解任された駐独ウクライナ大使:単刀直入な表現が災いしたメルニック氏

「平時」での人事とは違い、「戦時」での人事はその戦争での戦果の有無が決め手となることが多い。ロシアのプーチン大統領も軍をウクライナに侵攻させて以来、戦果のない軍司令官や関係閣僚を更迭したり、解任してきた。その点、ウクライナのゼレンスキー大統領はチーム精神というか、現閣僚チーム結束して軍事的に圧倒するロシアと戦ってきたこともあって、これまで大きな人事はなかった。ところが、そのゼレンスキー大統領は9日、欧州連合(EU)で最も知られた外交官の解任を決定したのだ。駐独のウクライナ大使、アンドリーイ・メルニック氏だ(同時に、在ノルウェー、チェコ、ハンガリー、インドの4カ国駐在の大使が人事された)。

ドイツ政府を憤らせる言動を発する駐独ウクライナ大使アンドリーイ・メルニック氏とオーラフ・ショルツ独首相 Wikipediaより

メルニック大使(46)はウクライナ戦争の勃発後、ドイツのメディアに頻繁に登場し、戦時下のウクライナの西側窓口としてロシアを厳しく批判する一方、ドイツを含む欧米諸国に武器の供給を訴えてきた。流暢なドイツ語を駆使してドイツ・メディアのインタビューに応じてきた。ウクライナ側の現状と願いをストレートに語る大使の姿に当方も新鮮な感動を覚えたほどだ。メルニック大使が独メディア界のスターとなるまで時間はかからなかった。

ホスト国のメディアの人気者となることは外交官としては大きな成果だ。ゼレンスキー大統領の目にも頼もしい外交官と映っただろう。しかし、何事も行き過ぎると問題が出てくるものだ。メルニック大使にとってもそれがいえる。戦後から経済発展に集中し、軍事力の強化については日本と同じように躊躇するドイツの政治家に対して、流暢なドイツ語で鋭く批判していった。ドイツのメディアはその批判を喜んで報道した。ただ、大使のドイツ批判がエスカレートしてくると、「そこまで言わなくてもいいのではないか」とか、「ドイツから経済支援を受けている国の大使がわが国を罵倒するとは礼儀がない」といった反発が聞かれ出したのだ。

メルニック大使の蹉跌となった3件を簡単に紹介する。

①ドイツのシュタインマイヤー大統領は4月12日、ポーランド、バルト3国の国家元首と共にキーウを訪問し、ロシア軍と戦争中のウクライナに対し欧州の連帯を表明する計画だったが、「キーウ側がどうやら私の訪問を歓迎していないようだ」という理由でシュタインマイヤー大統領は訪問を断念、ポーランドとバルト3国の大統領だけがキーウを訪問し、ドイツの大統領はワルシャワからベルリンに戻った。

独大統領のキーウ訪問断念の最大の理由は、大統領がメルケル政権下で外相だった時の対ロシア融和政策だった。それをメディアを通じて最初に批判したのがメルニック大使だった。同大使は日刊紙ターゲスシュピーゲルでのインタビューで、「シュタインマイヤー大統領はウクライナがどのようになってもいいのだ。一方、ロシアとの関係は土台であり、神聖なものとさえ考えている」と辛辣に語った。ウクライナにとって最大の経済支援国の、それも大統領の訪問をウクライナ側が断ったのだ。ドイツ側もショックを受けた。メルニック大使の大統領批判がその最大の引き金となったことは間違いない。

②平和憲法に死守する日本の政治家のように、ショルツ独首相は軍事問題では消極的だった。特に、紛争地域への武器輸出には強く反対してきた社会民主党出身の政治家だ。だから、ウクライナの武器供給願いに対して武器ではなく、ヘルメットなどを支援してお茶を濁したが、メルニック大使は、「ドイツはウクライナ戦争を理解していない」といった内容の辛辣な表現でショルツ首相をこき下ろしたのだ。連邦議会で長い討議の末、重火器をウクライナに供給することを決定したショルツ首相が、ウクライナ大使のこの発言に頭にきたのも無理はない。

