臨時国会開会、岸田政権が直面する3つの「説明不能」問題

郷原 信郎

所信表明演説をする岸田首相
首相官邸サイトより

9月27日、安倍元首相の「国葬」が、国民の多数の反対にもかかわらず実施された。そして10月3日、国会が召集され、12月10日までの会期で臨時国会が開催される。

重大な禍根を残す「国葬」の「強行」についての内閣としての説明責任を問われるのが、この臨時国会だ。国葬実施までの過程で大きく支持率を低下させた岸田内閣は、野党の追及、マスコミの批判に対して、「説明不能」と思える多くの問題を抱えている。

万が一、これらについて、国民に納得できる説明が行われないまま、臨時国会が終了することがあれば、「議院内閣制」の日本の民主主義に対する国民の信頼は、根底から失われることになる。

岸田内閣には「説明不能」ではないかと思えるのが、以下の3つの問題だ。

国葬実施の理由

第一に、安倍元首相について、「国葬」を実施した理由に関する問題だ。この点について、岸田首相が、記者会見や閉会中審査での答弁等で繰り返したのが、以下の4つの理由だ。

(1) 6回の国政選挙で信任を得て憲政史上最長の8年8ヶ月首相に在任したこと
(2) 震災復興、経済再生、外交などでの実績
(3) 各国からの弔意
(4) 選挙運動中での非業の死であること

これらが、いずれも国葬を実施する理由にならないことは、【安倍元首相「国葬儀」による“重大リスク”、政府の実施判断は適切か】などで述べたとおりであるし、多くの識者も同様の意見だ。岸田首相は、これしか理由の説明ができないので、「オウム返し」のように繰り返してきただけだ。

そして、(1)が理由とされていることに関して、国政選挙で勝利してきたことと「統一教会」との関係が問題にされ、安倍氏が、信者にとって広告塔的な役割を果たす一方、参院選等で統一教会票の差配をしていた疑いがあり、重大な問題とされてきた。

岸田首相は、国葬の1か月近く前の8月31日の記者会見で、自民党総裁として、

「旧統一教会とは一切の関係を断つ」

と明言しているが、そのように「自民党が絶縁すべきとしている宗教団体」に国政選挙で応援を要請し、その票を自分と親しい候補者に割り当てていたということになると、そのような「国政選挙での勝利」の正当性に重大な疑念が生じることになる。

しかも、統一教会は、「歴史的に韓国を苦しめてきた日本は、”罪滅ぼし”をするために、信者が、お金を集めて教祖の文鮮明に捧げなければならない」という「反日カルト」としての教義を有する韓国を本拠とする宗教団体だ。保守政治家でありながら、そのような宗教団体と緊密な協力関係を有していたことは、その政治家の「国葬」を実施することが強く否定される理由になるのは当然だ。

このような安倍元首相と統一教会との関わりについて、岸田首相は、

「本人が亡くなっている以上、調査には限界がある」

として、調査の対象とすることを拒絶してきた。しかし、安倍派(清和会)の安倍氏の前任の会長の細田博之衆院議長にも、参院選における統一教会票を差配していた疑惑があり、しかも、細田氏は、韓鶴子総裁が参加した統一教会のイベントで来賓として挨拶し、その際、

「今日の模様は安倍総理にも報告しておく」

と発言したことが映像に残っている。臨時国会開会前、細田氏は、野党側の要求に応えて、説明用の「一枚紙」で、教団のイベントへの出席を認めたが、教団との関係等について追加の説明を求められ、10日以内にさらなる説明をするとしている。

前記イベントでの発言からしても、細田氏は、安倍氏と統一教会との関係についても説明できる立場であることは明らかであり、その点について、今後の説明の中で、新たな事実が確認される可能性がある。それによって、安倍氏の国葬を行ったことへの疑問が一層大きなものになりかねない。

山際大志郎氏の問題

第二に、安倍元首相の国葬実施の閣議決定の際も、その後の改造内閣でも経済再生担当大臣の要職を務めている山際大志郎氏の統一教会との関係についての重大な疑惑だ。

これまでの山際氏の説明は、教団の会合、イベントへの出席等について自発的に真実を明らかにしようとする姿勢は全くなく、客観的事実を突きつけられて、やむを得ず認める、ということを繰り返してきた。

週刊誌等では、山際氏の事務所自体が、統一教会の信者に支えられていた疑いも指摘されている。円安・物価高等の深刻化する経済対策を担う立場であり、今後、新たな感染拡大に備えてのコロナ対策を担う最重要閣僚である立場の山際氏が、国会での答弁で立往生する事態は到底許されない。

