「トップガン」から考える有終の美の飾り方

自分自身が人生の主役だった時期が過ぎて、次の世代にバトンを渡す役目に移っていく・・・。

トム・クルーズ主演の名作『トップガン』最新作である『トップガン マーヴェリック』は、怖いもの知らずの若きパイロットが36年の時を経て、引退を控えた「最後の任務」に挑む物語です。

若き日にエースパイロットとしての名声をほしいままにしたトム・クルーズ演じるマーヴェリック大佐も、今作では次世代を担う若者たちから「オジサン」と揶揄される立場となります。

冒頭の文のように、どんなに輝かしい青春を過ごした若者にも必ず訪れる「世代交代」というテーマを突きつけるこの作品は、トム・クルーズの世代から見ればまだまだ若造である私にも「いつか次の世代に役目を譲らなければならない」ことを強烈に意識させるものでした。

劇中で、マーヴェリックは自らの若手のチームを率いてラストミッションを成功させ、険悪だったチームのメンバーたちからも尊敬を獲得し、見事に「有終の美」を飾ります。

しかしながら、現実の世界を生きる私たちにとって、「思い残す事なく引退する」というのは実に難しいことであり、寂しいキャリアの終わり方を迎える人も少なくありません。

今回の記事では、「納得できるキャリアの終わり方を迎えるために何をすべきなのか」というテーマについて、トップガンのストーリーを追いつつ考察していきたいと思います。

“スタープレイヤー”の実績だけでは尊敬を維持できない

劇中のマーヴェリック大佐は、「アメリカ海軍40年の歴史で唯一、3機もの敵戦闘機を撃墜した」実績のある「海軍の伝説」として扱われており、多数の勲章を受けています。

にもかかわらず、若き日にマーヴェリックの好敵手であったアイスマンは、大佐の階級をはるかに上回る「艦隊司令官」として、もはや一介の戦闘機乗りではなく、アメリカ太平洋艦隊という巨大組織を動かす立場に昇進しています。

アイスマンだけでなく、マーヴェリックと同世代や後輩の世代にあたる将校が多数、マーヴェリックの上司として登場しており、主人公のマーヴェリックは「エリート街道から外れた男」として描かれているのです。

マーヴェリック自身は、上官からの「なぜ多数の功績があるのに昇進できないのか」という問いに対して「私は現場に居たい、これこそが私の居場所なのです」と前向きな答えを返すのですが、そう答えるマーヴェリックを上官たちは冷たい目で見下します。

劇中で描かれるマーヴェリックは、「かつては伝説的な活躍をしたけれど、その後は相応の地位につけなかった時代遅れの男」として冷遇される立場にあります。

戦闘機乗りとしては類い稀な腕を誇るものの、組織を指揮することなく「一人のプレイヤー」としての地位にとどまるマーヴェリックは、「チームを指導する立場」にある上級将校たちからは一段下に見られてしまうのです。

また、マーヴェリックは上官だけでなく若手のエースパイロットたちからも“オジサン”と揶揄される、まさに「板挟みの中間管理職」の立場にあります。

これまで世界中の誰もが“イケメン俳優”としてチヤホヤしてきたトム・クルーズが今作では「風采のあがらない中高年」の役を演じていることに、筆者は少なからず衝撃を受けました。

たとえ若手時代に“伝説的な”活躍をしたスタープレイヤーや、爽やかな風貌で周囲を魅了した美男美女であっても、「他者を指導する立場」を獲得できなければ、歳とともに隅へと追いやられていくのだという事実をまざまざと見せつけられたように感じました。

これは映画の世界だけでなく、私たちが生きる現実の職場でもしばしば見られる光景です。

いや、むしろ映画の中のトム・クルーズはまだ「優遇されている」ほうであり、現実のシニアの置かれている立場はもっと厳しいはずです。

「ジェネラリストがトップを勤める組織」としてのアメリカ海軍

映画の世界の話からは少し逸れますが、アメリカ映画である『トップガン』の世界でも「スペシャリストとして個人的に活躍するだけではなく、ジェネラリストとしてチームを率いる力を示していかないと、組織の中で上に上り詰めることはできない」と示唆されているのは、私たちビジネスの世界に生きる者にとっても重大なことだと考えます。

というのも、巷では「欧米ではスペシャリストを大切にするのに、日本はスペシャリストを冷遇してジェネラリストばかりを出世させる所がよくない、時代遅れだ」という批判を聞くことがあるからです。

しかしながら、この『トップガン』も「アメリカの観客に観せること」を意識し、そして「現実のアメリカ社会の組織で行われていること」を反映した作品である以上、やはり上にあげたような「ジェネラリストを出世させる日本組織はダメ」という指摘は的外れであるといえるでしょう。

なお、「組織の中で上り詰めていくためには、どうしてもジェネラリスト的な性質を身につけざるをえない」という事実については、筆者の別記事『スペシャリストは「名ジェネラリスト」の下で輝く!?」の中でも取り扱っています。

もちろん、キャリアの最初の時点では、スペシャリストとして誇れる技能を持っていることが「幹部候補」として注目されるための武器としては極めて有利に働くことは間違いありません。

