安倍晋三元首相、銃撃:許し難い首相銃撃の歴史

2022年7月8日、安倍晋三元首相が、奈良の西大寺駅前で、選挙応援演説中に元海上自衛隊員の男に銃撃され、その後搬送先の病院で亡くなるという、許し難い事件が起きた。

私がこのニュースを知ったのは、午前11時30分を回った頃だった。安倍氏の回復を祈る気持ちとともに「首相クラスの人が襲撃・銃撃を受けるというのは、戦前以来ではないのか」との衝撃も心に巻き起こった。

左上:高橋是清 右上:犬養毅 左下:原敬 右下:濱口雄幸
出典:Wikipeidia

原敬・濱口雄幸・犬養毅・高橋是清・・・。戦前において、襲撃を受けた首相、元首相の名前が次々と思い出されてきたのだ。

原敬首相は、首相在任中の大正10年(1921年)11月4日、東京駅乗車口において、男に刺された。犯人は中岡艮一。山手線大塚駅に勤める鉄道職員の男であった。犯行当時、18歳だった。刃渡り約15センチの短刀を原首相の右胸に突き刺した中岡は、その場で捕縛される。

東京駅丸の内南改札口付近の原敬暗殺事件の現場。
左から原が歩いて来た所、「兇漢」と書かれた位置から犯人・中岡艮一が突進し、原を短刀で刺した。
出典:Wikipedia

原首相は直後に息を引き取った。中岡は、原首相の政策に反発を覚え、凶行に及んだのだ。無期懲役となった中岡だが、減刑により、昭和9年(1934年)年に釈放。『鉄窓十三年』という著書を残し、昭和55年(1980年)に世を去っている。

濱口雄幸首相は、昭和5年(1930年)11月4日、東京駅にて、銃撃を受けた。手術により一命を取り留めたが、退院後も容態は思わしくなく、翌年8月に亡くなる。濱口首相を銃撃したのは、佐郷屋留雄。22歳の男であった。彼は愛国社という右翼団体の社員だった。佐郷屋は、濱口首相は天皇陛下の統帥権を干犯したとの理由で首相を狙ったという。佐郷屋は死刑判決を受けるが、これまた恩赦により無期懲役となった。

そして昭和15年(1940年)に出所している。出所した佐郷屋は、戦後、血盟団事件で有名な井上日召と共に、護国団という右翼団体を結成。昭和47年(1972年)に死去している。

犬養毅首相は、総理公邸において、海軍の青年将校により銃撃され、直後に死亡した(1932年5月)。五・一五事件である。高橋是清元首相は、昭和11年(1936年)2月16日、陸軍青年将校の襲撃を受け、自宅において、銃撃され、暗殺された(二・二六事件)。この二・二六事件においては、斎藤実元首相も襲撃され、殺害されている。

五・一五、二・二六事件は、集団で要人を襲撃した事件であり、今回の安倍元首相襲撃事件と類似するのは、原、濱口首相の事例であろう。

今回、安倍元首相を襲撃した犯人が、なぜ安倍氏を銃撃したのか。個人的な行動なのか、背後に何者かがいるのか。今後の警備の在り方含めて、徹底した調査や改善が必要であろう。