山際大臣を辞任させるのか、このまま閣内に残すのか、この問題は、岸田内閣にとって、最大の火薬庫であることは間違いない。

国葬の法的根拠

そして、第三に、岸田首相の従来の説明に重大なゴマカシがあり、今後、国会での答弁に窮することが確実だといえるが、国葬についての法的根拠の問題だ。

私も、当初から、内閣の行政権の行使として、格別の法律上の根拠がなくても「儀式を行うことが可能」だと述べてきた(【安倍元首相「国葬儀」が抱える重大リスクに、岸田首相は堪え得るか】)。

その問題について、違憲・違法を問題にして裁判所に取消を求めても、認められる可能性はないだろうと考えてきたし、実際に、安倍氏の国葬に関して提起された訴訟は、すべて退けられている。

しかし、国費で行う儀式を閣議決定で行えるとしても、それは、「内閣が行う儀式」であり、葬儀であれば「内閣葬」だ。それを、「国葬儀」と称することには重大な問題がある。

最大の問題は、岸田首相が、所掌事務を定めただけの内閣府設置法を「法的根拠」であるように説明してきたことだ。《あいまいに「根拠」という言葉を使っていること》が、国民に大きな誤解を与えている。

閣議決定だけで行い得る「国の儀式」が国事行為に限られるのか、それ以外にも可能なのかという点については、内閣府側の実務上の整理として、過去の一回だけ、吉田茂元首相について、特別に「国葬儀」を実施した「行政実例」があることを無視することはできないので、内閣府の所掌事務についての整理としては、「国の儀式」として、国事行為以外に、吉田国葬のような「国葬儀」も、仮に行われることがあれば、所掌事務に含まれるということになる。

しかし、内閣府設置法の制定時に、4条3項33号による内閣府設置法についての「国の儀式」と「内閣が行う儀式」を書き分けたことの趣旨は、両者を区別する趣旨だからだ。そういう意味では、国事行為としての儀式を「国の儀式」、閣議決定で行うのが「内閣の儀式」というのが合理的な解釈だ。

全国戦没者追悼式」などの儀式が「閣議決定」で行われているが、これらについては、政府答弁書でも、「国の儀式」ではなく「内閣が行う儀式」であるとされている。このことも、「国の儀式」は国事行為に限られ、それ以外の「儀式」を閣議決定で行うのは「内閣が行う儀式」だと考えられているからだ。

もちろん、閣議決定だけで行うのであれば、「人権・権利の制限を伴うようなものであってはならない」ということになる。そのため、その点を過度に強調しようとして、「国葬儀」と言いながら国民に弔意すら求めない、実質的には「内閣葬」でしかないものになった。しかし、岸田内閣は、それを、無理やり「国葬(儀)」と表現した。それが、「国葬」に対する国民の反発と世の中に混乱を生じさせたのだ。

このことは、臨時国会で、岸田首相に「内閣府設置法は、国葬儀の法的根拠であるか否か」について答弁を求めれば明らかになることだ。

8月15日には、「国葬」に関するいくつかの質問主意書への答弁書で

現在までに国葬儀について規定した法律はないが、いずれにせよ、閣議決定を根拠として国の儀式である国葬儀を行うことは、国の儀式を内閣が行うことは行政権の作用に含まれること、内閣府設置法第四条第三項第三十三号において内閣府の所掌事務として国の儀式に関する事務に関することが明記されており、国葬儀を含む国の儀式を行うことが行政権の作用に含まれることが法律上明確となっていること等から、可能であると考えている。

としている。

国葬儀について、「法令上の根拠」はないが、閣議決定を根拠として行う「国の儀式」の一つであり、それは、「内閣の行政権」に含まれるというのが、政府の正式見解なのであり、「内閣府設置法」は、「そのように考えることの理由」に過ぎないのだ。

この点について、岸田首相に明確に答弁を求め、安倍元首相の「国葬儀」は、行政権の行使として閣議決定だけで行った「内閣が行う儀式」であり、実質的には「内閣葬」であること、それを政府として「国葬儀」と称したに過ぎないものであること、今後、日本において「国葬」を行い得ることの根拠にはならないことを明確に認めさせるべきだ。

それは、本物の「国葬」ではなかったと認めることで「国葬賛成派」からは「裏切り」ととらえられ、一方で、「国葬反対派」からは、「従来の説明」に対する「怒り」を引き起こすことになる。しかし、もともと、閣議決定だけでは「内閣葬」しかできないのに、それを「国葬」と偽装した岸田内閣の自業自得ということだ。