一方で、「幹部候補」の仲間入りをした後には、自身の得意分野以外の分野にも理解を広げ、組織全体を指導する力を身につけることが大切です。

映画でも、「大佐」という階級でキャリアを終えようとしていた引退間近のマーヴェリックが「重要ミッションの教官」として抜擢されたのは、旧友であるアイスマンが空母艦隊の司令官という要職に就いていたことが重要なファクターとなっています。

艦隊を率いる立場というのは、戦闘機乗りとしての腕前だけではなく、戦闘機を運ぶ航空母艦の運用や、その他の広範な分野に精通する必要があります。

もちろん、アイスマンが要職を手に入れたきっかけとしては、やはり戦闘機乗り時代の活躍が契機となったことはおそらく間違いありません。

一方で、パイロット時代の戦績ではマーヴェリックよりも下だったアイスマンがその要職を手にいれ、のちにマーヴェリックを引き上げる立場となったのは、やはりマーヴェリック自身が「戦闘機乗り」としての立場に強くこだわったのに対して、アイスマンは“別の道”を選んだということでしょう。

まさに、「名ジェネラリスト」としてのアイスマンの出世があったからこそ、スペシャリストの道を貫いてきたマーヴェリックに「引退への花道」を用意することができたといって過言ではありません。

映画の中では、あくまでも主人公のマーヴェリックが「歳をとっても現場で陣頭指揮をふるって戦う」姿が華型として描かれていますが、現実のキャリアではやはり、選べるものならアイスマンのような立場になりたいと願う組織人が大半ではないでしょうか。

役職がなくとも“納得して引退する”ためにできること

今回の『トップガン マーヴェリック』を鑑賞するために筆者は2度映画館へ足を運びましたが、いずれの回でも「入場者は若い世代よりシニアの世代が多かった」ように感じました。

普段は組織人として奮闘する社会人の中には、今作でのマーヴェリックの活躍を見て「俺もまだまだ若いヤツらには負けてられんぞ!」と鼻息を荒くしながら劇場を後にした人も多いでしょう。

そういう方々にとって、今回の私の記事はせっかくの熱い気持ちに水をさすような内容だったかもしれません。

ここまで筆者が記した、「マーヴェリックよりもアイスマンのほうが組織人として理想的なキャリアを歩んでいる」というような論旨に気を害した方々も少なからず存在すると思います。

実際、世の中には「組織人として出世を果たし、チームを導く立場にいる人」よりも、「プレイヤーとしての立場にいる」人のほうが多数派であり、マーヴェリックの生き方が親近感を集めるのは自然なことです。

とはいえ、「自身の職務にこだわりがあるが、残念ながら昇進を果たせなかった組織人」、いわば「マーヴェリック・タイプ」の組織人であっても、「出世に成功した同僚たちに引け目を感じることなく、納得してキャリアを締めくくること」は不可能ではないはずです。

ただし、そのためには「出世に成功した同僚たち」とは異なる工夫が必要になります。

まず、映画の中のマーヴェリック大佐のように「プレイヤーとしての技量で若手と張り合う」ような手段は、誰もが感心するような圧倒的な技量の差がない限り、「すごい」と尊敬されるよりも「無理に張り合おうとしている」「大人げない」と、マイナスの評価を受けてしまいかねません。

「マーヴェリックのような職人肌」の人材にとって最良の道は、こうした「プレイヤーとしての力量を見せつけようとする」手段ではなく、むしろ「自分自身が職を去ったあと、後輩たちが仕事をしやすくするための仕組みを残す」ことだと考えています。

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たとえ上位の役職に昇進したとしても、社長や会長などのトップの地位を獲得しない限り、定年退職すれば忘れ去られてしまう存在であることは、平社員と変わりません。

一方で、後の世代のために「自身が培ってきたノウハウを“記録”として残す」ことができれば、後輩社員たちはあなたの教えから学び続けることになり、ひいては“あなたがその組織にいたという痕跡”を刻みつけることができます。

実際に、これに近い試みを実施している組織があります。

ある塗装工事会社では、高齢の熟練職人が仕事をする手順を録画し、後の世代の若手職人が動画学習できる体制を作っているそうです。

社長や管理職が引退した後も、この職人の仕事ぶりは何世代も後まで受け継がれていくことになります。

この職人は、「この組織の中で永遠に生き続ける存在」になったといえるでしょう。

このような形で「自身が引退した後も組織にとって役立つ仕組みを作ること」を組織側に提案し、それが組織のためになる試みだと理解されればしめたものです。

映像で自身の姿を残すような形でなくとも、文章ベースのマニュアルのような形でもよいので、自身が大切にしてきたノウハウを後世に残せば、より高い地位についた役職者たち以上の影響力を後の世代に残すことになります。

映画を観てマーヴェリックの生き様に刺激を受けたのであれば、「若者に負けない技量を見せつける」という方向性よりも、このように「後の世代に影響を残す」という道こそが多くのシニアにとってより有意義なエネルギーの注ぎ方だと思います。