機能不全に陥っていくドイツ

川口 マーン 惠美

fatido/iStock

6月1日、ドイツでは、たったの9ユーロ(1ユーロ130円換算で1200円弱)で、1ヶ月間、全国どこでも鉄道乗り放題という前代未聞のキャンペーンが始まった! 特急や急行以外の鉄道と、バス、市電、何でもOK。キャンペーンの期間は3ヶ月。

ドイツ人は無類の旅行好きなのに、この2年間、コロナでいわば禁欲生活を送っていたため、今や旅行熱で身体が破裂寸前になっている。そこへ持ってきて、このタダのようなチケットだから、6月分は前売りが700万枚も売れたという(ドイツの人口は8300万人)。

この格安チケットで、ガソリンとディーゼルの高騰で増加している国民の経済負担を埋め合わせるというのが政府の公式の説明だが、実は、将来も恒久的に国民を自家用車から引き離すための布石かもしれない。

すでにメルケル首相の時代より、ドイツ政府はガソリン・ディーゼル車を悪魔視しており、国民を力づくでEVに誘導しようとしてきたが、今もってうまく行かない。9ユーロチケットは、物分かりの悪い国民を今こそ無理やり公共交通機関に誘導するための大投資?・・などと考えたのは私だけだったらしく、6月1日の夜のニュースでは、皆、嬉しそうに、カメラの前でチケットをひらひらと見せびらかしていた。

トラブルが多いドイツの鉄道

ただ、実は、ドイツの鉄道は異常にトラブルが多い。民営化で大失敗したのが、鉄道と郵便と言われている。それについては、すでにいろいろなところで書いているので繰り返さないが、信じられないことが日常的に起こる。

ドイツ人が集まったところで、偶然、鉄道の話になると、皆、自分がどんなにひどい目にあったかということを話し始めて、終わらなくなるほどだ。私も、たまに鉄道を使うときは、分の悪い賭けでも打つような気分で乗り込む。そして、たいてい必ず何か起こる。娘が乗ったときは、駅を出てすぐ脱線したそうだ。

だから、9ユーロチケットで乗客が増えたら収拾がつかなくなるのではないかという不安は、ドイツ人なら誰もが持っていたと思う。6日の月曜は祝日で3連休だから、混雑は想定済みだ。それでもおそらく多くの人は強引に、巨大なスーツケースやら自転車を持って乗り込もうとするだろう・・等々。

ところが、その週末を待つまでもなくカオスは来た。しかも9ユーロチケットとは関係なく。3日の金曜日の午後、南ドイツのバイエルン州のガーミッシュ=パーテンキルヒェンという風光明媚な場所で大事故が起きた。

何もない緩いカーブの、しかも平地で、6両のうち、中程の3車両が脱線、横転。死者が5名で負傷者が44名。脱線の原因はまだわからない。連休前の金曜日だったので、学校帰りの子供たちもたくさん乗っていた。何だかドイツはおかしくなっている。

機能しなくなっていくドイツ

ドイツの首都ベルリンは特別自治都市なので、独自の議会と政府を持つ。つまり、ベルリン市は州と同格。そのベルリンで昨年の9月、総選挙と同じ日に、市と区の選挙と、さらに国民投票が行われた。そのため、投票用紙は計6枚だったという。

投票開始とともに、いくつかの投票所で長い行列ができ、ひどいところでは待ち時間が2時間にも及んでいるという速報が出た。理由は、選挙ブースが足りないという“普通の”理由もあったが、投票用紙が足りず、係の人が慌てて取りに走っているというものもあった。仕方なく一時的に閉鎖した投票所が73か所。それが尾を引いて、18時に全国の投票所が閉まって選挙速報が出始めていた頃、ベルリンの多くの投票所では投票が続いていた。本来なら18時以降の投票は無効だ。

それだけではない。24カ所の投票所では他の区の投票用紙が紛れ込んでしまっていたとか、選挙権のない18歳以下の未成年が投票していたという驚くべき事実までが判明(区の選挙は16歳から投票できるための混乱)。

翌日行われた記者会見では、選挙管理委員長は全ての質問に答えられず、即、辞任が決まった。それにもかかわらず、ベルリンでは新しい議員が就任し、新しい市長を選出した。ただ、今になってそれについての調査結果がようやく公表され、6つの小選挙区で総選挙のやり直しが行われる可能性が浮上している。

これははっきり言って深刻な話だ。普通選挙は民主主義の根源であり、私たちの認識では、それが満足にできないのは発展途上の、おそらく腐敗した国だ。このニュースがあまり報じられないのは、ドイツ人が恥じているのか、それとも興味がないのか、私にはわからない。

ただ、ベルリンのカオスには前例がある。1998年に建設計画が発表された国際空港は、その後、政権を握った社民党が、ゼネコンに任せていてはお金がかかり過ぎるとしてプロジェクト進行の主導権を担った途端、脱線し始めた。開港は7回も延期され、やがて、このまま遺跡になるだろうとまで言われた。

ベルリン・ブランデンブルク国際空港
出典:Wikipedia

そして、やっとのことで2020年に開港したと思ったらコロナで利用客がおらず、「フランクフルター・アルゲマイネ紙」が、「空港はオープン、世界はクローズ」と皮肉った。建設費は当初の17億ユーロから65億ユーロに膨らんだが、ベルリンの財政はずっと前から破綻しているので、誰も気にしていないと言う。

一方、2017年に完成したハンブルクの「エルプフィルハーモニー」も酷かった。素晴らしいコンサートホールだが、これも7年の遅延。建設費が10倍以上に膨らみ、予算が尽き、途中で取りやめることも検討されたが、やりかけた高層ビルを壊すには、やはり同じぐらいお金が掛かる。結局、やるしかないという決死隊のようなプロジェクトだった。

エルプフィルハーモニー・ハンブルク
出典:Wikipedia

思い返せば一昔前までは、技術的に難しい建設プロジェクトの入札では、ドイツと日本のゼネコンが最後まで争うというようなことがよくあった。ところが、砂漠やらジャングルでもなく、インフラの整った場所でさえまとも工事ができなくなったとは、ドイツではいったい何が起こっているのだろう?

そのドイツが、「脱原発」と「CO2削減」という二律背反を叫び、石炭火力はCO2を出すからやめ、その代わりに自分たちの手でロシアのガスをヨーロッパ中に供給しようとした。それらが今、破綻したのは、ウクライナ戦争のせい? ウクライナ戦争は、破綻を少し早めたに過ぎなかったのではないか。そして、ドイツは今、今度は水素エネルギーのパイオニアになろうとしている。

私がドイツに渡った80年代の初め、ドイツ鉄道は遅れず、日独間の郵便事情はこれ以上望めないほど正確で、人々はとてもおおらかだった。しかし今では、郵便は早く着いたり、遅く着いたり、時には無くなってしまうこともある。そして国民の不満は募っている。

3ヶ月間の9ユーロチケットが、この不機嫌を解消できるとは思えない。秋、電気代とガス代がどこまで抑えられるか、それがショルツ政権の正念場になるだろう。