人口減少をめぐる社会学的想像力(後編)

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3. 高田「人口方程式」の応用

「生活水準」と社会発展

前編で概観したように、令和時代の今日では、9つもの人口関連の日本新記録が継続中である。日本社会の今後を展望する際にも、この動向への着眼は不可避となるはずだが、2022年6月7日に公表された岸田内閣の『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)』(以下、『新しい資本主義案』と略称)では、年少人口比率のように48年間も漸減しているような「人口減少」への配慮はほとんど見られない。

いわば「人は減る、物は売れない」時代が到来した中で、どのような「しごと」により、何を製造するか。また買ってもらえる「ひと」が、いかなる「まち」に住むのかは依然として日本社会が直面する大きな課題である注11)

その延長線上で、人口減少を軸とした今後の消費を軸として、他者との交流も含む「生活水準」と社会発展を考えるために、高田保馬が100年前に発表した「人口方程式」を取り上げて、特にその理論化への道筋を考えておきたい。

「生活水準」は基本的に経済面にも深く関連するので、社会学の立場からとはいえ、たとえば「経済的事実を非経済的与件に結びつける因果関係の一般的形式を叙述すること」(シュムペーター、1926=1977:29)は避けられない。かりに高収入で豪華な住宅で暮らしていても、その人が持つ社会関係のうちの親しくて信頼のおけるソーシャル・キャピタルが貧困では、高い「生活水準」という判断が得られるとは限らない。逆にソーシャル・キャピタルに恵まれていても、収入が生存ぎりぎりでは「生活水準」は低いと判断されることもある注12)

このように個人レベルでも収入とソーシャル・キャピタルとの関係は切り離せない。そのため与件として社会全体の人口減少は、個人と同じように社会システムの場合でも、経済面、政治面、文化面それぞれに密接な関連をもつことは自明であるとしておこう。

(前回:人口減少をめぐる社会学的想像力(前編)

高田保馬の人口方程式

周知のように、社会学と経済学で膨大な著作と論文を残した高田保馬の偉業の一つに人口史観があり、その集約的表現が人口方程式

である注13)

Sは特定社会の「生活標準」であり、Bはそこでの「人口」とされ、Pは社会の「生産力」で、dは分配係数と位置付けられた(高田、1934:122)。

この人口方程式の発表前に、高田は『社会学原理』のなかで「生活標準」(standard of living)をすでに使っていた。そこでは「人口の増加は一方分母たる生活標準により他方分子たる一般的生産力によりて規定せらる」(高田、1919:1128)とされているので、人口、生活標準、生産力の関連から創られた高田人口方程式の発想は、1919年段階ですでに存在していたことになる。そしてこれもまた「生産力」という「経済的事実」を人口や生活水準という「非経済的与件」に結びつけた事例である注14)

発表当初は(1)の表記であったが、20年後には、「生活標準」Sが「生活水準」Nにかわり、「人口」BはHと表記が変えられた(高田、1954;1955)。しかしここでは、混乱を避けて当初の記号で作られた(1)をそのまま使い、さらに高田が20年後に変更した「生活水準」で統一する注15)

ここには、人口が一方では消費を軸とする生活水準に規定され、他方では人口による生産力がそのような消費を行えるような所得をもたらすことが簡単な数式で表現されている。(1)は

と変換されるから、人口数は生活水準と生産力で決定されるといえるが、分配係数dがあるために、それほど簡単でもない。ただし、少子化が進み、人口減少社会を考える際の根本原理として、生産力と生活水準間でこのような関係を知っておくことは、応用場面が広がると考えられる。

かりに(1)を

と変換すれば、日本の少子化対策では生活水準(S)を下げないために、人口を減らすか、生産力を上げるしかないことも分かる。

ケインズモデルの投入

さて、高田がライバル視していた同世代のケインズの最単純モデル(ケインズ、1936=2012:118)では、国民総生産=国民総所得=消費+投資、すなわち

となる。そこでは「国民総生産」(P)は「国民総所得」(Y)と等しく、「消費」(C)と「投資」(I)の合計で得られる。だから、一般論としても社会システム全体での「所得」を増やすには「消費」と「投資」を増加させるしかない。もちろんそこにはさまざまな制約がある。

たとえば「投資が貯蓄のすべてを吸収し得なくなる」(高田、1955:14)とみたうえで、高田は投資を「産業投資と公共投資の両者を含む」(同上:15)とした。私も実感的にはこちらを支持する。

