『環球時報』が報じる米国の対ウクライナ武器貸与法

2月24日に始まったロシアによるウクライナへの全面侵攻は、ここへ来て、プーチンが当初そこの平和維持を目標とする趣旨を述べたドンバス地域と、2014年に支配下に置いたクリミア半島の北部地域への集中侵攻にギアチェンジされた様だ。

これらの地域でロシア軍の配給を受ける現地住民の有り様が、進駐軍に群がった終戦直後の我が国民の姿と筆者の目に重なり、こうした状況に置かれた時の無辜の人々の弱さと、それとは裏腹な一種の強かさとが過ぎって、悔しくそして悲しい。

ウクライナをここまで3カ月間持ち堪えさせている要因は、先ず何よりウクライナの人々の国を守る強い意志だが、米国を始めとする西側諸国(ロシアも「西側」と言い始め、自ら旧ソ連時代に戻ったことを認めている様で皮肉)の武器などの支援も大きい。

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さらに米国は5月9日、「武器貸与法」を80年振りに復活させた。一部米メディアはかつての同法を、チャーチルに求められた「ナチスと戦う」ためのものと報じたが、今回の同法が「ネオナチと戦う」と主張するロシアと戦うためのものであることも皮肉なことだ。

西側の武器援助が戦争を長引かせ、ウクライナ国民を苦しめているとの論がある。一面の真実だろう。が、それなしに占領された暁に行われる惨劇は『共産党黒書(ソ連編)』(ちくま学芸文庫)に詳しい。ここはそれを知悉するウクライナ国民が民主的に選んだ為政者の判断に任せる他ない。

5月10日の中国共産党系『人民日報』傘下の『環球時報』がこの「一面の真実」を強調している。見出しには「ウクライナ、米国の貸与法下で負債の罠に陥る危険性」。中国には「自らが他から言われていることを他に向けて言う」癖がある。

その要旨はこうだ。

「米国は米国人の命もウクライナ人の命も考慮しない。バイデン政権のウクライナへの軍事援助はロシアに対する代理戦争だ。米国は紛争を利用して、ロシアを弱体化させることを望んでいて、軍事援助で紛争を長引かせようとしている」

「世の中にタダ飯はなく、米国の援助でより多くのウクライナ人が死ぬ。武器貸与法はウクライナを債務の罠に引き込み、戦争で荒廃した国を米国の新しい植民地にする。受け取る国は後で支払いをしなければならないだろう」

「長引く戦争の最大の受益者は、紛争から金を稼いでいる米国の軍産複合体だ。米国が武器を注ぎ込み続け、平和的解決を妨害することで、ウクライナは貧困と後進国と債務の泥沼に引きずり込まれる。ウクライナ人の血は、戦争が終わった後も混乱と戦争から金を稼ぐ吸血鬼米国に吸われる」

記事は、中国からの脅威の程度に応じた台湾への武器売却を可能にしている米国国内法「台湾関係法」を意識している。かつての「武器貸与法」は「不参戦」を出馬の公約にしたルーズベルトの一策だが、「台湾関係法」も今度の「武器貸与法」も同盟関係にない国に対する支援の一策だ。

日本の世論にも同記事と似た主張がある。思想信条や言論の自由がある日本では、それも尊重されて良い。が、同記事が「債務の罠」に絡めて「第二次大戦中、米国から武器を受け取っていた英国が、支払いが完了したのは終結から61年後の2006年だ」としているのは正しくない。

須藤功明治大学教授の研究に拠れば、欧州大戦終了時までの「武器貸与援助」は「戦時債務・賠償問題が戦後復興の重大な障害になった第一次大戦の経験を踏まえ、ブレトンウッズ体制への協力を条件に・・帳消し」され、対外援助として国際経済の戦後復興を担った。

国別・物資別の金額は次の様だ。

41年3月から51年3月までに総額で約502億ドルの物資やサービスが貸与された。英国が63%、ソ連が22%、フランスが7%と、この3カ国で90%を占めるが、中国(蒋介石の国民党政府)も約16億ドル(3%)を貸与されている。

ただし、全額が帳消しにされたかといえばそうでなく、相互援助や現物返還のほか、欧州大戦終了以降の貸与分の一部の割賦返済など、米国に戻った分もある。英国の場合、「清算協定」によって、6.5億ドル(2%)が『環球時報』の言う06年までに割賦返済された。

ウクライナへの武器貸与援助が『環球時報』の言うようにウクライナを「債務の罠」に嵌めるかどうかは今後のことだが、同法が上院を通過した4月7日の『Politico』は、「これは、装備品の事実上の贈与(de facto gifting)を可能にし・・」と報じているから、帳消しになる可能性もあろう。

かつての「武器貸与法」について、『トルーマン回顧録』(恒文社)に、欧州大戦が終わった45年5月に武器貸与を一旦終了した時の出来事に関し、日本人として看過できない記述があるので紹介する。

武器貸与法の援助の突発的中止は蜂の巣を突いたようにソ連を怒らせたのである。ソ連側は米国の反友好的な態度に不平を述べた。米国は疑いもなく、チャンスさえあればスターリンが持ち込もうとしていた論争の種を与えることになった。(中略)

武器貸与法を突如中止したことは、明らかにクローレー(*対外経済局長、武器貸与の責任者)とグルー(*国務長官代理)が政策を作ったのをそのまま盲信的に適用したものだった。もちろん武器貸与法をソ連にもその他の諸国にも最終的に打ち切ることは完全に適切で正しいことだ。

結局、我々はヤルタでソ連側がドイツ屈伏後三カ月後に対日戦に参加するというソ連の協定を台無しにしていたのである。この時米国内にはソ連に対して友情があった。というのは、ソ連は自己の生存のために戦ったのであるが、対独戦で多くの米国人の生命を救っていたからである。

中国には百万名以上の日本軍隊があり、何時でも戦闘できる態勢にあった。米国としてはソ連が対日戦に参加することを念願していた。ソ連の国境は中国に接し、そこの鉄道が欧州に連なっていたからである。大連から香港まで、日本は一切の海港を抑えていた。(*は筆者の補足)

うっかり見逃しそうになるが、この時、ソ連は対日参戦していない。つまり、欧州大戦終了後のソ連への同法継続は対日戦に備えるために他ならない。何よりトルーマン自身が、武器貸与の中止は「ソ連との協約(ヤルタの密約)を台無しに」する旨、臆面もなく書いている。

ソ連は対独戦で多くの米国人の生命を救ったかも知れぬ。が、45年5月以降の米国によるソ連への武器貸与は、満洲や北方領土で降伏した多くの日本人の生命を奪うことに加担した。こういった米国の邪悪な側面が、先述の『環球時報』の記述をつい肯(うべな)わせる。