難民受け入れと外国人コミュニティの現実を日本人は何も知らない

谷本 真由美

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前回は日本における難民受け入れについて、日本に住む難しさを指摘したが、もう一つ重要なことがある。

それは外国人コミュニティの存在だ。

例えば北米の場合は移民の国だから、元々様々な国の人が住んでいる。

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私が2021年12月に出版した「世界のニュースを日本人は何も知らない3 – 大変革期にやりたい放題の海外事情」という本にも書いたが、欧州の場合は難民を出す国との歴史的な繋がりが深く、元々宗主国だったりするので、難民になる人の出身国のコミュニティが既にあり歴史も長い。

その国の人々が集まって住んでいる地域もたくさんあるのだ。

例えばウクライナの場合はカナダには結構大きなウクライナ系の人のコミュニティがあって、ウクライナ語の本まで出版されているのである。

イギリスにも戦争前から移民してきた人も多く、 戦前から住んでいる人もいるためウクライナ人のコミュニティがある。戦争前からウクライナ系の食品店やサウナだってあるのだ。 ウクライナ人への支援もそういったコミュニティが活発に活躍している。

ロンドンも緩やかにではあるが、外国人が集まって住む地域が別れている。かつてロンドン東部に住んでいたユダヤ人は今は北部に家がある人が多いし、日本人は日本人学校の近くに住み、韓国人は南部のニューモルデン周辺に住んでいて、東部の金融街の近くにはバングラデシュやソマリア人の集まっている地域があり、カリブ海系やインド系は空港近く、中国系は優良グラマースクールが集まる地域に住んでおり、ポーランド系は北部だ。

そういった場所に住めば同じ言葉が通じる人がいて、学校や食品の調達、家の修理、病院、礼拝などの日常生活のあれこれを容易に済ますことができる。

外国に住むと意外と大きなストレスになるのが、使い慣れていた調味料が容易に手に入らないこと、洗剤の表示が読めないこと、葬式やお宮参りなど慣れ親しんでいた行事を母国のようにできないこと、仏壇や位牌が手に入らないこと、家の修理の細かいところを現地語でうまく説明できないこと、病気で弱っているときに医師や看護師やケアワーカーと母国語で意思疎通できないこと、外国に住む悩みや寂しさを母国語で話し合う人がいないことだ。

学校も人種別、国別に何となく偏っている。公立も私立も同じだ。公式に決まっているわけではないが、自然にそうなっている。行事や宗教観、性差の感覚が違うので、同じような人種、国の出身で集まっていたほうが楽なのである。

口には出さないが、外国人だらけのイギリスでさえ、実際は「多様性」に不快感を感じる人は少なくない。ただ言わないだけだ。

しかし行動を見ていたらわかる。誕生会や飲み会に呼ぶ人の人種や出身国は偏り、おしゃべりの輪も偏っている。そこに階級の違いも入る。皆知っているが言わない。これは綺麗事や理想論ではなくただの現実の話だ。

「多様性!多様性!」とメディアで騒ぐ人々は実は外国に住んだ経験すらない。私は自分が中年になり、子育てや介護も経験して、外国人移民や難民の人達が、同じ地域に集まって住む理由がよくわかるようになった。

歳を取ると若かった頃の気力や体力もないし、気弱になることもある。外国語の文章を読んだり話すのさえ面倒になるし、言葉だって出てこなくなるのだ。子供に母国の文化に親しんでほしいいなと言う気持ちも出てくる。

一年中外交官気分で暮らすのも、20年近くやっているとだんだん飽きてくる。文化や国、言葉の違いも、面白いより「面倒くさい」が先に立つようになってしまう。長年の間に様々なトラブルや面倒を体験するからだ。仕事や生活が多忙な中で「違うこと」は「避けたいこと」になってしまう(多分これが老化なんだろう)。

北米や欧州は以前から難民を大量に受け入れているので、教育のノウハウや心理的なサポート、生活の支援などのノウハウがある。学校や職場に元難民の人がいたりするので皆慣れているのだ。

私のかつての同僚や同級生の中にも元ベトナム難民や元スダーン難民の人がいるが、 家族で移民してきて地元で商売をやったり弁護士やITエンジニアになって大活躍している。

しかしもし彼らが日本に行っていたら、言語や文化的な障壁のために今のように活躍できていなかっただろう。

彼らの高齢の親戚は同じ言葉が通じる人々のコミュニティで食事会をやったり老人会をやって楽しく暮らしている。そして一人で来るのではなく、家族と一緒のことが多いので、子供や高齢者に対する支えは重要なのだ。

こういったコミュニティも日本には存在しない。年を取った家族の心理的な充実感やサポートだって重要な要素なのだ。

元々の植民地だった国々の人々は英語やフランス語などができるので、元宗主国や北米に住んだほうが生活しやすい。

日本は難民の受け入れ数は確かに他の国に比べると少ないのではあるが、これは日本はアメリカや欧州各国とは歴史が全く異なり、また難民申請者の出身国とは歴史的な繋がりがあまりないというのも関係があるのだ。

難民は若い留学生とは違う。離れたくない故郷を仕方なく後にさざる得ないので、移住先に特に興味があるわけではない。文化の勉強をしにくるわけではない。生活しなければならない。健康も考え方も言葉も趣味も経済力も様々で、高齢者も障害者も子供もいるのだ。

難民受け入れ数を増やせ、と口で言うのは簡単だが、中長期の視点にたって、冷静的かつ現実的に考えるべきなのではないだろうか。