外交評論家 エネルギー戦略研究会会長 金子 熊夫
今年は第二次世界大戦(日米戦争)が終わってから77年です。ちなみに、明治維新(1868年)から終戦までが77年で、ちょうど同じ期間です。偶然の一致ですが、私には何か因縁のようなものが感じられます。
この歴史的な節目の年に、二つの77年間の日本の来し方行く末や、「戦争と平和」の問題を長い時間軸(タイムスパン)でじっくり考えてみるのは大変意味のあることだと思います。
折しも、ロシアの侵攻によってウクライナ戦争が勃発して早や6カ月。現地の悲惨な状況は毎日テレビや新聞で詳細に伝えられていますが、日本にとってもこの戦争は決して対岸の火事ではなく、日本が再び戦火に見舞われることのないよう、常日頃から国際情勢をしっかりウオッチしていかねばなりません。
実は私は9月22日、久しぶりに郷里の愛知県新城市に帰り、母校の東郷中学校で最近の国際情勢について講演(演題は「戦争は何故無くならないのか」)をすることになっていますので、目下、十代前半の生徒諸君にどんな話をしようか思案しています。
私自身は、1937(昭和12)年の生まれで、終戦は小学3年の時でした。その5年後、中学2年の時に朝鮮戦争が勃発。一時は北朝鮮軍が韓国の大半を占領し、わずかに釜山だけが持ちこたえていているという危機的状況でした。もし釜山が陥落したら次は九州に攻めてくるのではないか、そうなれば日本は赤化(共産化)されてしまうかもしれないという恐れをひしひしと感じました(幸いマッカーサー率いる米軍が仁川に奇襲上陸し、共産軍を38度線以北に後退させたので韓国の共産化という最悪の事態は避けられた)。
それまで、田舎の少年には、国際政治情勢なんて関係ないと思っていましたが、以後国際政治への関心が急に深まり、それが後年外交の道に進む最初のきっかけとなったと思います。
さらに外交官になってからは、本欄でたびたびお話ししたように、ベトナム戦争中のサイゴン(現ホーチミン市)の日本大使館で勤務。あの悲惨な戦争を身近に体験し、自分自身も危険な目に何度か遭ったので、実際の戦争がどんなものかよく理解しているつもりです。
しかし、そういった経験が全くない現在の若い日本人は、戦争というものをどう考えているか、また、現在進行中のウクライナ戦争から何を学ぼうとしているか気になるところです。
そこで、東郷中学校の教頭先生に頼んで、生徒諸君の知識のレベルや関心事項を事前に知るためのアンケート調査をしてもらいました。その結果、多数の生徒諸君からのさまざまな真剣な回答をまとめて送っていただいたので、それを参考にしながら、目下私の考えを整理し、9月の講演の準備をしているところです。以下は、その予告編というか骨子としてお読みください。
国家は何故戦争をするのか?
まず最初に、そもそも国家は、あるいは人類は何故戦争をするのかという根源的な問題から始めましょう。
異論があるかもしれませんが、私は、元々生物には闘争本能(種族保存本能)があり、基本的に弱肉強食の世界だと考えています。ライオンや虎のような猛獣だけでなく、犬や猫でさえも、「縄張り」意識があり、少しでも自分自身や家族(種族)の生活領域を拡大しようとするし、もし侵略者が現われると猛然と反撃に出ます。
別に暴力団やヤクザでなく普通の人でも、例えば自宅と他家の宅地や田畑の境界線争いには敏感で、過剰反応しがちです。油断していれば当然狙われるし、力が弱ければ侵食されます。単独で立ち向かうだけの腕力が無ければ、いくつかの家族や部族が連携して対処します。そうして戦い、すなわち戦争が始まります。いったん始まると悲惨な結果になるのが常です。
性善説と性悪説
とくに国際政治をみる見方として、性善説(理想主義)と性悪説(現実主義)がありますが、残念ながら、現実の世界は基本的に性悪説で見た方が間違いが少ないと思います。
ところが、現在の日本国憲法、とくに前文と第9条はあまりにも性善説に偏り過ぎていると私は考えています。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(前文第2項)と理念を高く掲げるのは結構ですが、それだけでは不十分であり、むしろ危険です。
【日本国憲法】
前文第2項
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。(以下略)」
第9条第1項
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
同第2項
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
周知のように、日本国憲法は、敗戦直後の日本を徹底的に骨抜きにして、二度と侵略戦争を始めないようにすることが最大の眼目でした。自衛権は、あらゆる国家に認められた当然の権利であるのに、それさえも否定された(と解釈される)形式になっています。
実は、日本国憲法が出来てわずか2年後に米国を中心とする自由主義圏とソ連を中心とする共産主義圏の対立が「冷戦」という形で表面化し、さらに朝鮮戦争で日本の安全保障への危機感が高まりました。その結果、米国の対日政策が一変したのに、憲法9条の「陸海空軍その他の戦力」は持たないという原則に縛られ、日本の防衛政策は中途半端なものになりました。自衛隊という組織は出来たものの、自力では自国防衛がおぼつかないので、別途米国と安全保障条約を結び、米軍の駐留を認め、その代わり日本を防衛してもらうという仕組みが出来ました。これは現在も続いています。
今回のウクライナ戦争の帰趨いかんによって、もし中国が台湾の「武力解放」に踏み切れば(台湾有事)、日本は全く無関係ということはあり得ないでしょう。この問題は、憲法改正とも絡み、まさに現在の日本の最大の政治・外交課題となっており、さまざまな議論が行われていますが、中学生諸君にも未来の日本を担う者としてしっかり考えてもらいたいと思います。
何故戦争を防止できないのか?
