血と育ち

大下英治著『論語と経営 SBI北尾吉孝 上 激闘篇』の「第八章 SBI、ソフトバンクから独立」の中に、孫正義さんが私を評した次のような過分な言葉が載っています――北やん(北尾の愛称)は、やっぱり大局観があります。物事を見る大局観、そして、緻密な分析能力、この二つを備える稀有な経営者です。緻密な人は大局を見られない場合も多いけれど、北やんは違います。最初に大きく大局を捉えて、それを緻密に分析する。守りが強い人は攻めが弱い人が多いけれど、北やんは守りも攻めも非常に強い。そういう意味では凄い人物だと思います。

そしてまた私の大局観につき「いつ身につけたことなのか」孫さん曰く、「北やんの子どものころからの環境や、学び続けてきたことなども含めて、彼の天性によるものなんだと思います。もちろん社会に出て、野村證券時代に、優れた経営陣から、学んだことも多かったでしょう。僕自身も、彼に多くのことを学ばせてもらいましたから」とのことでありました。
私見を申し上げれば、大局観にしろ分析能力にしろ、様々な才知全てに共通して言えることは次の2点、①遺伝的素養=御先祖様から脈々と受け継いできている「血」、及び②育った環境=「三つ子の魂百まで」とも言われる「育ち」、が非常に大事な要素になるということです。

例えば大阪船場には、「気品三代」という言葉があります。気品をつくるには三代かかる、という意味の言葉です。即ち、三代の祖先の修行の積み重ねが、当代の品性に影響を及ぼしているということです。子供からしてみれば、自分の両親あるいはその親である御爺・御婆の躾(しつけ…外見を美しくすることではなく、心とその心が表れた立ち振る舞いを美しくすること)が、自分の品性に大きく絡んでいるのです。また今を生きる自分の言動が三代後の子孫の振る舞いに影響を及ぼして行くのです。

このようにして血や育ちの上に自分という個がある程度確立されてき、後に色々な友人達や先輩諸氏あるいは書物との巡り合いの中で、一つの大局観や物事の思考方法なども様々に影響を受けてくるのだろうと思います。言うまでもなく血や育ちを変えるは大変難しいわけですが、「学問修養」によっては変えることも可能となり、自分の品性を高めて行けるようにもなります。

日夜「敬」と「恥」のプロセスを繰り返しながら、「美点凝視…努めて、人の美点・良所を見ること」に徹するのです。そして自分をより良き方に向かわせるべく、良い習慣を得て不断の努力を重ねるのです。概してそうした種々の上に血や育ちが併さって、人物というのが出来て行くのではないかと思います。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年6月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。