以前のNHK日曜討論で尾身氏の発言が物議を醸しました。 その発言の一部を引用してみます。
このまま放っておくと、体力が悪い、体の脆弱な高齢者の死亡者数は第6波を超える可能性がある。
・・・中略・・・
重症者数、感染者数、一般医療の制限をどこまで我々が許容するか、国民的なコンセンサスが必要だ。
これは、国民の死生観を問う問題提起と言えます。
実は、他の専門家でも、死生観についての発言が増加しているのです。聖路加国際病院の坂本氏の発言をみてみます。
その死因の一つにコロナが加わる。原因が何であれ、高齢者が「もう十分生きたし、いいでしょう」ということで、延命治療を希望せずに亡くなるのはこれまでもよく見られた光景です。
しかし、そのなかで、コロナが関与した数は今までよりも多い。それを「高齢者だから仕方ない」「高齢者が亡くなることはあるよね」と言って、増えるに任せていいのか。どこまで増えることを我々は許容するのか。それについてはあまり議論になっていません。
なんとなく「定め」のような雰囲気で、誰も大きな声で文句を言わずに人が亡くなっていったのが第6波です。第7波ももしかしたらそんな形になるのかもしれません。でも、それでいいのかな?と思います。
次は、大阪大学の忽那氏の発言です。
今後、重症者数や死亡者数が増えてきたときに、例えば第6波のピーク時のような1日200人以上が連日亡くなるような状況に陥っても、行動制限を取らずに高齢者や基礎疾患のある人が新型コロナで亡くなる状況を許容していくのか・・・これは単純な良い悪いの話ではなく、最終的には日本人の国民性、死生観が問われることになるのではないかと思います。
私自身は「社会機能を維持するためには高齢者や基礎疾患のある人はコロナで死んでも仕方ない」という考えよりも「周りの誰かを守るために自身の行動は一時的に多少制限されても仕方ない」という立場にありますが、どちらが正しいというものではなく、日本人の国民性、死生観が問われるところかと思います。
医療の専門家は、基本的に、感染者、重症者、死亡者を減らすことを目的として提言します。これは当然の話です。感染対策と経済活動の両立を考えるのは、政治家の仕事です。医療専門家の提言の結果、経済がダメージを受けた場合、医療専門家がそのことで責められるのは、筋違いの話だと私は思います。
ところが、ウィズコロナの圧力が強まってきた現在では、医療の専門家であっても、経済へのダメージも考慮して発言しなければならない雰囲気となってきました。そうなってきますと、医療の専門家が、「死亡者はどの程度まで許容されるのか」と問題提起するのは必然の流れです。専門家が、「死亡者はこの程度まで許容されるべき」と発言すれば、上から目線と確実に非難されます。したがって、国民に問いかけるしかないのです。決して職務放棄をしているわけではありません。
現在、日本ではコロナ死亡率が高くなっています。前回の論考で、その原因をハイブリッド免疫の割合が低いことではないかと推測しました。ただし、第7波において行動制限を撤廃したことも、ある程度は関与していると考えられます。今後、行動制限やマスクなどの感染対策をどのようにしていくのかは重要な課題です。欧米と同じように感染対策をほぼ撤廃するべきという意見には、理解できる部分はありますが、私は全面的には賛成できません。
その理由は、日本と欧米では、死生観が大きく異なるということです。高齢者医療の在り方も大きく異なります。欧米で感染対策が撤廃できた理由は、「許容できる死亡率について国民のコンセンサスが得られている」ことだと私は考えます。許容できる死亡率は国によって異なります。正しい数値が存在するわけではなく、その国でコンセンサスが得られていればそれでよいのです。
ここで、現在(5月1日以降)の日本と欧米の死亡率を確認してみます。死亡率は、10万人・1日あたりの死亡者数です。期間は5月1日~8月31日です。比率は、日本(第6波)を1.0とした時の数値です。データはWorldometerより取得しています。欧米では、検査数が減少しており、正確な感染率と致死率が計算できなくなっています。そのため、今回は死亡率のみを比較します。季節性インフルエンザは、厚労省のデータより、感染者数1165万人、関連死亡者数1万人、流行期間は12月1日~3月31日として計算しました。
欧米の現在の死亡率は、日本の第6波の1.7~2.4倍です。日本からみると、決して低い死亡率ではありません。ただ、欧米の国民がそれを許容しているため、何も問題になっていないのです。
行動制限をしても感染を抑制することは難しい可能性があります。ただし、第6波の時の「まん防」のようなものではあまり期待できませんが、やり方次第ではある程度は感染を抑制できると私は考えます。ただし、行動制限はどのようなものであっても、経済的ダメージは必ず伴います。したがって、最終的には死亡率をどこまで許容するかという問題に帰結します。
第6波の死亡率は、季節性インフルエンザの死亡率とほぼ同じです。長期の後遺症を問題視しなければ、新型コロナがインフルエンザに置き換わったと見なすことも可能です。大きな相違点は、新型コロナでは、死亡者数が毎日テレビなどで報道されていることです。死亡者数の「見える化」です。季節性インフルエンザの場合は、死亡者数は「見える化」していないため、「死亡率をどこまで許容するか」という問題に国民は向き合う必要はありませんでした。ところが、新型コロナでは、この問題を避けて通ることはできなくなってしまったのです。
国民のコンセンサス形成には、マスコミが大きな役割を果たします。ところが、死亡率はどの程度まで許容されるかといったデリケートな問題となると、日本のマスコミは急に及び腰となります。日本のマスコミが正面から死生観の議論を始めた時に、真のウィズコロナが実現するのだと私は考えます。