誤解された人:ゴルバチョフ氏がプーチン帝国で理解されることはない

人を理解することは難しい。その人が特別の才能や使命があった場合、なおさらだろう。独週刊誌シュピーゲル9月3日号は、先月30日モスクワで91歳で死去したソ連最後の大統領、ミハイル・ゴルバチョフ氏の追悼特集だった。10頁にわたる特集の中で目を引いた記事はベルリンに住むロシア人ジャーナリスト、ミハイル・ジーガル氏(Mikhail Zygar)のエッセイだ。タイトルは「誤解された人」。この場合、ゴルバチョフ氏のことだ。

ゴルバチョフ夫妻を表紙カバーにした独週刊誌シュピーゲル9月3日号

ジーガル氏の目からみれば、ゴルバチョフ氏はプーチン帝国では理解されるチャンスは皆無だが、その後の世代になれば、「人々は彼(ゴルバチョフ氏)の中に英雄を見出すだろう」というのだ。

ソ連の後継国ロシアではゴルバチョフ氏について多くの人が囁いてきた陰謀説は2通りだ。一つはゴルバチョフはアナキスト、もう一つは米中央情報局(CIA)のエージェントだ、というものだ。いずれにしても、ロシアではゴルバチョフ氏は「最も嫌われた歴史的人物」と受け取られてきた。特に、ロシア知識人や海外に亡命した人物からは「彼は普通の共産主義者だ。ただ、リベラルな人間であることを装っているだけだ」と厳しい目で評価されてきた。

ゴルバチョフ氏はモスクワ大学法学部を卒業したインテリだが、彼のロシア語は南ロシア語の方言で、田舎出身だったこともあって、演説は表現力に乏しく、語彙や強調する箇所でミスが多かった。特に、知識人たちは彼のロシア語を冷笑した(ゴルバチョフ氏と好対照は、ライサ夫人だった。インテリ《モスクワ大学で哲学を学ぶ》でエレガント、口から出る言葉には表現力があった。それゆえに(?)、ライサ夫人はロシア人特に女性たちからゴルバチョフ氏よりも嫌われた)。

ゴルバチョフ氏は同僚、側近、知識人から笑われることを苦にしなかった。不幸にも、その徳はゴルバチョフ氏の弱さの表われと解釈された。ジーガル氏はエッセイの中で、「ゴルバチョフ氏はアンドレイ・サハロフのような思想家ではなかったし、ましてやボリス・エリツインのようなロックスターではなかった」と書いている。

ジーガル氏は一つのエピソードを紹介する。ゴルバチョフ氏が名誉回復のために出馬した1996年の大統領選で惨敗(得票率0.5%、候補者中、第7番目)した翌年、ピザハット(PizzaHut)の宣伝スポットに登場した。ゴルバチョフ氏が米会社の「ピザハット」の宣伝に出るということが伝わると、当時、「金が必要となったのだろう」と囁かれたが、同氏の秘書が後日、「ゴルバチョフ氏は自分のために宣伝に出たのではない。彼とライサ夫人が設立した小児性白血病の治療のための基金を支援するためだった」と述べている。

宣伝スポットでは、クレムリンの赤の広場を元ソ連大統領が孫娘と散歩、2人はピザハットに入る。ゴルバチョフ氏の姿を見つけた店の客たちは「ゴルバチョフはロシアに何をもたらしたか、カオスか新しいチャンスか」というテーマで言い争いを始めた。喧々諤々の末、年取った女性が立ち上がり、「ゴルバチョフに感謝しなければならない。私たちは今、ピザハットを楽しむことが出来るのだから」と叫ぶと、店にいた全ての客たちは一斉に頷いて、「ゴルバチョフに幸あれ」と叫んだという。

この宣伝スポットはモスクワで流れなかったが、ニュースで報じられると、大多数のロシア人は、「ゴルバチョフはわが国を米国に売り渡して、数百万ドルを稼いで、外国で生活している」という噂を信じたという。奇妙なことだ。大多数のロシア人はソ連共産党政権の崩壊を歓迎しながら、それに貢献があったゴルバチョフ氏に感謝することがなかった。知識人も労働者もその点で余り違いはなかった。

プーチン大統領が最も嫌う反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏は拘留先の刑務所からツイッターで、「ゴルバチョフ氏は(他のロシアの政治家のように)自分のために富を積むといった権力の乱用はなかった。彼は自主的に大統領ポストを辞任した。ソ連の歴史ではこれは大きな功績だ」と述べている。

プーチン時代に入り、大国への復帰が最大の目標となり、スターリンは聖人と見なされ、ゴルバチョフ氏は悪の頭のように酷評されてきた。一方、ライサ夫人が1999年9月、急性白血病で亡くなると、「ゴルバチョフ氏にとってライサ夫人との思い出話が唯一のテーマとなった」(ジーガル氏)という。ちなみに、ゴルバチョフ夫妻の物語は2020年、ラトビアの劇場監督アルヴィス・ヘルマニス(Alvis Hermanis)によって演出され、人気を博している。

ジーガル氏は、「ゴルバチョフ氏は生前、ソ連が民主的に改革され、米国に比肩するような国家となって、世界の国々と共存できると信じてきた」という。ただ、ゴルバチョフ氏にとって、ウクライナの独立は理解できなかったという。ゴルバチョフ氏にもライサ夫人にもロシアとウクライナの血が流れていることもあって、ウクライナがロシアから独立するということには抵抗があったのだろう。プーチン氏が2014年、クリミア半島を併合した時もゴルバチョフ氏は批判していない。これがウクライナ国民がゴルバチョフ氏を嫌う理由となっている。

なお、ゴルバチョフ氏は1993年、ノーベル平和賞の賞金をもとに独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」を創設。編集長ドミトリー・ムラトフ氏(2021年ノーベル平和賞受賞)を支援し、独立メディアを重要視してきた(当局の報道規制によって、同新聞は2022年3月、業務の一時停止に追い込まれた)。

ジーガル氏はエッセイの最後に、「ゴルバチョフ氏は目的の地まで最後まで生きることが出来なかったが、未来のロシア国民を率いるモーセとなることができる。人々はプーチン氏を忘れるが、ゴルバチョフ氏を思い出すだろう」と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年9月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。