前節でみたように、人類に闘争本能があり、紛争や戦争が起こる「火種」がごろごろしていても、それを事前にチェックし、防止する機能が国際社会に備わっていれば問題ないわけですが、現実にはそうなっていないところが大問題なのです。
ここで念のために、国内社会と国際社会の基本的な違いをおさらいしておきましょう。国内社会には、国が定めた法律があり、それに反して窃盗や殺人を犯すことがないよう警察が常に目を光らせています。もし犯罪を起こせば犯人を逮捕し、裁判にかけます。誰もそれを拒むことはできません。もし拒めば刑務所に入れられるとか、場合によっては死刑などの刑罰を受けます。そのことが「抑止力」となっているので、社会の秩序と平和が維持されており、私たちは枕を高くして寝られるわけです。
国内社会と国際社会の違い
ところが国際社会には、そうした制度も仕組みもまだ出来上がっていません。そもそも世界に存在する200以上の国家は、大小にかかわらず、それぞれが「主権」を持ち、独立しているというのが大原則です。主権とは誰にも強制されない、独自の、かつ最高の権利という意味です。
そうした主権国家が併存する国際社会には、過去100年ほどの間にいくつかの国際組織が設立されています。その中で最大規模のものが国連(国際連合)ですが、その国連も、原則的に一国一票で、各国平等という建前になっているので(安全保障理事会だけは特別で、米英仏露中の5カ国は拒否権を持つ)、どんな国に対しても嫌なことを無理やり押し付けることはできません。無法国家を処罰し国際秩序を維持するための強制力を持った警察も軍隊も裁判所もまだ十分に備わっていません。将来、おそらくかなり遠い将来、そうした強制力を持った本格的な「世界連邦政府」が出来れば話は別ですが、現在の国際社会はまだそこまで行っていません。
ここが国内社会との決定的な違いで、ここをしっかり把握しておかないと国際政治・軍事状況を正しく理解することはできません(だから、今回のウクライナ戦争についても、ロシアとウクライナのどちらが本当に悪いのかにわかに断定できないし、まして戦争を終結させる確実な方策も見つからないということになります)。
抑止力とは何か?
こうした不明確かつ不安定な国際社会においては当然各国はそれぞれ自前の防衛力(軍隊)を持っていますが、自国だけでは力が足りないと思う国は、利害関係を共有する他の国または国々と共同防衛条約を結ぶわけで、前述の日米安保条約もその一つです。
そして、万一どこかから攻撃を受けた場合には、自力で、あるいは、お互いに助け合って戦うわけですが、それよりも大事なことは、そのような攻撃を相手(敵)が仕掛けないように、日頃からこちらの警備を固めておく。そして、もし攻めてきたら、痛い目にあうぞということを示すことによって、相手の攻撃を事前に思いとどまらせる。これがいわゆる「抑止力」という仕組みです。日頃から抑止力を強めておけば、相手に隙を突かれることもなく、攻撃されることも避けられるということです(なお、これに関連して、「核抑止力」という難しい問題がありますが、ここで限られたスペースで簡単に説明することはできないので、他日に譲ります)。
憲法改正問題
日本の憲法改正問題について言えば、第9条を改正して防衛力を高めるということは、決して戦争をしかけるためではなく、戦争の危険を未然に抑えるため、つまり平和を維持するためだということです。ここを正しく認識することが非常に大事です。
具体的に憲法のどの条文をどう改正するかは、いろいろな議論があり、さすがの私も今ここで断定的なことを言うのは避けるべきだと思います。中学生諸君にはかなり難しい問題であることは確かですが、今後学校の授業で、先生の言われることをよく聞き、自分でも出来るだけ調べて、しっかりした考えを持つようにしてもらいたいと思います。私自身の過去を振り返ってみても、中学生時代に勉強したことがやはりその後の人生でも大きなインパクトを持ったという気がします。難問を避けずに、ぜひ正面から挑戦してください。
(2022年8月29日付東愛知新聞令和つれづれ草より転載)
編集部より:この記事はエネルギー戦略研究会(EEE会議)の記事を転載させていただきました。オリジナル記事をご希望の方はエネルギー戦略研究会(EEE会議)代表:金子熊夫ウェブサイトをご覧ください。