階級 この国を動かす「名家」「名門」のすべて』(清談社)では、岸田家とか安倍家とか日本を支配する有力政治家一族が主たるテーマだが、47都道府県の世襲政治家事情もまとめて紹介している。
今回はその中から、岩手県、香川県、鹿児島県について紹介してみようと思う。本文を少し改編したものだが、岩手県で花巻東高校出身の大谷翔平選手が、実は小沢一郎と同じ、奥州市水沢の出身だというようなことも取り上げている。
【岩手】大谷翔平の故郷は小沢一郎の地元
二刀流・大谷翔平選手は、花巻東高校の出身だが、故郷は水沢(奥州市)。仙台藩重臣のミニ城下町で、家臣から高野長英、後藤新平、斎藤実(首相)を輩出した。
自民党の副総裁だった椎名悦三郎は、高野と後藤の縁者。商工官僚の先輩である岸信介の側近で、外相として日韓交渉をまとめ、戦後最高の外相という評価もある。その後を継いだ息子の椎名素夫は名古屋大学工学部で学んだ技術者で米国通として知られた。
1990年の総選挙で落選し、参議院に転出したが、自由に「正論」を主張できる立場になって、「無所属の会」を率いて重きを成した。
同じ水沢出身の小沢佐重喜は日大夜間部を卒業し弁護士となった。戦後、故郷から代議士となり、運輸相、建設相などを務めた。長男の小沢一郎は、二浪ののち慶大経済学部に入り、卒業後は日大大学院で司法試験を目指したが、父の急死を受けて1969年に27歳で代議士に当選した。
海部内閣の幹事長として剛腕ぶりを発揮したのち、新生党、新進党、自由党、民主党、生活の党、国民民主党、立憲民主党と渡り歩いた。地元で絶対の強さを誇っていたが、2021年の総選挙では小選挙区で敗れたが比例復活。
【香川】大臣になったばっかりに落選したデジタル相
菅義偉内閣のデジタル相だった平井卓也は四国新聞オーナー一家の出身。祖父の太郎は参議院副議長や郵相だった。父の卓志も学習院大学卒で四国新聞の社長であり、参議院議員、労相を務めた。卓也は上智大卒。西日本放送社長ののち一九九六年の選挙に香川一区で新進党から出馬して藤本孝雄元農相に敗れたが、2000年には無所属で当選。2003年からは自民党公認。
2003年から小川淳也(立憲民主党)と戦っているが、デジタル相となったことで、企業との癒着をたいした根拠なく面白おかしく書かれた上に、小川を主人公としたドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』がヒットした。
その効果は抜群で、小川は判官贔屓に乗って大差で平井に勝利した。映画の内容は客観的に見てアンフェアだったが、メディアを掌握してきた平井への反発はくすぶっいtなおが表面化しただけともいえる。ただし、小川のナルシスト的な側面も報道の餌食になりつつあり、次の展開がどうなるか分からない。
【鹿児島】選挙が最大の産業と言われた奄美大島の保岡・徳田戦争
奄美群島は戦後、沖縄と共に米軍施政下にあった。このために、1953年に本土復帰した後、奄美は独立した小選挙区になり、全国一といわれる激しい選挙戦で知られた。
鹿児島県副知事を務めた保岡武久と外交官で参議院全国区で当選した事もある伊東隆治のシーソーゲームが続いたが、伊東の死と保岡の高齢引退で終止符が打たれ、保岡の子で中央大学を出て裁判官だった興治で安定するかと思われたが、1983年からは医療法人徳洲会の徳田虎雄が参入。三度目の挑戦となった1990年の選挙では当選した。
1993年の選挙では奄美特別区が廃止され、旧一区に編入され両候補とも当選。小選挙区に移行してから、保岡興治は鹿児島市中心の一区、徳田は薩摩半島南部と奄美からなる二区にまわり、両方議席を得た。保岡は二度法相を務めたが、2017年の選挙では癌の治療を理由に宏武に譲ったがで立憲民主党公認の川内博史に敗れ落選。2021年は比例単独候補となって当選。
徳田虎雄は2005年には息子の毅を立て、毅は当選後に自民党入りしたが2012年の選挙のときの選挙違反で辞任に追い込まれた。
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