安倍氏暗殺事件で浮かび上がる「日本の民主主義」の弱点とは --- 古森 義久

銃撃されるも一命を取り留めたレーガン大統領、何が違っていたのか

安倍晋三元総理の暗殺事件は、当初、暴力が民主主義に戦いを挑んだとする論評が多かった。民主主義への挑戦、民主主義の否定がこの暗殺事件だと断じる見解である。だが容疑者のこれまでの取り調べでは、日本の民主主義を崩すために安倍氏を狙撃したというような動機はまったく浮かんでいない。

この事件がまず強烈に明示したのは、今の日本ではこれほど有力な政治家も暗殺を防げないという国内治安の欠陥だった。

安倍氏のような超重要人物の安全を守るために必須の警護措置がとられていなかったのだ。その警護の不在や弛緩は、むしろ今の日本の民主主義の弱点から発生しているようにもみえる。民主主義、個人の権利、多様性、言論や表現の自由などといった概念の重視が、公共の秩序を守るという治安維持のための警備を骨抜きにしているのではないか、という疑問でもある。

レーガン大統領狙撃事件、現場の状況

安倍氏が奈良県内で銃撃され死亡するという衝撃的な事件の報を受けて、まず私が連想したことの1つは、米国の首都ワシントンで間近に見たロナルド・レーガン大統領狙撃事件だった。1981年3月30日の出来事だった。

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