警察庁長官、県警本部長は辞職でなく解任が至当

歴史的な重大事件なのに遅く甘い処分

安倍晋三・元首相が街頭演説中に銃撃、死亡した事件で、中村警察庁長官と鬼塚・奈良県警本部長は25日、それぞれ辞意を表明しました。政治史に残る国際的な大事件なのに、最高幹部の処分は遅い、甘いに尽きます。

安倍政権時代に官僚を震えあがらせた内閣人事局が強大な権限を持っているのですから、事件後、即座に解任、更迭といった重い処分で対応すべきでした。事件の検証報告書は「必要な措置をとっていれば、防げた」としているのですから、重大な責任をかれらに負わせるべきです。

警察庁が設置されている中央合同庁舎第2号館 Wikipediaより

中村長官は国家公安委員会に辞職を申し出、26日の閣議で承認され、30日付で辞職することになりました。そんな手順を踏むのではなく、政府は事件後、即刻、両人を解任すべきでした。辞職の申し出を認めず、内閣として解任すればよかったのです。

辞職(自主的な退職)を願い出れば、多額の退職金は支払われる。懲戒解雇にあたる解任、解職では、本人に重大な過失があるとされ、退職金は支給されない。そこを慮ったのか。

考えるべきは、退職金の次元の話ではなく、警察のトップに重大事件の責任をとらせるということなのです。

それにしてもどうして、こんなに時間がかかったのでしょうか。故安倍氏の49日法要の翌日に検証報告書が発表され、それを受けて、警察トップの辞職へとなる。何事も葬祭のペースに合わせて動く。

報告書にあるように、要人警護のあり方に問題があるのなら、一刻も早く改善すべきです。49日の法要の節目に合わせて、変更を表明するなんて時代錯誤でしょう。

中村長官は早くから辞職する意向は持っていたそうです。発生4日後、記者会見で「今の段階で私が果たすべき責任は、事件の発生と見直しに全身全霊をもってそのことにあたる」と述べました。

事件発生時の長官が居座っていれば、警備警護体制の検証に支障がでないとはかぎりません。官僚トップにふさわしい常識があれば、「検証には協力する。報告書の公表後に辞職する」と、表明しておけばいいのです。

銃撃事件発生の直接的な責任は現場にあります。中村長官にはありません。奈良県警本部長、本部警備課長、所轄の奈良西署長、実際の警備にあたった警護員という順に直接的な責任は濃厚になってきます。

警察庁は個々の具体的な警備活動は行わないにしても、中長期的に警備体制の在り方を考える責任は重大です。今回、30年ぶりに抜本的に運用をやっと見直し、警察庁の関与を強めます。今まで何を考えてきたのか。

「3Dプリンターで銃器を作成できる、ネット上に違法、有害情報が流れる時代の対策」(報告書)などは、県警単位で限界があり、警察庁の関与を強化することが必要です。これまで30年も「警護要則」を変えようとしてこなかったことに驚きます。

メディアでは、トップが「辞職する」、「辞任する」、「引責辞任となる」などと報道されています。「辞職して離職、退職する」のか、「役職だけ解かれ、職場にとどまるのか」は推察するしかない。官僚や政治家の進退をめぐる表現の曖昧さは困ったものです。

中村長官は最高ポストですから、「辞職、退職」でしょう。鬼塚本部長は「辞職願い、30日付辞職」は「役職辞職だけなのか退職」なのか、想像するしか分からない。新聞の書き方も不親切、怠慢です。

「困ったものだ」では、国松・元警察庁長官のインタビュー記事「何がおきるか常に意識を」(読売新聞)には驚きました。地下鉄サリン事件(95年3月)の10日後、自宅マンションをでたところで銃撃を受け、重症を負いました。「それまで長官には警護員はついていなかった」にはあきれる。

オウム真理教の狂気に満ちた犯罪が次々に浮上しているのもかかわらず、自らの警護は無防備でした。警察が犯人捜査(結局、不明)に全力を挙げたため、オウム事件の解明がその分、遅れました。

その人物が「安倍銃撃事件では、警護は大失態。全国警察の認識が甘かった。後方に警戒員がいない危険な状態だった」(同)とは。国松氏も警護員を置いていたら、オウム事件の最中、犯人は出勤時を狙うこともなかったでしょう。この人達はなにを考えているのだろうか。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年8月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。