「世論戦の弱さ」は日本のリスク

旧統一教会を題材とした空気で世論は動揺し、ついには岸田総理がお詫びをする事態に至りました。その評価はさておき、今回は「世論戦に対する脆弱性」について考えます。

現状変更国にとって「対日世論戦は楽勝」です。これは日本が抱える巨大なリスクですが、全く手当ができておりません。

なお、「現状変更国」には、80年前までの日本も含まれると考えますが、本稿では「核兵器を保有する日本の近隣国」、具体的にはロシア・北朝鮮・中国を指すこととします。

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現状変更国は対日世論戦を実行するのか

最初に、「現状変更国は本当に対日世論戦など行うのか?それは陰謀論の類ではないか?」という疑問を一定程度解消します。

歴史に残る傍証

『開戦 太平洋戦争~日中米英 知られざる攻防』という番組(NHKスペシャル)が2021年8月15日に放送されました。その内容は蔣介石が、日本との戦争に米英を引き込むために実行した宣伝戦(プロパガンダ戦)の具体的な手法について証拠を挙げて検証したものでした。(当該番組の詳細は下記の別稿をご参照ください。)

事例に学ぶ宣伝戦「1938年、蒋介石が米国世論を反日に傾斜させた技法」|田村和広
2021年8月15日に放送されたNHKスペシャル『開戦 太平洋戦争~日中米英 知られざる攻防』では、蒋介石が、日本との戦争に米英を引き込むための宣伝戦(プロパガンダ戦)の具体的な手法について明快に解き明かしておりました。その根拠として、当時記された蔣介石の日記や命令書等、文書資料を掲示しているので、一定程度の信憑性はあ...

当該番組の要点を引用します。

1938年頃の中国の対米宣伝戦の様子

「本国から送ってもらった2万ドルの資金は、スティムソン委員会などに使い、良い成果が出ている。」これは、アメリカ駐在の中国大使 胡適が本国(中華民国)に送った電報です。

スティムソン委員会とは、元国務長官が名誉会長を務める“日本の侵略に加担しないアメリカ委員会”という団体で、全米の主要都市に支部を設け、会員は1万人超でした。この中国の宣伝経費が渡っていたスティムソン委員会は、大量のビラをアメリカの主要機関に配布、“アメリカの姿勢が日本の中国侵略を支えている”と訴えました。

これに対して専門家(中央大学 土田哲夫教授)は次のような見解を表明しております。

中国が前面に出てしまうと、かえって疑いを招いたり反発を招いたりする。中国側にとって好ましい宣伝にはならない。むしろ、中国人は後ろに控えてアメリカ国内の組織運動としてやらせて、それを背後から中国が援助した方がいいという、そういう戦略を立てたのだと思います。」

この世論戦の効果は、1939年に、「日米通商航海条約破棄(≒対日経済制裁)の通告」という形で実体化して行きます。スティムソン委員会などによって中国の惨状を伝えられていたアメリカ市民の8割以上がこの経済政策の転換(:日米通商航海条約破棄)に賛成します。(世論調査:「日本との条約を破棄する政府の政策について 賛成81% 反対19%」、1939年8月実施

蔣介石が国民政府の高官にあてた命令書。プロパガンダに対する考えが記されていました。

毎月の10万ドルの対米宣伝経費は、惜しんではいけない。現在の外交情報をみると、イギリスは深思熟慮の国であり、説得が難しい。アメリカは世論を重視する民主国家であるため動かしやすい。世論が同意し、議会も賛同するならば、大統領は必ず行動する。

(以上、当該番組より文字起こしの上、要旨を引用、太字は引用者)

現代の国内でも、政治活動に垣間見える外国の影

現代に戻ります。添付の画像は、国葬儀反対を表明するビラとして2022年9月現在、SNSなどで出回っているものです。一般論として、様々な主張があるのは大変健全なことで、どのような意見を表明することも自由で安全な日本はとても良い国だと感じます。

