勇なきは去れと言うけれど

ゲーテ(1749年-1832年)の言葉に「財貨を失ったら働けばよい、名誉を失ったらほかで名誉を挽回すればよい、勇気を失ったものはこの世に生まれてこないほうがよい」というのがあります。彼には恐縮ですが私にはピンとこず、以下後部より批評して行きたいと思います。

『ビジネスに活かす「論語」』(拙著)第一章で、私は『「知・仁・勇」――天下の三達徳』と題して、「内(うち)に省みて疚(やま)しからずんば、夫(そ)れ何をか憂え何をか懼(おそ)れん」(顔淵第十二の四)という孔子の言を挙げました。

之は、「良心に照らし合わせて反省し、心に恥じるところがなければ、何をくよくよ、何をびくびくすることがあろうか?」といった意味になります。此の言葉は、「仁者(じんしゃ)は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず」(憲問十四の三十)に繋がって行くものです。

天下の「三達徳」知・仁・勇は『中庸』にある徳ですが、『論語』の中では勇は他の二つに比してやや低く扱われています。歴史的に見ても、勇は『孟子』以降に付け加えられ三達徳という形になったようです。

此の勇も色々で、例えば兎に角いきり立って冷静な判断をせず猪突猛進するタイプ、つまり血気の勇がある一方、「義を見て為(せ)ざるは、勇なきなり」(『論語』為政第二の二十四)とあるように、正義・大義に基づく勇は高徳に繋がると思います。だからと言って、「勇気を失ったものはこの世に生まれてこないほうがよい」とまでは思えません。

「人間において棄人、棄てる人間なんているものではない」と安岡正篤先生も述べておられる通り、「天に棄物なし」全ての人の「人生に無駄なし」です。此の世に生を受けた以上たとえ勇気がなくても、人間は各々のミッション即ち命(めい)に応じて、それ相応に果たすべき役割があるのです。従ってゲーテは、少し言い過ぎだと思います。

また「財貨を失ったら働けばよい」とのことですが、財貨が必要であれば働けば良いでしょう。他方、財貨が必要でないという人もいるかもしれません。そういう人は、自分の新たな生き方を探せば良いのです。

どれだけ働いたところで、「富貴(ふうき)天に在り…富むか偉くなるかは天の配剤である」(『論語』顔淵第十二の五)。働けば自分が食うに困らぬ位のことは出来るかもしれませんが、余裕がある程財貨が出来るとは限りません。

そしてまた「名誉を失ったらほかで名誉を挽回すればよい」とのことですが、之にもクエスチョンマークが付きます。名誉と信頼を同質的なものと仮定して考えますと、一旦失った信頼を他で獲得するのは極めて難しく感じられます。「ゲーテさん、貴方は実際に挽回出来るのですか?」、之が私の率直な評価です。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2022年10月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。