セイジ・オザワ松本フェスティバル『フィガロの結婚』(8月21日)をまつもと市民芸術館で鑑賞。今年で30周年を迎えたこのフェスティバルでは、マエストロ小澤征爾の芸術理念をオーケストラ公演や室内楽、教育プログラム等を通じてひと夏かけて享受することが出来るが、ハイライトは海外の一流歌手たちをふんだんに揃えた豪華なオペラ公演。
国内の最高峰レベルのプレイヤーを集めたさサイトウ・キネン・オーケストラを振るのは、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して以来、国内のみならず海外での人気と評価もうなぎ上りの沖澤のどか。2023年4月からは京都市交響楽団の常任指揮者のポストが決まっている。
ロラン・ペリーの演出は、絵本で組み立てたオブジェのような回転する装置に乗って、登場人物たちがてんやわんやの大騒ぎをする。朝から始まる結婚式、新婦のスザンナは寝室の寸法を測るフィガロをからかいながら、妻になる喜びともに、領主が使用人の結婚に際して権利を揮う「初夜権」の憂いを歌う、スザンナを歌った中国出身のソプラノ、イン・ファンは理想的なモーツァルト歌手で、透明感が高く無駄な抑揚やヴィヴラートが一切ない。細身で身体が軽いからか、ペリー演出では男性役から「お姫様抱っこ」される場面が矢鱈多かった(伯爵はしつこいほどスザンナを抱っこしていた)。
声楽的には必ずしも「モーツァルト的」とは思えない癖の強いイタリアオペラ風の発声の歌手も登場し、最初は「この歌い方はモーツァルト的ではないのでは?」と思うこともあったが、これはいかにも日本的な神経質な聴き方なのかも知れない。
役者っ気たっぷりのフィガロをカナダ出身のフィリップ・スライが演じ、トーキー時代のダンディな俳優を彷彿させる女好きのアルマヴィーヴァ伯爵をオーストラリア出身のサミュエル・デール・ジョンソンが歌った。声楽的にはアクが強いが、芝居のテンポが卓越していて、特にフィガロのレチタティーヴォは今まで聞いたことのない見事な「セリフと歌の流麗な合体」であった。語りが7割で、歌が3割といった印象だが、これは凄い名人芸だと思わずにはいられなかった。
スザンナのすっきりとした発声とお茶目な演技はダントツだが、このキャストの中ではズボン役のケルビーノを演じたアンジェラ・ブラウワーが飛びぬけて素晴らしいアリアを聴かせた。
有名なケルビーノの「自分で自分がわからない」は、思春期の少年の性のめざめをコミカルに歌う場面と思われていたが、ここで指揮者は特別な音楽作りをしており、伴奏のゆったりと引き延ばされた間と弱音が、神の前に差し出された子羊のような、宗教的な歌に感じさせた。ケルビーノ役のブラウワーは終始素晴らしく、「恋とはどんなものかしら」も、聖歌のような清冽な声で歌った。
『フィガロの結婚』は、「愛の哀しみ」のオペラであり、人は愛に翻弄され、ある者は権力を駆使して望みを果たそうとし、ある者はずる賢さで快楽をかすめとろうとし、ある者は喪失感に苛まれて死を考える。
伯爵夫人のアイリン・ペレーズは、2010年のロイヤルオペラの来日公演で代役のカバーとして来日し、アレルギーを起こしたエルモネラ・ヤオの代わりにヴィオレッタを歌って喝采を得た人だが、今や貫禄のディーバとなり、愛の憂いを豊かな声で歌うスターとなった。もっと軽やかさが欲しいと思った箇所もあったが、スザンナとの息はばっちりで、演劇的にはパーフェクトな伯爵夫人だった。スザンナの姪バルバリーナを演じたシャイアン・コスも美しい声だった。大変若い歌手で、キャリアの初期に松本での一流の舞台を経験したことは彼女にとって大きな宝物だっただろう。
オペラを作り上げているのは紛れもなく指揮者である…という決定的なことを改めて認識した。沖澤さんの音楽作りが卓越している。ひとつひとつの響きやフレージングをとても丁寧に作っていて、気まぐれや勢いで振るような箇所はひとつもなかった。プレイヤーにも究極のバランス感覚や自制を求めるものだったのではないだろうか。
こうしたモーツァルトへの取り組みは、作曲家について語られてきたメジャーな歴史観をも塗り替えるもので、モーツァルトは映画『アマデウス』に描かれていたような躁病的な人物ではなく、細部にわたるまで美しい音楽を研究し、刻苦勉励して旋律と響きのアートを作り出した苦労人であったことが浮き彫りにされた。
そうまでしてモーツァルトがオペラで残したかったものは、ただの儚い美でもただの諧謔でもなく「人間とは何だろう」という真剣な問いだったに違いない。沖澤さんがケルビーノのアリアに大胆なテンポと「間」を導入したのは、作品の本質に切り込んだ重要なアプローチだった。
劇場の空気が素晴らしい高揚感で振動していて、上演中もとてもいいタイミングで笑いが巻き起こる。東京ではこういう雰囲気になることはあまりない。「だってフィガロはこういう話だし」と冷めた感じの客席になりがちだ。
頻繁にオペラ公演が行われるせいでもあるが、歌手やオーケストラにたくさんの期待をして鑑賞に臨めば、新しい幸せが生まれるのではないだろうか。松本市民が誇りをもって支えているフェスティバルということも大きいのかも知れない。会場ロビーでは音楽祭の記念グッズが飛ぶように売れていて、これも東京ではあまり見ない光景なのだ。
8月21日は3回行われる公演の初日だったが、歌手もオーケストラも気力が充実し、カーテンコールに登場した演劇スタッフも幸せそうな表情だった。既に二回目の公演も終演しているが、鑑賞できたオペラファンは幸せである。
小澤さんが毎朝五時に起床してスコアを勉強していたというのは有名なエピソードだが、沖澤さんもそれに負けない「こつこつ派」で、歌手にスポットライトが当たる場面でも音楽は粘り強く潜伏していて、意外な瞬間にオーケストラの精神力に驚くポイントがある。歌手とオケの結束力がピークとなる最終日の上演は格別なものになるだろう。