主張内容の是非は論じませんが、「安倍元総理の国葬儀反対」という主張と「アメリカ政府や日本政府による対中国侵略戦争を絶対に許すな!」という主張との間にはやや大きな論理的飛躍があり、広く世間に訴えるうえでは理解を得にくいのではないかと感じます。もう少し踏み込むと、これは80年以上前、「蔣介石がスティムソン委員会を使って中国人が表に出ない形で対象国(米国)の世論を操作した宣伝戦と相似形ではないか」と感じます。(いずれも個人的感想にすぎません。非難の意図もありません。)

結論は次の通りです。

「現状変更国は対日世論戦を行っていると考えるのは自然である。ただし現在進行中であることの確証を現段階で示すことは困難だろう。」

ちなみに大東亜戦争前の日本も諸外国で世論戦を行っていました。

 「対日世論戦」はなぜ楽勝なのか

蔣介石は「アメリカは世論を重視する民主国家であるため動かしやすい。世論が同意し、議会も賛同するならば、大統領は必ず行動する。」と洞察しておりました。この一文について、「アメリカ」を「日本」に、「大統領」を「総理大臣」に置き換えてみます。

「日本は世論を重視する民主国家であるため動かしやすい。世論が同意し、議会も賛同するならば、総理大臣は必ず行動する。」

現代において、特に岸田総理には十分に通用する見方ではないでしょうか。ここに「現状の日本に対して世論戦で目的を達成することは簡単だ」と見られている可能性を強く感じます。その理由を3つ挙げます。

3つの理由:

  1. メディアの買収や指導は簡単
  2. 国民の情報識別能力は低い
  3. 政府の指導はほぼない
1. メディアの買収や指導は簡単

日本では、民間テレビ局は、出資および人的関係から大手新聞社の強い影響下にあると考えられます。テレビ局もそうですが、新聞社の経営状態は極めて悪く、新聞出版事業自体は大きな赤字に転落しており、不動産事業等の利益で損失分を埋めながら事業を継続しているという、謎の経営状態です。

この企業グループにとって、広告宣伝費を出してくれる存在は大変重要です。いちいち挙げませんが、現実に展開されている偏向報道の数々を見れば、「経営と編集方針は別の意思で動いている」というのが建前に過ぎないことは間違いないでしょう。

つまり、極秘裏に多額の宣伝経費を使うことができる非民主主義国家にとって、日本は「やりたい放題の宣伝天国」と言えるでしょう。

2. 国民の情報識別能力は低い

これは本当に失礼で言いたくないことですが、わが国では、新聞やテレビが流し込むストーリー(≒ナラティブ)を本当にあっさりと鵜呑みにして世論が盛り上がる傾向が顕著です。もちろん異論もあることは承知しておりますが、悲惨な状況です。他国との比較論はそう簡単にはできませんが、日本単体で考えても次のように言ことはできます。

「仮に他国からの侵略を受けた場合に、歴史的背景や戦後教育の状況を考慮するならば、『戦争になるから反撃するな』『平和的に話し合えば解決する』などの世論が形成されることは十分想定可能な事態です。

3. 政府の指導は、ほぼない

日露戦争終結時を振り返ると、圧倒的多数の世論が反対していたにもかかわらず、明治政府は国力や情勢に鑑み講和を決断しました。その世論に抗う国家指導は、後世になってみれば妥当な意思決定でした。

現代日本ではどうでしょうか。法律論は専門家にお任せしますが、日本政府は、よく言えば「国民の声をきく」という姿勢を徹底し、「新興宗教団体の排除(≒弾圧?)」という憲法違反の疑義もある意思決定をしております。その姿は、「世論次第で、自他ともに大切にしている価値観をあっさり踏み越える政府」にも見えます(ただし、旧統一教会が過去に行っていた数々の問題行動については法に則り適切に調査したうえで、犯罪行為が認められるものについては断罪して頂きたいと思います。また、被害者が認定された場合には、速やかに救済策を講じて頂きたいとも考えます)。