そうすると、ここでも投資(I)を産業投資(II)と公共投資(I)とに二分割して、

を得る。

この基本的な立場は「人口の増加は需要の増加を意味し、資本の増加は供給の増加を意味する」(高田、1932:110)のなかで、供給が需要を創り出すという古典派経済学と需要に合わせて供給がなされるとしたケインズ学派との両者間の対立を論じつつも、「需要が供給を決定する」という流れに合致する。ただし、この認識からすると、人口減少は「需要の減少」を意味し、需要が減れば資本にとっては売り上げが落ちることになり、「供給の減少」に直面してしまう注16)

ただし、高田(1955)では、投資は「多義的」であり、ケインズの乗数理論は「公共投資」のみに当てはまり、「産業投資」には期待しがたいとした(同上:145)。果たしてそうか。

高田とケインズの組み合わせ

ここで、高田人口方程式「SB=dP」に、ケインズの最単純モデル「Y=C+I」を組み合わせると何が見えてくるかという思考実験をしてみよう。厳密な数学モデルとは言えないかもしれないが、高田の生産力Pとケインズの国民総生産(国民総需要)Yとは等しいとして、「P=Y」と仮定すると、(1)から

ができる。(5)を使うと

が得られる。さらに

となる。これは(2)と全く同じである。

そこで(8)を文章で表現すると、「人口数=分配係数×国民生産(産業投資+公共投資)÷生活標準」となる。

人口数はこのような方程式で得られるのだとすると、人口増加とは、右辺の分子を大きくするか、分母を小さくするか、この両方を同時に行うかしかない。

このうち、分母を小さくすることは、生活水準とりわけ消費を落すことと同義だから、国民の大半は賛成しない。したがって、人口増加には分子を大きくし続けるしかない。すなわち、政府が公共投資、産業投資、消費のいずれかもしくは全てを拡充する政策に収斂する。

「分配係数×国民生産÷生活標準」の商が人口数である

このように考えても、実際にはデータの質が異なるから、厳密な意味での数学的展開は出来ない。ただある程度は、論理的な思考を導くことは可能である。すなわち、(7)の右辺は「dC+dl+dlI」となるから、これは「分配係数×消費+分配係数×産業投資+分配係数×公共投資」を意味しており、それらの合計を生活水準で割ると、状況に適合した人口数が得られるという思考実験である。

前編で概説したように、日本ではBに当たる総人口数は13年間減少しているから、高田人口方程式の左辺にある「生活水準」を維持するか上げるためには、右辺をどうしても上げる必要が出てくるのである注17)

消費を増やすか投資を増やすか

すなわち、「生活水準」を支える消費を増やすか、「産業投資」を増加させるか、「公共投資」を嵩上げするかしか、打開の道は見当たらない。(8)でいえば、①人口数Bを上げるには生活水準Sを下げるか、②Sがそのままならば、「消費+産業投資+公共投資」を増やすか、③Sを上げるなら、「dC+dl+dlI」の合計はもっと多くしなければならなくなる。

ただしこれはいわば真空状態における仮定として、生活水準一定、資本係数一定、貯蓄率一定が条件(高田、1954:11)なので、21世紀の日本社会の実際の場面では利用できない。現実的に、これらが一定であることはないからである。しかし、地方創生そして日本の社会発展における「まち、ひと、しごと」をめぐる消費、投資、貯蓄に、人口方程式の変換から得られるこのようなアイディアをどのように関連させていくか。

高田がいうように、投資と雇用、資本の利用、労働の利用が「全部的」(高田、同上:13)であることはなく、ケインズ学派的には失業を含み、過剰資本を含む。同時にこれは、投資に向けられぬ貯蓄と非自発的失業(involuntary unemployment)を前提とした状態にあるモデルでもある注18)

人口増加と需要の増加

さて、歴史的には「人口の増加に比例する需要の増加がある」(高田、1932:106)ことは間違いない。世界各国の産業革命の歴史や日本の高度成長期の事例からも、「需要増加は必然に生産の拡張を意味し、生産の拡張は労働の需要増加、所得の増加を意味する」(同上:108)。これは人口増加の時代における需要が供給面を刺激して、生産の拡張を必然化するという構図である。

おそらく「公共投資」だけではなく、「産業投資」でも乗数効果は期待できるから、いくつもの波及効果が想定される。小室が数学的に繰り返し証明したように、1兆円の設備投資を増やしたら、国民総生産は乗数効果により最終的には投資額の5倍にもなるからである注19)

