政治家のファッションは口ほどにモノを言う③

日本の政治家もときに衣服を政治的メッセージの発信ツールとして用いる。古くは、1994年非自民連立政権において首相に就任した羽田孜氏の半袖スーツ、所謂「省エネスーツ」だ。1979年の第二次石油危機による省エネ対策のため、当時の大平内閣が男性の夏用衣服として半袖のスーツを提案した。けれども、評判は芳しくなく、浸透しなかった。ところが、羽田氏だけはずっと愛用し、省エネの精神を文字通り身を以て示し続けた(日経Men’s Fashion、2018/6/9)。

羽田氏が愛した元祖クールビズ 老舗が込めた創意工夫|Men\'s Fashion|NIKKEI STYLE
今や日本の夏の装いとして、すっかり定着した感のある「クールビズ」。2005年に始まった「地球環境対策の一環としての夏の軽装運動」だが、今から遡ること約40年前、「元祖クールビズ」とも呼ぶべき取り組みがあったことをご記憶だろうか。「省エネルギール…

最近の事例だと、野党の女性議員が洋服の色で抗議の意を表したことである。2018年4月20日、財務省の福田淳一事務次官のセクハラ疑惑を追及する野党の合同集会に女性議員が黒い服で出席した(産経新聞、2018/4/20)。

黒服の野党女性議員
出典:産経新聞

さらに、昨年2月9日の衆議院本会議では、白い服を着用して、2月3日のJOC臨時評議員会における森喜朗氏の女性蔑視発言に対する抗議を表明した(NHK、2021年2月9日)。

森会長発言 野党の女性議員が白い服で抗議 男性議員も白いバラ | NHK政治マガジン
9日の衆議院本会議では、森会長の発言に対する抗議の意思を示すため、立憲民主党や共産党などの女性議員が白い服を着て出席したほか、男性議員も白いバラを胸ポケットにさして臨むなどしました。20世紀はじめにアメリカで起きた、女性の参政権運動の象徴が白い服だったことにちなんだもので...

こうした野党女性議員の抗議ファッションには、男性のみならず女性からも冷ややかな反応が示された。たとえば、白服による森氏への抗議表明について、野田聖子氏は「言葉の積み重ねが国会議員の仕事」とコメント、「私はしません」と突き放した(FNNプライムオンライン、2021年2月10日)。

確かに言葉は政治活動の核心部分だ。しかし、視覚による訴えは言葉以上のインパクトを持つことがあり、彼女たちの服装パフォーマンスを一笑に付すことはできない。それよりも、衣服選びの安易さのほうが気になる。

彼女たちが黒い服を着たのは、アメリカ民主党の女性議員がトランプのセクハラを告発していた19人の女性を含む全米のセクハラ被害者への支援を表明するため、2018年1月30日の一般教書演説に黒服で臨んだ(The Hollywood Reporter, Jan. 30, 2018)のに倣ったものだ。一方、白い服はアメリカの女性参政権運動のシンボルカラーの白を取り入れた(NHK、2021年2月9日)。

黒服のアメリカ民主党の女性議員
出典:The Hollywood Reporter

アメリカの民主党女性議員との連帯も意義なしとはしないが、アメリカの真似ではあまりに浅知恵である。日本の国会議員が国会において意思表明をするのであれば、他でもない日本のセクハラや性暴力被害者に心を寄せ、彼女たちに連帯するような衣装選びをすべきだったのではないだろうか。とはいえ、山本太郎氏と立花孝志氏のお粗末さに比べれば、彼女たちの服装はまだメッセージ性を垣間みることができた。

2013年の参院選で初当選した山本氏は、2014年1月24日の通常国会本会議にタートルネックのセーターで出席したことを注意され、30日には「国会の服装規程にネクタイ着用は書かれておらず、ジャケット着用の約束事は守っている」と釈明した(日テレNEWS、2014年1月30日)。

山本太郎氏
出典:日テレNEWS

反原発運動の闘志から政治家に転身した山本氏の当時の立ち位置は、永田町の旧弊な権威に抗い、国策によって苦難を強いられている人びとの側にあったと思う。したがって、この場合、ネクタイをエスタブリッシュメントの象徴ととらえ、「ノータイは、作業着や野良着で額に汗して働く人びとに寄り添う自分の立場の象徴だ」とでも言えば、強力な政治的メッセージになったはずである。

立花孝志氏
出典:東スポWeb

今回の参院選の前半戦、立花氏はいつもウクライナ国旗色の青と黄のスーツを着用していた。これをウクライナへの支援と連帯のメッセージと受け取った有権者は私だけではないはずだ。

ところが、同氏はそれを否定し、「スーツはロシア侵攻以前に発注し、色はNHK党のイメージカラーに因んだものだ」と説明した(東スポWeb、2022年3月28日)。

もっとも、立花氏がこのスーツをウクライナ支援のために着ていたとしても、それはそれでミスマッチである。青と黄の衣装は、政治の争点がウクライナに絞られている場合にそこ効果を発揮するのであって、日本の国政選挙では場違いである。

メッセージ性を有する衣服は、それに相応しい時と場所、そして大きな効果を発揮する機会を選ばなければ、相手に伝わらないばかりか、失笑を買うことさえある。日本の政治家のファッション、口ほどにモノを言わせるにはまだまだ修行が必要かも。

 

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