仮に他国からの攻撃を受けた場合に、ひとたび「抵抗すれば戦争になるから抵抗するな」という世論が盛り上がった場合に、いかに理不尽でも停戦に応じる事態も容易に想定できます。実際に、これは民主党政権時代ですが、海上保安庁の船に衝突してきた中国船の船長をあっさり本国に返すなどの理不尽に思える事例も過去にはありました。(その意思決定の深い背景については説明不足で国民の多くは理解していません。)

上記の理由から、「現状の日本に対して世論戦で目的を達成することは簡単だ」と見られても自然だと考えます。

「世論戦の脆弱性」がなぜ深刻なのか

現在、世論戦の脆弱性が深刻なリスクであることには2つ理由があります。

2つの理由:

  1.  中国の戦略「智能化戦争」
  2. “国民の意識”という戦力資源
1. 中国の戦略「智能化戦争」

令和4年版防衛白書によれば、中国は「智能化戦争」というコンセプトを打ち出しているようです。同書から詳しく引用します。防衛省・自衛隊:防衛白書 (mod.go.jp) 、wp2022_JP_Full_01.pdf (mod.go.jp)

(7)中国が進める軍事の「智能化」

中国が提唱する「智能化戦争」は「IoT情報システムに基づき、智能化された武器・装備とそれに応じた作戦方法を用いて、陸、海、空、宇宙、電磁、サイバー及び認知領域において展開する一体化した戦争」といわれており、「認知領域」も将来の戦闘様相において重要になってくる可能性がある。2021年11月に公表された台湾の国防報告書(2021年国防報告書)においても、SNSなどを通じた「三戦」(心理戦、輿論戦、法律戦)の展開や偽情報の散布などによって一般市民の心理を操作・かく乱し、社会の混乱を生み出そうとする「認知戦」への懸念が示されており、「認知領域」における戦いは既に顕在化・進行中であると捉えられている。

(令和4年版防衛白書より引用、太字は引用者)

特に「認知領域」における戦いとして以下の点に注意が必要です。

  • SNSなどを通じた「三戦」(心理戦、輿論戦、法律戦)
  • 偽情報の散布で、一般市民の心理を操作・かく乱し、社会の混乱を生み出す

中国の総合的な戦略の中で、世論(輿論)戦は重要な役割を担っています。

2. “国民の意識”という戦力資源

現代日本では、戦力に資するような国民意識を形成することは相当困難ではないかと考えます。背景については言及しませんが、日本においては “無抵抗主義”という意味で使われている“pacifism”(平和主義または無抵抗主義)が、国民の多くの心にあるようです(日本において、“pacifism”については詰めて考えられていませんが、大切な話なので詳しくは池田信夫氏の玉稿をご参照ください)。

「積極的平和主義」の誤り

世論戦の防衛力を高めるには

日本が世論戦に弱い原因の一つに、「マスメディアの偏向」があります。

しかし「言論の自由」を大切にする日本では、既存のメディアを変えることはできません。

そこで、打開策として下記を提示します。詳細は別稿で展開したいと考えます。

  1. 政府広報の充実(積極的ホワイトプロパガンダ)
  2. 共通のメディアプラットフォームの提供(オンラインおよび紙媒体)
  3. 独立評価機関の新設(BPOとは別のもの)

まとめ

現代の日本には、現状変更国から「認知領域の戦い」を仕掛けられるリスクがあります。この顕在化したリスクに対して、どのように手を打つべきなのかは、これからの研究課題でしょう。

政府は「GDP比2%」を目途に、防衛費を増大させる方針を掲げますが、それは武器(アイテム)に対してだけでなく、「自衛隊員に対する報酬(人件費)の充実」や「認知領域も含めた総合戦略の充実」という「無形の戦力の充実」に関しても大いに強化して頂きたいと考えます。