ただし、現今の人口減少社会はこの真逆であるから、需要増加も生産拡張も所得増加もそのままでは期待できない。すなわち、人口減少が需要の縮小を引き起こし、その結果として生産は削減され、売り上げは縮小し、利益が減り、労働者所得も減少して、国民全体の所得の低下も著しくなる。しかも、今後日本の数十年間は社会システム全体で高齢世代の人口圧力が続くから、若い世代と高齢世代間の対立の構図が解消されず、保有資産や流動資産間の不均衡も続く。その意味で、「世代会計」でも格差が大きくなる。

2013年に安倍内閣により、人口減少社会の到来を受けた地方創生が提唱された背景には、このような深刻な「少子化する高齢社会」の本格的到来があった注20)

消費函数

さらに人口方程式で注目しておきたいことは、「消費不足」についてのいくつかの議論である。高田はケインズ消費函数を、①所得の不平等ないし階級的へだたりに重点を置かない、②国民所得の増加に伴う消費率の減少に重点を置く、③投資の増加によって消費の不足からくる需要の補完ができる、とまとめた(高田、1955:135)。①により、「格差」を論じない、②からは国民所得が増えると、買わなくなる、③では消費よりも投資に回すことなどを高田は強調した。このうち②は階層論から見て卓見であろう。

加えて、ケインズは総消費函数従って貯蓄函数に注意を集中し、総消費すなわち総貯蓄に着眼することで、資本主義の前進すなわち生産拡張の障碍の問題に立ち向かい、政策に関する予測と計画とを企画した(同上:136)。これも人口方程式に役に立つ示唆となる。

所得増加は消費率を下げる

既述したように、ケインズ研究から高田は、「社会の生産拡張従って所得増加につれて消費率は減少するという結論」(同上:137)になることを引き出した。そのうえで高田は、所得の相対性と消費の不可逆性の観点から、「個人的需要は独立のものではない。社会的影響を強く受けるものであり、他人の需要によって左右せられる。いわば独立的ではなく依存的である」(同上:138)と指摘した。

これは現在の社会学理論ではマートンの準拠集団論で説明できる内容であり、社会学者高田の一面が垣間見られる注21)。それならば、個人的需要に影響が強い社会的要因を積極的に追究したい注22)

所得と消費の関連は、「ひとたび上がった消費は所得がへっても自らを維持しようとする」(同上:139)ので、相対所得の原則が構築されたのである。高田によって日本の人口増加の時代に論じられた消費函数問題は、それから70年後の日本の人口減少社会でももちろん有効である。いったん消費水準が上がると、その維持を心がけ、総体としての生活水準を下げようとしないのが人間の本性にあるからである。所得が乏しく、貯蓄も少ないが、政府や自治体からの各種手当や支援が今のところは保障されているために、置かれた立場の差はあっても一定の個人的需要が満たされている。

しかし、今後とも続く予想の人口減少により、それが困難になれば、社会的需要は先細りして、生産力もそれに呼応して、縮小する。

人口方程式の分配係数の問題

最後に、高田人口方程式SB=dPのうち、d(分配係数)を考えておこう。原案を発表した当時、高田は勢力説に基づきdを政治的分配係数dと経済的分配係数deとに二分した(高田、1934:136)。「分配係数dは社会的勢力関係によって決定せらるる」(同上:128)。すなわちこれらは権力構造の核となる政府が握る変数と見なせる。なぜなら、多くの場合、経済的分配による成果を期待した政治的分配が決定されるからである。

私は政策としての地方創生にも影響力が強い思想的分配係数dを両者に追加して、dを三元化して再構成する。たとえば地方大学に一定の地方創生活動への貢献を強調する現政権の姿勢は、政治的分配係数dでもあるが、思想的分配係数dとしても理解できるからである注23)。なぜなら、地方都市に大学があれば、そこでは数千人の学生による消費が期待できるからである。もちろんそれに応じて、商品生産のための「ひと」による「しごと」が増える効果も予想される。

このように考えると、高田人口方程式(1)は、(2)において分配係数をd=dp+e +tとするので、先ほどの(8)からは

が得られる。

実際に地方日本でこれから10年後や20年後の近未来の人口(B)を導くには、生活水準(S)を維持しながら、右辺の(dp+e +t)への配慮と(C+I+II)/Sの具体化が課題となる。これこそが、人口減少社会への対応という政府の最重要任務でもある。

