コトラーと資本主義の終わり

DNY59/iStock

アゴラのほかの執筆者とは異なる意見であることが多いが、今回、岡本裕明氏のコトラーの記事では、まったく同意見であった。これ以上同意することはできないほどだ。

Less is moreという言葉を引用されているが、small is beautifulという1970年代初頭のシューマッヒャーの言葉と同じである。

しかし、岡本氏と私の違いは、岡本氏はいい人で、私は普通に嫌な奴だ、ということである。

コトラーが最晩年にこんなことを言い出したら、「素晴らしい!」ではなく、「なんと無責任な!」と叫んでしまう。

彼が、ところん、ブランド、無駄なぜいたく品消費社会を手玉に取って、さんざん金儲けを指南し、地球の破壊に最大に貢献した後で、壊れてきたから、もうやめろ!とアドバイスして、またカネをとるのである。

まあ、これはコトラーに限った話ではなく、近年でも「日本企業は利益が少なすぎる」「もっと儲けろ」「株主の言うことを聞け」と散々非難、攻撃し、かつての美しい日本の価値観、三方よし、縄文時代から続く、本当の持続性のある社会(農耕ができてもそれをあえて行わなかった、農耕とは人間による環境破壊だから、狩猟採取生活でかつ、維持可能な程度の狩猟採取にとどめ、しかも、縄文時代に植林も試みていた痕跡がある)の価値観を破壊しておいて、SDGsとか言い出して、日本はハイブリッドの車で環境破壊だ、とディーゼルで公害をまき散らしてきたやつらが、ディーゼルのスキャンダルが起きると、戦略を変えてきた。

まあ、そんなことをいまさら言っても始まらない。近代資本主義の発生した1492年以降、世界は、ヨーロッパによって破壊され、支配されてきたのだから、私の現在の遠吠えも、また、何を今更、ではある。

しかし問題は、今、コトラーが言っていることは大間違いだ、ということである。

なぜなら、近代資本主義による破壊というのは、資本主義を修正しただけでは加速するだけであるからである。そもそも、近代資本主義の前のバブル膨張主義だったのは、ギリシャ・ローマ時代であるが、その間の膨張をやめたのが、中世であり、ただ、循環しているにすぎないのである。

したがって、近代資本主義は当然膨張期から衰退期に入り、もうすぐなくなるということであり、修正するのは、世界を社会をより傷めることに過ぎない。新しい資本主義ではなく、資本主義が終わり、その次のシステムに移行する。それが、現在必要なことなのであり、コトラーはやはり、依然として近代資本主義の世界に生きており、無駄なアドバイスをして金を儲けるというまさに資本主義の真骨頂を発揮して、リタイアしていこうとしているのである。

コトラーという名前を誰も知らなくなったころに、新しい時代は始まるだろうから、コトラーは自分の間違いには永遠に気づかないだろうが。