ロシア・ウクライナ戦争の行方:勝ちすぎず負けない戦略の追求

野口 和彦

ロシア・ウクライナ戦争の開始以後、ウクライナ軍はキーウでの攻防戦での勝利の後は消耗戦の膠着状態を強いられてきましたが、北東部のハルキウ州でのロシア軍との戦闘で地滑り的な勝利を収めました。同地域に展開していたロシア軍は敗走して、約4000-6000平方キロメートルの領土(ウクライナ政府発表)がウクライナ軍によって解放されました。

奪還領土を訪問するゼレンスキー大統領(左)
ゼレンスキー大統領Facebookより

それでもロシア軍は12万5000平方キロメートルものウクライナ領を占領していますので、ウクライナが奪還した土地の面積は小さいですが、東京都と大阪府を合わせた程度の国土を取り返したことは、ウクライナはもちろんのこと、同国を支援する西側諸国にとっても大きなニュースでした。

フィナンシャル・タイムズ』2022年9月12日より

ウクライナ軍の勝因について、マイケル・クラーク氏(キングスカレッジ)は、「ウクライナ軍の力を過小評価したロシアのインテリジェンスの大失敗である」と指摘しています。ロシアのインテリジェンスについては、ロシア連邦保安庁(FSB)がロシア軍はキーウで歓迎されるだろうと間違って見積ったことやウクライナ軍の士気を低く評価したことなどから、そのお粗末さが指摘されています。

ハリコフ攻防戦では、軍事のセオリー通り、攻撃側のウクライナ軍は防御側のロシア軍の3倍以上の兵力を集中できました。ロシア高官のヴィタリー・ガンチェフ氏は、「ウクライナ軍がロシア軍の8倍の兵力で反撃してきた」と語っています。

多くの分析者によれば、ロシア軍は南部のヘルソンに部隊を増援しすぎて、ハリコフが手薄になったところウクライナ軍の反攻にさらされて、なすすべもなかったようです。

対ロ戦略の困難性

ウクライナの戦略目標は、ロシアの侵略を撃退して、その独立と主権を維持することです。この目標を達成するためには細心の注意が必要です。なぜならば、そこにはロシアが敗北に追い込まれると、核兵器の使用のインセンティヴを高めるという厄介な問題が存在するからです。これは戦略的ジレンマです。

ウクライナがロシアに勝てば核戦争の危険は高まる一方で、核使用のリスクを下げるためには、ウクライナはロシアを追い詰めすぎてはならないからです。すなわち、ウクライナと同国を支援するアメリカや同盟国は、ロシアに勝ちすぎず負けない戦略を構築して、それを注意深く実行しなければなりません。

このウクライナと西側の対ロ戦略の難しさは、ウォルター・ラッセル・ミード氏(バード大学)が見事に言い当てています。

すなわち、「米国の政策は今のところ、ウクライナを見捨てるか、それとも、ロシアと核をめぐる対立を引き起こすかという二者択一の回避を目指している。米政府がこの政策を機能させるためには、ウクライナによるゴルディロックス的な(適温の)抵抗が必要だ。つまり、ウクライナによる抵抗が、ロシアが明確に勝利するほど弱く、熱のないものにも、衝撃的な敗北に直面するロシアが自暴自棄になって核兵器に頼らなければならないほど強く、熱いものにもならない必要がある」ということです。

これには名人芸のような外交術や国政術が必要でしょう。それは、数か月前に、グレアム・アリソン氏(ハーバード大学)が、ロシア・ウクライナ戦争が核兵器の応酬になることを防ぐには、キューバ危機におけるケネディ大統領に優る英知が必要かもしれないと指摘した通りでしょう。

ロシアの核使用のリスク

多くの専門家は、ロシアがウクライナで戦術核(非戦略核)を使用する可能性は低いと判断している一方で、そのシナリオは現実的だと考えています。何よりも、戦争当事国のウクライナがロシアからの核攻撃を公に懸念しています。

ウクライナ軍のヴァレリー・ザルジヌイ総司令官は「特定の状況でロシア軍が戦術核兵器を使うという直接的な脅威はある」と発言して、ハルキウ州を攻め落とす数日前に警戒感を示しました。このことは、ウクライナ軍のトップとして、彼がプーチン大統領らの核威嚇を単なるブラフ(はったり)だとみなしていないことを示しています。

アメリカの中央情報局(CIA)長官や国防長官を務めた要人であるレオン・パネッタ氏も、9月12日、「(ウクライナをめぐる状況は)極めて重要であるとともに危険でもあると思う」と発言して、プーチン氏が追い込まれることで反撃しなくてはならなくなり、ロシアが戦術核による攻撃の可能性を含め、戦争をエスカレートさせる恐れがあると述べています。

クオリティ・ペーパーである『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙も、社説で「ロシア軍に対するウクライナの反撃はこの戦争における重要な節目だが、プーチン大統領が対応策を練る中、この展開に危険がないわけではない。西側諸国の指導者たちは、プーチン氏が核兵器を使用するか北大西洋条約機構(NATO)を直接戦闘に巻き込もうとすることを想定して、準備を整えなければならない」と警戒感をあらわにしています。

核攻撃のシナリオ

それでは、ロシアがウクライナで核兵器を使用するには、どのようなシナリオが考えられるのでしょうか。元NATO副事務総長のローズ・ゴットモーラー氏(スタンフォード大学)はBBCラジオの番組で以下のように語っています。

