偵察から武装へ:軍用ドローンの進化を追う(前編)

MQ-1C GRAY EAGLE
USAASCより

6月2日のロイターは、米国が近日中に武装ドローン4機をウクライナに売却予定とする関係者の談話を「独占」報道した。そのドローンはジェネラル・アトミックス製のMQ-1Cグレイ・イーグルで、重さ45kgのヘルファイアミサイルを最大4機搭載できるそうだ。

ドローンと言えば、少し前までは精々縦横40cm〜50cmほどの機体と数個のプロペラを持つ、いわば玩具に毛の生えた様なもの、というイメージだった。が、必要は発明の母、グレイ・イーグルは全長8.5メートル、最高時速280キロで41時間も連続飛行する上、ミサイルも発射できる。

本稿では、このグレイ・イーグルの前身であるプレデターの克明な開発過程を、軍事問題の取材を長年しているリチャード・ウィッテルの著書『無人暗殺機ドローンの誕生(英語名『Predator:The secret origins of the drone revolution』)』(15年2月文藝春秋)から紹介したい。

今般のロシアによるウクライナ侵攻では、「力による現状変更は許さない」と、米国を筆頭に西側諸国がウクライナに武器を提供し、ジャベリン(レイセオンとロッキード・マーチンの対戦車ミサイル)やスティンガー(ジェネラルダイナミクスの対空ミサイル)などが有名になった。

西側各国から併せて4桁に上る数が提供されているこの二つの兵器は、共に兵士が持ち運ぶ「携行式」だが、これらに加えてウクライナは、米国エアロバイロンメントの攻撃ドローン、スイッチブレード700機とトルコ製の無人機バイラクタル36機を実戦配備している。

スイッチブレードは「神風ドローン」の異名の通り「使い切り」である一方、バイラクタルもグレイ・イーグルも、人間が乗っていない無人機=Unmanned Aircraft Vehicle(UAV)であるものの、自動操縦で離発着して繰り返し使える攻撃機であるところに新規性がある。

書名の『Predator』とはMQ-1Cグレイ・イーグルの原型の名前だ。その開発にはユダヤ人天才エンジニア、エイブラハム・カレムのリーディング・システムズ(LS)と、米国の実業家ブルー兄弟のGAテクノロジーズ(GAT)という2企業が関係する、かなり複雑な経緯がある。

カレムが無人機を着想したきっかけは73年の「ラマダン戦争」で、エジプトの地対空ミサイルレーダーをかわす囮無人機の開発だった。最初のアイデアが試作段階で終わった直後、彼は国営イスラエル航空産業(IAI)を辞め、自ら会社を興して国境警備用の武装無人機に取り組み始めた。

完成した基本設計の購入を陸軍に拒否され、IAIの差し金と疑ったカレムはロサンジェルスへ移住してLSを興し、そこで偶さか国防高等研究計画局(DARPA)の物理学コンサルタント、アイラ・クーンの知遇を得る。DARPAは軍の技術水準を最先端の状態に保つ先進的なアイデアを求めていた。

カレムはDARPAの資金援助で「15.5ガロンのガソリンで2日間飛び続けられる、自重105ポンド」の無人偵察機アンバーを開発、海軍、海兵隊、陸軍が共同でDARPAによるアンバー開発を援助することになり、カレムのLSに5百万ドルでそれを請け負わせた。

同じ頃、投資会社オーナーのニールとリンデンと言う一つ違いのブルー兄弟も、GPS誘導式の安価な無人機を着想していた。85年、ニールはWSJ紙の記事で、シェブロンが分割譲渡する資産の中に、原子力と核防衛を研究しているGATの名を見付ける。

GATは元々ジェネラル・アトミックス(GA)といい、原子力関係の他に、レーガンのSDI構想の一部の「弾道ミサイルを打ち落とす兵器」の研究開発をしていた。ブルー兄弟はGATを「5千万ドル以上で」買収、社名をGAに戻し、改造超軽量飛行機にGPS受信機を取り付けた無人機を開発した。

ブルー兄弟はこの無人機をプレデターと名付けたが、現在のプレデターの原型は、カレムのアンバーとその小型廉価版機ナットだ。両機は「アスペクト(縦横)比の高い翼、推進型プロペラ、逆Ⅴ字型尾翼」というグレイ・イーグルに受け継がれる共通の特徴を有していた。

カレムとブルー兄弟の出会いは、88年のパリ航空ショーにLSとGAが出品したことだった。その3年後、破産したLSがGAに買収されたことで、カレムの開発した無人機にプレデターの名が冠されるのだが、その経緯は次のようだ。

米議会は87年、無人機計画を精査し、軍による開発に「過剰な重複」を見つける。結果、88年度の国防歳出案は、ペンタゴンに無人機の研究開発を陸海空軍共同の「無人航空機合同計画オフィス(JPO)」で行うよう指示する。89年、JPOは発注のためのコンペを行った。

JPOの条件は、① 基地から90マイルの地点で5~12時間滞空が可能なこと、② 400機の無人機と操縦に必要なシステム(GCS)50個を5年以内に製造が可能なことだった。アンバーは前者を満たすが、資金難で後者に不安があったカレムは、ヒューズ・エアクラフト(HA)と提携した。

HAの提携条件は、最大3千万ドルの融資の担保として、LSの有形・無形資産の全てを差し出すことだった。条件に合意し契約したカレムは、その後、ナットをクウェート、トルコ、パキスタンなどに売り込むことで資金調達を図ったが、何れも不調に終わりLSは破産する。

HAは91年、LSの資産処分に動くが、ここでDARPAのクーンが奔走、ブルー兄弟に買収を持ち掛けた。88年の航空ショーで見知っていた両者は、LSがJPOに渡したアンバー6機以外の全ての資産、即ちナットやGCSと知的財産の全てをGAが185万ドルで買い取ることで合意した。

その頃、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でのセルビア人勢力によるサラエボ包囲(92~96年)を無人機で偵察する計画を立てていたCIAはGAに接触を図る。新任のウルジー長官はクーンを介してカレムを知っていた。そして94年春、ナットはサラエボ上空を飛んだ。

敵の地対空ミサイル発射装置と囮とを見分けたナット(その日にプレデターと改名)は、その画像を140マイル離れた国連平和維持軍のアルバニア西部ジャデル空軍基地のモニターに映し出した。斯様に、当時のUAVに期待された役割は、40時間という長い滞空性能を生かした偵察だった。

武装兵器としてのワイルドプレデターの登場には、法律によって「迅速取得権限」を与えられ、新装備を迅速に実用化する秘密航空部隊ビッグサファリが大きな役割を果たした。ビッグサファリは99年、プレデター4機(1基のGCSに付属する機数)へのレーザー照準器の設置を目指した。

プレデターのレーザーを、より高度にいる戦闘機からは見えない目標に照射することで、戦闘機の砲弾やミサイルを目標に誘導できる。当時のコソボ紛争でセルビア軍が使用していた旧ソ連製高射砲や地対空ミサイルは手強く、99年3月にはF-117ステルス戦闘機が後者に撃墜されていた。

(後編に続く)