地方では投資先が先細ってきた

これは高田による人口方程式とケインズ最単純モデルの組み合わせからの応用であり、日本で生活水準と生産力により人口回復を目指すための地方創生の政策理論としても活用できると考えられる。なぜなら、現代日本社会における人口減少により貯蓄そのものが減少するとともに、地方での投資先が少なくなってきたからである。

企業はもとより、農協や寺院や私立の中学校高等学校それに各種の専門学校や鉄道やバスもまたじり貧に直面する時代であり、地方日本における地方銀行や信用金庫は投資先を探すのに苦労すると同時に、経営的には徐々に苦しくなってきた。加えて、地方日本のほとんどが人口増加ではなく、人口減少や限界集落に直面している注24)

「まち、ひと、しごと」の「消費」問題

地方創生政策にも高田人口方程式は活用できるので、その立場から「まち、ひと、しごと」地方創生を論じてみたい注25)

とりわけ高田のいう「生活水準」が、実感的にも理論的にも個人の職業、地域社会の産業構造、階層ごとにも上下に変動することに留意したい注26)

歴史的には第一次産業に従事する個人の立場からは、家族労働力が家業としての農業などを支える(柳田、1927=1990:465)。同時に、家族従事の販売業などでも無償労働力の豊かさが家業にもプラスになるので、農業や自営業などの家族では「生活水準」としても出生が多くなる。しかも農業や自営業の人びとが多く集まる地域社会では、各集落で微増傾向にある出生数が地域社会全体で合計され、総人口増加の傾向をもつ。この歴史は、近代日本史のうち明治期から昭和中期の高度成長まで連綿と続いてきた。

高田はこれに作用する要因を総括的に「力の欲望」と命名した。「収益の多きを欲せしめ技能の卓越を欲せしめる根本の動力」(高田、1949=1971=2003:63)として、この概念を位置づけたのである。無償の家族労働力を含めた「生活水準」が該当しがちな中小零細製造業関連職種では、高田の「力の欲望」概念による出生率の高さの説明は今日でも有効である。

移動に適した小家族

しかし一方で、日本全国や全世界にわたり「生活水準」として転勤を必然化するような企業に雇用された労働者には、小さい家族が好まれる。なぜなら、家族全体の移動コストが大きすぎるからである。加えて住宅事情も、大都市に象徴されるように価格が高止まりであるために、雇用された労働者の多くが小さな居住空間しか得られず、結果的に日常的にも小家族化か単身化の選択をするようになる。さらに大都市での大学教育費の高騰が、子どもの数を制限するように作用する注27)

企業雇用者の「生活水準」では個人面での「力の欲望」は説明力を発揮しないが、自由な移動を可能とする従業員が多いほど、むしろ世界戦略をめざす企業にとっては有利であるから、組織としての「力の欲望」が満たされがちとなる。その意味でも、100年前の高田人口パラダイムはまだ有効である。

(9)からいえることは、地方創生では主体による分配の際の力点、すなわち、政治的配慮、経済的配慮、思想的配慮のどれを主体が重視するかに応じて、地方の生活水準(S)の位置づけ、および、政策遂行のための公共投資か民間投資の区別が最小限行われることにある。

高田人口方程式とケインズの最単純モデルの組み合わせの結果得られた(9)を活用すれば、人口減少が進む日本で生活水準と生産力により人口回復を目指すための地域政策理論の可能性が高まると考えられる。

「待機児童ゼロ」と「ワーク・ライフ・バランス」の両輪では、30年かけても年少人口減少と総人口減少は全く回復しなかった。その意味で古典に学び、近未来に向けて少子化対応のパラダイム転換の時期である。

注11)これはコミュニティ論を応用した私なりの地方創生並びに日本社会研究の問題意識である(金子、2016)。

注12)経済的変数としての所得と非経済的変数としてのソーシャル・キャピタルとの関連は、階層性や男女の差それに世代間の差があり、どこでも誰でも一貫した関連を示すとは限らない。

注13)高田保馬の全貌は依然として把握できてはいないが、金子(2003)でその入り口を探ったことがある。また高田の『勢力論』と人口史観の全貌が分かる『階級及第三史観』は、『社会学概論』とともに、高田生誕120周年を記念して2003年にミネルヴァ書房から復刻された。

注14)「生活水準」は所得や資産という「経済的事実」以外に、暮らし方、付き合い方、働き方、遊び方などのライフスタイルを含み、そのうえ本人の威信や満足度という心理的変数が加わるという解釈を私はしている。

