イタリア内閣の寿命は平均15カ月
イタリアはドラギー首相が辞任して9月25日の総選挙まで同氏が暫定首相として国をリードして行く。7月25日付「ABC」によると、1861年から今回のドラギ氏の辞任まで132の内閣が誕生したとのこと。即ち、一つの内閣の平均寿命は15カ月。
例えば2000年からだと9人の首相が誕生している。アマト、プロディ、ベルルスコニ、モンティ、レタ、レンツィ、ジェンティロニ、コンテ、ドラギの9人である。
日本も同じようなレベルだ。2000年に森首相が誕生してから2021年までに森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田、安倍、菅、岸田と11人の首相が誕生している。しかも、両国ともこの20年余り経済成長に伸展がない。
更に上述紙によると、イタリアで1946年に共和制になってからこの76年間に67の内閣が誕生しているという。その中でも政権が比較的長く続いたのはデ・ガスペリの1946-1953、クラクッシ1983-1987、ベルルスコニ2001-2006の4人の政権だけであった。
短命に終わる政権では国の発展に繋がる政策の遂行はまず不可能である。1999年の一人当たりの所得をドイツと比較して見ると、その差は僅か6%であった。それが20年経過した現在両国の差は25%まで開いているという。(上述紙)。
しかも、政策の遂行を阻む要因としてイタリアでは議員の政党の鞍替えが頻繁に起きているということだ。上院315人と下院630人の議員を合わせた945議員の中で今年7月までに415議員が政党を変えている。
例えば、ドラギ首相の辞任を導く引き金になった政党五つ星運動も既に90人余りの議員が離党している。
ドラギ首相が誕生した背景
ドラギ首相が2021年2月に誕生した背景には、どの政党も政権を担うだけの十分な議席が集まらないという事情があった。そこで、マッタレッラ大統領はドラギ氏を首相に招聘した。それに6政党が加わって連合政府を形成するということで一時凌ぎをやった。しかし、政党間の考えの違いを我慢してまで政権を維持するだけの忍耐に限界が来てそれがドラギ氏を辞任に追い込んだ。
前首相のコンテ氏が首相に成れたのも五つ星運動と同盟が連立政権を誕生させるのにフィレンツェ大学の法学部の教授だったコンテ氏を選任。先ず五つ星運動が彼を首相にすることを提案。同盟は彼は操作し易い人物だと考えてそれを受け入れ、マッタレッラ大統領もそれを受理して誕生したのがコンテ政権だった。しかし、左派の五つ星運動と右派の同盟との政策の違いが鮮明になって政権の運営が困難となった。そこで同大統領はドラギ氏を首相に招聘したものだ。
次期総選挙では上院と下院を合わせて345議席が削減される
下院定数630議席と上院315議席が次回からは前者が400議席、後者が200議席となる。今回のドラギ氏を辞任に追い込む最初の動機をつくった五つ星運動は2018年に33%の支持率で最大政党に躍進したが、現在の支持率は10%にも至らない政党となっている。ポピュリズム政党は彗星のごとく現れ突如去って行くというのが運命だ。
ということで、次回選挙では僅かの議席しか獲得できないであろう。それを承知で今回ドラギ氏の信任を棄権したというのは、コンテ党首の党内を掌握する力がなくなっているということだ。それは同党を自滅させる道を選んだということになる。
そして次期政権は右派の3政党同盟、フォルツァ・イタリア、イタリア同盟による連立政権になるであろう。