手前味噌で申し訳ないのですが、私が経営するバンクーバーのマリーナ事業は過去22年間、毎年確実に値上げをしてきました。2016年に自社運営に切り替えてからは何故毎年、値上げをするのか、その根拠も考えながら概ね年に3-4%程度の価格改定を続け、右上がり直線を継続しています。
理由はコストの上昇だけではないのです。多すぎる需要を冷やすこともあります。今、ウェイティングリストは10年を超え、一部のサイズのボートは名前の受付すら行っていません。業界では私どもの停泊料はまだ安いと指摘されていますので値上げ幅が足りないのかもしれません。
同様に駐車場やストーレッジ事業も需要が強く、商業不動産のテナント探しもこの十数年、仲介手数料がかかる不動産屋を雇わなくても、クレイグズリストという無料の掲示板に載せれば容易く決まります。(私が契約書作成や手続きを熟知しているからできる手法です。)当然、需要が強いので値上げができる環境にあります。実はこの話、中央銀行が利上げをするしないの話と似ていると思います。
私が業績としてまずまずの成績を残せているのは特殊な不動産(英語でunique propertiesと言います)を所有し直接運営できるノウハウを持っているからです。マリーナ、ストーレッジ、駐車場、商業不動産といった物件は普通の投資家がホイホイ売買するものではなく、ましてやその運営ノウハウはそのような専門家ぐらいしか持ち合わせていません。それを直営でやるから同業他社と比べ価格的に有利な展開ができるのです。
北米のコマーシャルや広告には「ユニーク」という言葉をあちらこちらに見て取ることができます。日本語でユニークは時としてネガティブな意味で使われることもあります。「変わっている奴だね」というのを「彼はユニークだよね」といったりしますね。つまり「独特」が「変な」に変換され、マイナスなイメージになるのです。ところが北米は真逆でとてもポジティブな意味です。
製品を売るにはユニークさをどれだけ競うか、これが全てです。この商品は何が特別でどれだけ良いことがあるのか、これが売れる商品と売れない商品の違いとも言えます。だから私のやっているビジネスも全てユニーク、つまり絶対の特徴を持たせることに主眼を置いてきました。またそのユニークさが誰にも真似できないものでなくてはいけません。物まね文化は世界どこでもありますが、物まねされない仕組みを2つ、3つ作ることで安定した地位を築けるとも言えます。
ではなんでもユニークであればよいのか、といえばそうでもありません。
一般消費者の消費活動は経常的に消費するものとオケージョン(時々)で消費するものに分けられると思います。北米に限って言えば経常的に消費するものは消費者のブレが少ないのです。数あるスーパーマーケットや店舗でも自分の決まった店にしか行きません。その店の食材やお菓子、調味料を何種類か試した後、それ以降は同じものを買う傾向が強まります。
一方でし好性向が出にくいものもあります。例えば洗濯洗剤やトイレットペーパーはその時々のバーゲン品を買う傾向が強く出ます。それらの製品は毎週ブランドごとに順番にバーゲンをしているのでバーゲン品だけを買ってもいつかは同じ商品が巡ってくるという感じでしょうか?
コストコでの買い物はその典型で原則「一物一種類主義」ですから消費者が迷うことなく手を伸ばすわけです。北米で普及しつつあるスーパーマーケットのオンラインショッピングとは消費者がスーパーに行く価値を見出していないともいえるのです。これが「経常消費」です。
では日本はどうかといえば「値引き」と「消費の比較文化」が深く浸透しているため、消費する商品にブレが生じやすいといえます。周辺にあるスーパーマーケットを徘徊するのはお手の物。主婦が今夜のおかずはハンバーグのつもりでスーパーに来たけど魚が安かったから変更になったとか、いつもは買わないメーカーの納豆や漬物を価格に釣られて買った方も多いでしょう。
日本は食材に関しては豊富であり、かつ郷土の味というばらつきがあるので日本経済の特徴という点で素晴らしいと思います。選択肢は多いけれど「経常性」は北米に比べ薄いともいえます。
私が気になるのは100均文化が過剰過ぎないか、という点です。最近、回転ずしが100円ではなくなったと話題になっていました。ダイソーも銀座に100円以外の商品を売る旗艦店が出来て私も拝見しました。なかなか面白い試みです。
日本人は「100円」が大好きです。かつては自販機のジュースも100円、電車の初乗りやたい焼き、持ち帰りの焼き鳥なども100円前後の値付けでした。100円の呪縛があるのはこれで10個買っても1000円なので爆買いした気持ちになれるからかもしれません。500円のワンコインランチも同様な考え方だと思います。
日本は輸出国家と思われますが、実は内需主導の国です。そしてその内需は縁日や買い食いにみられる小さい消費を繰り返すことに特徴があり、江戸時代から延々と続いてきたとも言えます。なぜか、といえばそもそもお金が懐にそれなりにあったのは商人ぐらいで武士は大名様に食わせてもらっていたし農民は年貢との戦いで稼ぐという思想があまり育たなかったとも言えます。よって使えるお金も少額にとどまるので少額消費の買い食い文化が育ったというのが私の理解です。
供給サイドもその傾向があります。縁日に行くと似たような店が同じ価格で店を出しています。そこにはユニークという思想もありません。「俺も、私もそこに参加する」という発想です。よって、ほとんど差のない焼きそば屋やたこ焼き屋が軒を連ねるのです。
これが究極的には日本の総供給過多を生み、また似たような製品ばかりで差別化が出来ないともいえるのです。家電量販店で小物コーナーに行けばよくもこれだけ似たものばかり並べられるな、と思います。結局、同じようなもので勝負するので値上げできないのです。
私は日本は供給の種類をもっと絞ってよいのだと思います。その上で経常的なものはより高品質ながら価格を維持し、オケージョンで使うものは消費者が望む付加価値をつけたユニークな商品とそれに見合う価格を設定すべきだと思います。
例えば私は炊飯器に保温機能はいらないと思っています。その代わり良い窯の製品が良いと思っています。たしかそんな商品があったと思いますが、そういう観点から物価のメリハリをつけていくことは大事だと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年10月13日の記事より転載させていただきました。