注15)たとえば1932年の『経済学新講』第5巻107頁でも「生活標準」が使われている(高田保馬、1932)。

注16)いうまでもなく、高田の時代の日本は人口増加の時代であったが、「人口方程式」は人口増加にも減少にも適用可能だと私は判断している。

注17)高田の見識は分配係数dに集約される。すなわち、dに応じて、消費も産業投資も公共投資も決定される余地を残したところに数式モデルの適切性がうかがえる。

注18)非自発的失業とは、現行の貨幣賃金などの労働条件で働く意思がありながら、有効需要不足のために、職を見出せない失業(者)を指す。この対極は、働く能力はありながら、現行賃金などの労働条件では満足しないために職に就かない失業者であり、自発的失業(voluntary unemployment)と総称する。

注19)もちろんこれは乗数理論の数学的モデルである。

注20)岸田内閣での「新しい資本主義案」のうち「デジタル田園都市国家構想」が「地方創生」に関連するが、「デジタル」(DX)に力点がかかりすぎて、「田園都市国家構想」は描かれてはいない(金子、「政治家の基礎力:連載11回 資本主義のバージョンアップ」2022年7月2日)。

注21)ただし、消費と貯蓄は直結しない。なぜなら、高田時代の人生50年時代と今日の人生80年時代では、一人の消費期間が30年長くなっているので、貯蓄に回す余裕が無くなる高齢者が増えるからである。

注22)2015年より始まった文化庁による「日本遺産認定事業」などはこれに該当する。また、潜在的正機能としては「体制批判」をかわす狙いもあるが、春夏秋冬行われるスポーツイベントのテレビ放送も、ここにいう「社会的影響源」に含められる。なぜなら、イベント開催期間中の「まち」に「ひと」が集まるからである。

注23)思想的分配係数dもまた、最終的には経済的分配係数deへの配慮をすることになる。

注24)総務省が2022年8月9日に発表した「人口動態調査」結果では、前年に比べて人口減少したのは、186人増えた沖縄県を除いた46都道府県であった。とりわけ東京圏(埼玉、千葉、東京、神奈川)でも初めての人口減少を記録した。同時に名古屋圏(岐阜、愛知、三重)と関西圏(京都、大阪、兵庫、奈良)を加えた「三大都市圏」でも2年連続のマイナスとなった。

注25)岸田内閣の『新しい資本主義案』ではDX、GX、人への投資に力点が置かれているので、(9)を使うと、政治的分配dが公共投資lを最優先した結果と国民の「生活水準」との関連とにより、人口数が決定されるという文脈になる。

注26)「生活水準」に関連の深い「生活の質」(QOL)やウェルビーイングも同じ文脈にあるとしておく。

注27)なぜなら、子どもへの教育投資はその家族の「生活水準」を象徴する指標の一つだからである。

【参照文献】

  • 金子勇編,2003,『高田保馬リカバリー』ミネルヴァ書房.
  • 金子勇,2016, 『日本の子育て共同参画社会』ミネルヴァ書房.
  • Keynes,J.M.,1936=1973,The General Theory of Employment, Interest, and Money, Palgrave Macmillan.(2012 山形浩生訳『雇用、利子、お金の一般理論』講談社).
  • 小室直樹,2003,『論理の方法』東洋経済新報社.
  • Schumpeter,J.A.,1926,Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung,Duncker & Humblot.(=1977 塩野谷祐一ほか訳『経済発展の理論』(上・下)岩波書店).
  • 高田保馬,1919,『社会学原理』岩波書店.
  • 高田保馬,1925=1948=2003,『階級及第三史観』(新版解説 金子勇)ミネルヴァ書房
  • 高田保馬,1932,『経済学新講 5』岩波書店.
  • 高田保馬,1934,『マルクス経済学論評』改造社.
  • 高田保馬,1940=1958=2003,『勢力論』(新版解説 盛山和夫)ミネルヴァ書房
  • 高田保馬,1949=1971=2003,『社会学概論』(新版解説 富永健一)ミネルヴァ書房
  • 高田保馬,1954, 「成長率の考察」高田保馬編『大阪大学経済学部社会経済研究室研究叢書 第一冊 経済成長の研究 第一巻』有斐閣:1-50.
  • 高田保馬,1955,『ケインズ論難』 大阪大学経済学部社会経済研究室.
  • 柳田國男,1927=1990,『農村家族制度と慣習 柳田國男全集 12』筑摩書房:463-498.