出世至上主義と年功序列の不思議な関係

年功序列の本質は、出世至上主義である。常に出世を目指すこと、今よりも上位の職位に登用されるべく努力することが規範として企業内に確立されるためには、企業の都合で幹部に選抜されなかった場合にも、経済的には幹部職に準じた処遇にせざるを得ないと考えられ、そこに年功序列が生じたのである。

つまり、年功序列は、実は登用における年功序列ではなく、厳格な人材登用戦略のもとで、経済的処遇だけが年功序列になっていたのであり、逆に、経済的処遇を年功序列にすることで、厳格な人材登用戦略を可能にしていたと考えられるわけだ。

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出世とは、企業組織の階層を一つ一つ登っていくことであり、究極的には頂点の社長になることだが、社長とは、単に出世街道の終点であり、出世の最終目的地だから、出世とは何か、なぜ出世が目指されたのかという問いは、循環して無意味に帰する。

出世の目的が出世なら、出世は不条理である。しかし、趣味に目的はなく、スポーツ等における記録の更新は記録の更新自体が目的であるように、人間の存在に不条理はつきものである。実は、人間の存在自体が不条理なのであって、故に、人間は目的のないところに目的に替わる意味を創造して不条理を回避するわけである。

こうして、人間は、働くためには、経済的報酬以外の目的として出世を求め、自己目的化した出世に意味を求めた結果として、ゴルフの腕前が上がると嬉しいように、職位が上がることに大きな喜びを見出し、企業内での自分の地位を確認することに満足し、肩書が立派になることに自己の成長を実感し、そこに働きがいを得たのである。

昭和と現在を比較すれば、企業経営のあり方は大変貌を遂げている。しかし、肝心要の経営者の選抜のあり方については、出世競争の最終勝利者という位置づけに変化はないようにみえる。そして、企業経営の中核である経営者選抜の方法が変わっていないのならば、企業経営全体として、いかに表層の変化が大きくても深層に変化はなく、一皮むけば昭和の風景があって、出世至上主義は今でも名残以上の力をもっているはずである。故に、その付属物である年功序列も簡単には消えないのである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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