シュタインマイヤー大統領の訪問中止後、メルニック大使は、「わが国はショルツ首相の訪問を歓迎する」と話したが、普段は冷静で声を荒立てることが少ないショルツ首相が、「僕はキーウには行かないよ」と突っぱねた。それに対し、メルニック大使はまた火に油を注ぐような発言をした。同大使はドイツ通信(DPA)とのインタビューで、「ドイツ首相の発言は侮辱されたと受け取ってそっぽを向いている子供のような振舞いだ。政治家らしくない」(Eine beleidigte Leberwurst zu spielen)と述べ、「われわれが直面している戦争は、ナチスによるウクライナへの攻撃以来、最も残酷な戦争だ。幼稚園にいるのではない」と語り、ショルツ首相を嘲笑したのだ(「ウクライナ大使の言動に憤る独首相」2022年5月5日参考)。

(駐独ウクライナ大使の一連の外交官らしくない言動に対し、忍耐強いドイツ国民の中にもキレる人が出てきた。「大使はもう少し発言を慎むべきだ」、「支援を受けていて文句をいうとは何事だ」という怒りの声すら聞かれ出した)

③メルニック大使は6月末、ドイツのメディアとのインタビューの中で、ウクライナ民族主義組織(OUN)に属し、民族解放運動のリーダーだったステパーン・バンデラ(1909年~1959年10月)が生きていた時代のユダヤ人虐殺(ホロコースト)を「些細なこと」と指摘し、バンデラを擁護した。それが報じられると、駐独イスラエル大使はツイッターで、「ウクライナ大使の発言は、歴史的事実の歪曲だ。ホロコーストを些細なことと決めつけ、バンデラと彼のグループによって殺害された人々を侮辱した」と激しく非難した。その上で、「メルニック大使の発言は、ウクライナの人々が民主的な価値観に従って平和に暮らすために勇気ある闘いをしている時、(高貴な)その精神を弱体化させる」と強調した。

(ウクライナ外務省は1日、「メルニック大使がドイツのジャーナリストとのインタビューで表明した内容は彼の個人的なものであり、ウクライナ外務省の立場を反映したものではない」と発表し、メルニック大使の発言から距離を置いた)。

バンデラの歴史的評価について、「ウクライナ民族の英雄」から、「ナチス政権の協力者」、「戦争犯罪者」までさまざまな評価がある。ウクライナ国内でもバンデラについてはその評価が分かれている。ウクライナ東部ではバンデラはナチスの協力者であり戦争犯罪者と見なされる一方、ウクライナ西部では、彼は国民的英雄として多くのウクライナ人から尊敬されている、といった具合だ。

メルニック大使は明らかに後者の立場だ。メルニック大使は2015年、大使としてドイツに着任後、バンデラを称賛し、ミュンヘンのバンデラの墓を訪問し、献花している。その大使の発言が今回はホスト国ドイツからではなく、イスラエル、ポーランド、ロシアから批判された。

以上の3件が大使解任の理由か否かは即断できないが、メルニック大使はゼレンスキー大統領から直々、2015年から務めてきたドイツ大使の立場を解任されたわけだ。“ウクライナの声”と呼ばれ、ドイツメディアの人気者だったメルニック大使はその言語力とレトリックが災いとなっって解任されたわけだ。

メルニック大使を少し擁護するとすれば、メルニック大使は失言を発したわけではない。ズバリ、ウクライナ側の本音をホスト国に伝えただけだ。しかし、経済大国ドイツから嫌われ、EUの盟主ドイツの気分を害したら大変と判断したゼレンスキー大統領はメルニック大使の解任を決めたのだろう。ちなみに、ウクライナ大統領府は、「今回の人事は通常の外交官のローテーションに過ぎない」とだけ説明している。

外交官は知力、渉外力、言語力が大切だが、その言動が行き過ぎたり、ホスト国を批判し過ぎると問題が生じるものだ。外交官はやはり外交的な振る舞いが願われる。メルニック大使の場合、その単刀直入な表現がホスト国の政治家の心情を踏みにじったのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年7月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。