この危機において プーチンと側近たちがとってきた行動(を観察すると)彼らは実際に予測不可能なやり方で反撃する恐れがあります。それには大量破壊兵器さえ含まれるかもしれません…ロシアは…黒海に一発(核を)撃つか、恐らくウクライナの軍事施設を攻撃してウクライナ人と同盟国に恐怖を与えようとするでしょう…その目的はウクライナ人を恐怖に陥れて降伏させることでしょう…この種のシナリオは、今すぐに心配することとは考えていませんが…私たちは皆、起こるかもしれないことに備えなければなりません。

これは核兵器の示威的な使用ということです。すなわち、軍事的な実利を得るためではなく、相手に恐怖を与えて、自らの政治的な意思を強要する軍事力の使用方法です。

ロシアの反応

ロシアはウクライナに侵攻してから、核兵器による威嚇を繰り返してきました。ハルキウ州での敗北に際しても、ロシアは核兵器の使用をちらつかせています。

元大統領ドミトリー・メドベージェフ国家安全保障会議副議長は、「ウクライナの『全面降伏』なしに戦争は終わらない。西側はウクライナ戦争を利用して『ロシアを政治舞台から排除』したがっている。夢想者は単純な公理を無視している。核大国を力で解体することは、常に死を伴うチェスである。チェックメイトの時点で人類の終末が訪れる」とウクライナや支援国を脅しています。

こうした核による恐喝は、いつものロシアの大言壮語だと無視できればよいのですが、ザルジヌイ司令官やパネッタ氏、ゴットモーラー氏の分析からしても、そうは言えないでしょう。さらに気になるのはロシア国内の動向です。ロシアでは、過激で強硬的なナショナリストが、戦争の拡大を訴えて、プーチン氏を突き上げているのです。

『フォーリン・ポリシー』誌の記事によれば、ロシアでは反戦ではなく戦争拡大の抗議運動が盛り上がっているというのです。ハリコフ前線での驚くべき予期せぬ敗北にいら立った軍事ブロガーなどの過激分子は、セルゲイ・ショイグ国防相を「ヘマ将軍」、メドベージェフ氏を「口先だけのアホ」とこき下ろしています。ウクライナの首都キーウへの核攻撃を勧める者もいれば、人気ブロガーのマキシム・フォーミン氏はスネイク島への核警告攻撃を求めているそうです。他の者はウクライナの民間インフラ施設を攻撃する「全面戦争」を訴えています。

こうした強硬派の「世論」が独裁者であるプーチン氏の政治的判断に、どの程度影響するのかは分かりませんが、ロシアのウクライナに対する攻撃を激化させる要因であることは間違いないでしょう。実際に、ロシアはハリコフ州での軍事的敗退の直後、ウクライナの民間の電力施設を攻撃して、大停電を引き起こしています。これはロシアが戦争のエスカレーション・ラダーを一歩あがったことを示唆しているのかもしれません。

外交の出番

ウクライナの失地回復と核戦争の回避を両立させるには、どうすればよいのでしょうか。これは開戦以後、関係当事国の指導者や戦略家を悩ませている難問ですので妙案はありませんが、『ワシントン・ポスト』紙のコラムニストであるデーヴィッド・イグナティウス氏は、ウクライナが優勢になったタイミングは外交のチャンスだと次のように訴えています。

彼(ゼレンスキー大統領)は強い立場になった…彼はウクライナの全領土を解放すると話している。しかし、彼はそれが今は非現実的だと知らなくてはならない。ゼレンスキーが新たな支配的立場から、外交のドアを開ける瞬間は近づいているのかもしれない。いくらロシアが彼を蔑んだところで、ゼレンスキーが優位であるイメージは強化されるだろう。

ゼレンスキー氏は戦局で優勢を得たことにより、プーチン氏との交渉で譲歩を勝ち取れる可能性がでてきたということでしょう。

そのゼレンスキー氏は、9月10日、ロシアとの外交交渉について、ニュアンスにとんだ慎重な発言をしています。すなわち「ロシアとの外交チャンネルを開くには、自分たちのものでない土地を返す準備がある政治的意思を見せなければならない。そうすれば我々は確かな外交措置を開拓するための方法を協議し始めることができる」ということです。要するに、ロシアがウクライナの占領地から撤退する意思表示が、協議の前提であるということでしょう。

他方、ロシア大統領府のドミトリー・ペスコフ報道官は「特別軍事作戦は初めに設定した全ての目的を達成するまで続けるだろう」と主張する一方で、セルゲイ・ラブロフ外相は「ロシアはウクライナとの交渉を拒否しないが、その過程が長引けば、和平の合意は難しくなる」と負け惜しみのような言い方で、交渉の扉を閉ざしていない意向を示しています。

今後、戦況がどのように展開するのかは予断を許しませんが、ウクライナがロシアに手痛い打撃を与えたことで、外交交渉の「機会の窓」がわずかに開いたように見えます。この窓はさらに開くのか、それとも閉じてしまうのでしょうか。

アメリカのブリンケン国務長官は、9月12日、「この先の展開を見定めるには時期尚早だ…ロシアはウクライナにかなり多くの兵力、軍備、武器、弾薬を維持している」と語り、それらを「ウクライナ軍兵士だけでなく、市民や民間インフラに対しても無差別に使用し続けるだろう」との見方を示しました。

地上の消耗戦ではアメリカ等の軍事支援を受けている士気の高いウクライナ軍はやや優勢でしょうが、ロシアはウクライナに「戦略爆撃」を実行できる空軍力や「核のカード」を保持しています。くわえて、ヨーロッパでのエネルギー価格の高騰やインフレは、今冬にかけて、欧米諸国のウクライナ支援の結束を揺るがす不安定要因です。

機会の窓が開いている間が、和平に向けた外交に取り掛かるチャンスなのかもしれません。


編集部より:この記事は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」2022年9月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」をご覧ください。