日琉同祖論とは、文字通り日本(現在の日本本土)の人々と、かつて現在の沖縄県とほぼ同じ領域に存在した琉球国(通称「琉球王国」)を構成していた人々、つまり日本本土の日本人と琉球人とがその起源(祖先)は共通であるとし、民族的にも同一性を主張しようとする理論である。
日琉同祖論に関する様々な動きが歴史上知られているが、最も重要視されているものに、17世紀に琉球国で摂政(“しっしー”と発音し、国政において国王に次ぐ地位。原則王族が就任)を務めた羽地朝秀(1617~1676年)によるものと、20世紀初頭沖縄学の父と言われた民俗学者・言語学者であった伊波普猷(1876~1947年)によるものがある。どちらも琉球・沖縄側の動きである点で共通している。今回は主に前者について紹介する。
琉球国は、現在の日本国領土内で唯一主権、外交権をもった異国であった。その最盛期(14世紀~16世紀頃と言われることが多い)には、日本や明・清朝、朝鮮王朝はもとよりルソン、マジャパヒト王国(インドネシア)、マラッカ、バタニ、安南(ベトナム)、シャム(タイ)等との東アジア・東南アジアの広範囲に及ぶ交易で栄え、ヨーロッパにも知られた国家であった。
現在の日本国の領域内で唯一、ローマ帝国とイスラム帝国の硬貨も出土している。尚真王代(1477~1527年)に達した最大版図は、尖閣諸島と南北大東島を除く現在の沖縄県に加え、与論島、徳之島、奄美大島、喜界島を含む奄美群島に及び、トカラ列島からも入貢を受けていた。
その後、外国と交戦のない平和が続いていた一方、ポルトガルのマラッカ進出等の国際情勢の変化で経済力・国力は徐々に弱体化していった。1609年、財政難に苦しみ、琉球の貿易利権を狙っていた薩摩藩が徳川政権の許可を得、琉球国に約3千人の戦力で侵攻した。琉球側もそれ以上の規模の国軍で応戦したが、日本本土での戦乱を経験したばかりの薩摩軍にあっけなく降伏した。
琉球国の為政者達は、特に支配階級・士族階級の人心も落ち着かない中、その後明・清朝の朝貢国でありながら薩摩藩の監視下で緩やかではあるが日本本土の幕藩体制に組み込まれ、両大国の狭間でバランスを取りながら国の独立を保つための新しいかじ取りが求められる事になった。
そのような時代背景のもと、1650年琉球国最初の正史『中山世鑑』を尚質王(在位1648~1668年)の王命により編纂した羽地朝秀(尚質王の従弟であり、後に国王に次ぐ最高位「王子」に称せられるようになった)は、『中山世鑑』の中で琉球最初の国王とされる舜天王は、伊豆大島から脱出して琉球に渡った源為朝と地本豪族の妹との間に生まれた子であったと述べることにより、源為朝の来琉伝説を基に琉球の王権の始まりは日本本土に遡ると記載した。尚、源為朝琉球渡来説自体はもともと日本本土で、主に臨済宗の寺院である京都五山を中心に16世紀前半には流布されていたようである注1)。
また羽地は1666年、尚質王の摂政に就任した後の1673年に仕置書(行政命令を兼ねた意見書)を発布し、その中で「琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからである」と語り、王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先も日本から渡来してきたと述べた注2)。これが琉球・沖縄側で公的に唱えられた日琉同祖論といえる。
近世では沖縄学の父と言われた伊波普猷(1876~1947年)が、琉球の古語や方言に、中国文化の影響が見られない7世紀以前の日本語の面影が多く残っているため、中国文化の流入以前に多くの本土日本人が移住したという見解を述べている注3)。伊波が生きた時代も、琉球が大日本帝国に併合された(「琉球処分」)直後で、日本への同化が求められた時代であったことは事実である。
近年の研究によれば、琉球国を形成してきた人々は、民族的には11世紀頃から九州から南下してきた大和民族(和人)が母体となっていることが言語学および考古学からは推定されている。さらに古代に遡ると、宮古島で発見された人骨のDNAのゲノム(遺伝情報)が日本本土の縄文時代の人骨と100%一致することがわかっている注4)。
羽地がこれらのストーリーを公式文書としてとりまとめた過程や、ましてや彼の当時の心境を察することは不可能に近いが、学術的根拠ではなく国家運営上の必要性から「日琉同祖論」を発布した可能性が高いと考えられる。
琉球国は、1609年までは建前も実態も完全な独立国であり、1879年までは少なくとも国際社会では独立国として承認されていた。同時に、琉球国の国民も日本本土からも異国人として認識されていたが、近代科学により琉球人は日本本土の日本人とおよそ「同祖」であることが確認されたと言ってもよいであろう。
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注1)矢野美沙子「為朝伝説と中山王統」『沖縄文化研究』第36号、法政大学沖縄文化研究所、2010年3月、1-48頁
注2)「真境名安興全集 第一巻」1993年 19頁
注3)「琉球古今記」伊波普猷 刀江書院 1926年
注4)M. Robbeets, et al., “Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages”, Nature, Vol 599, pp.616 (2021)